新・映像の世紀 第0回「写真の時代と産業革命~戦争という悲劇を映す真実の鏡~」

この記事は「NHKスペシャル」の『新・映像の世紀』の感想ではありません。この記事は「新・映像の世紀」の感想ページと合体して当サイトの1コーナー「歴史を動画で知ろう! 近代編」にて再編集される予定です。

『新・映像の世紀』が10月から開始されるという事なので、「歴史を動画で知ろう!」の「近代編」コーナーを作る事にしました。時代区分は1700年以降のフランス革命~1950年頃の第二次世界大戦期までとしました。

それ以降の歴史は「NHKスペシャル」の『ニッポンの肖像』と再編集した記事を「歴史を動画で知ろう! 現代編」に再編集する予定です。

この記事で紹介する1700年~1895年までの歴史は『新・映像の世紀』で取り上げない時代にあたります。つまり、1895年以降の100年間の歴史はNHKとABCテレビにおいては「現代」という時代区分にあたります。

「近代」とは一般的に「現代」より前の時代を指す大きな時代区分になります。世界史的には18世紀以降のヨーロッパの時代という見解が強く近代の始まりを定義する事変は様々に定義されていますが、一般的に18世紀以降の世界は「近代」という時代に入ります。

日本においては「明治時代」が近代の始まりと言われており、『映像の世紀』や他のNHKスペシャルなどでは日清・日露戦争以降の歴史を特集される事が多いです。

ヨーロッパやアメリカの有史時代の区分は主に「古代」「中世」「近代」の3時代に区分されます。「近世」についてはあまりメジャーではない時代区分になっていて、歴史を学ぶ上では上の3区分で分ける事が世界では一般的のようです。

近代の特徴は「ナショナリズム」「産業革命」「帝国主義」「資本主義」の4つのワードでまとめる事が出来ます。

「ナショナリズム」とは国民主義・市民主義の事。歴史事項で述べると、「市民革命」や「ナポレオンの台頭」などがこれに当てはまります。世界史で有名なフランス革命は代表的な市民革命の一つと言えます。「近代」の歴史区分の始まりはこの「フランス革命」以降に始まったと主張する人も居ます。

フランス革命や市民主義が与えた影響とは何か? というと、国王や貴族などの血縁から続く有力な支配者の政治の時代が幕を閉じた事にあります。要するに中世社会における「封建主義」制度が終わったことを意味します。

この影響は幕府政治を続けていた日本の歴史にも広がり、日本史においては天皇を主権とするものの政治のリード権力は地方自治体に過ぎなかった薩摩藩や長州藩の藩士が受け持つようになっていきました。

有名な「ナポレオンの台頭」については国民から選別されたナポレオンという軍人が国の指導者になった事を言います。軍人が国の指導者となって戦争や植民地支配を行う歴史はこの後も続き、「帝国主義」の支配の時代に突入する事になります。

軍人が国の指導者や政治家に国民から選ばれる歴史は第二次世界大戦まで続き、冷戦時代においても共産主義国家では軍人やその血縁の人が指導者になる事も多かったようです。

2つ目の近代における特徴が「産業革命」です。近世に発生した「科学革命」が進化した結果が「産業革命」です。市民革命と違い、産業革命は国民生活を激変させるほど豊かな社会の地盤を作り上げる大きな事変でした。

人類史においては「農耕牧畜革命」に続く第二の革命とも呼ばれます。地質時代を勉強する際にも「産業革命」という言葉は出てきます。

その理由は人類の生活水準を飛躍的に上昇させただけではなく、地球環境全体にまで多大な影響を与える結果にも繋がった生活革命だったからです。

「産業革命」は早い話が何なのか? というと、「工業化」の事です。「農耕牧畜革命」はその名の通り、「農業化」の事です。労働においては第一次産業を生み出しました。

「工業化」は労働における「第二次産業」を生み出すきっかけになった変化です。「第二次産業」とはインフラ・製造業・ITソフトウェアなどを指す労働産業の事です。

第一次産業で収穫した素材や材料・資源などを「工業化」で加工製造して消費者にとって使い易い・食べ易い形に大量生産したものが第二次産業です。

大量生産・大量消費なんていう言葉がありますが、その言葉が生まれたのが18世紀に始まった「産業革命」という事です。産業革命で機械を作り出せるようになると、第二次産業の加工製品だけではなく、第一次産業で収穫出来る農作物や漁獲物の収穫量も何倍にも跳ね上がりました。

その結果、先進国では「餓死」という言葉がなくなり、産業革命によって世界人口は2億から約8倍の16億にまで跳ね上がるようになったそうです。

19世紀以降は医療や化学分野が成長して疫病や伝染病に対する免疫や克服も可能になります。

「産業革命」は何を生み出したのか? というと、具体的には機械や乗り物です。蒸気機関車や紡績機、工場など現代の生活にも発展する事になる技術や科学が用いられていきました。

生活に必要とされてきた馬や道具といった物は古い産物となり、長距離や長時間労働には積極的に機械や乗り物が使われる事になっていきます。

しかし、機械や科学技術の生活の融合は長時間労働を生み出したり、大量失業の問題を発生させる事にも繋がっていきました。

産業革命で職業を失った職人はラッダイト運動と呼ばれるデモ運動を起こします。この運動はその後の技術革新の度に行われていき、最近ではバブル期におけるアメリカのデトロイトで流行った日本車のボイコット運動はそれに当たります。

ラッダイト運動はすぐに鎮圧されて、新しい代替労働が作られる事にもなりました。それが「第三次産業」と呼ばれる労働です。早い話が「サービス業」です。

「サービス業」とは営業や販売接客、飲食店や小売店など消費者に直接モノを販売したりサービスを行う労働の事です。個人が自営業として行っていた労働が株式会社化された訳です。

モノが豊かになり、お金と個人資産が増えると、それを管理する会社やサービスが発生します。それがユダヤ人が得意としてきた「金融業」や「保険サービス業」になります。銀行だとか生命保険といった物です。

銀行や保険会社が誕生するとお金を多く持ってる奴が「勝ち組」で「幸せ者」、政治家や経営者にもなれるといった考え方とシステムが構築されます。

それが貴族主義から置き換わった「資本主義」です。

「資本主義」というのは分かり易く言うと、「お金をたくさん持ってる奴が偉い」という社会の事で、政治家や経営者、文化人や知識人にもなれるといった制度の事です。

この資本主義が大衆にも浸透するようになったのが銀行や保険会社が社会に流通してからの事になります。

今までの中世社会では「貴族」や「王様」が一番偉い人で大金持ちというイメージでした。

しかし、資本主義ではお金儲けでお金をたくさん手に入れた奴が一番偉いという価値観と考え方になっているので、賢い奴や競争が得意な奴ほど偉い人になれる可能性が高くなるといった制度です。

現代で言うと、共産主義よりは平等な社会・制度です。しかし、18世紀以降の産業革命期では貴族社会というものは完全には廃れていなかったし、スラム街や農民のような出の人間が政治家や経営者になる事は難しかったので、徐々に資本主義というものが平民に広まっていきました。

資本主義における競争とは株式会社同士の自由競争の事です。同じ商品や同じジャンルの品物を客に売る場合はA社とB社がそれぞれのやり方と商売の仕方でより多くの顧客を集めてお金をより多く他社よりも稼ぐというもの。

まぁ、商売の仕方をやり過ぎて生まれたのが「独占禁止法」だとか「トラスト」「カルテル」とかいった会社法になる訳です。

個人の会社と経営者が大儲けした社会が勝ち組の社会なので、初期の頃は労働者の体調や生活を無視した長時間労働も横行していました。

しかし、現代のヨーロッパでは植民地支配だとかラッダイト運動、労働者による反発運動なんかもあったので、労働に対する意識は当時のヨーロッパと違って、かなり人権尊重をする社会になっています。

日本ではフランス革命や大規模なラッダイト運動、ヨーロッパのような鬼畜な植民地支配が行われなかったので、長時間労働の問題はヨーロッパやアメリカよりも深刻な問題に発展しています。それはアジア全体に言える事でしょうね。

 

最後のキーワードになる「帝国主義」とは科学や技術が発展して文化レベルも歴史の変化の重厚さも厚い先進国が発展途上国を侵略して植民地支配するというものです。

現代の言葉で分かり易く言ってますが、ヨーロッパの国々とアメリカがアジアに向けて自分達の都合の良いような植民地支配を行う社会という事です。

18世紀当時のアジアはアフリカや南アメリカのように文化と科学レベルが古代で止まっていませんでしたが、中世の社会感覚と価値観で停止していました。

つまり、ヨーロッパやアメリカから見た場合はアフリカや南アメリカから毛が生えた程度のレベルがアジアだった訳です。動物で例えるのなら、アフリカと南アメリカはアリ、アジアはネズミ、アメリカとヨーロッパはハゲタカのようなものです。

アジアの価値観と世界観が何故中世止まりだったのか? というと、具体的には鎖国をしていて内乱や大きな戦争もなかったからでしょうね。

近世期におけるヨーロッパでは周辺の国々で戦争や諸侯を巡る領土争い、平民の間ではペストや疫病の疑いを魔女狩りなどで裁判して処罰している時期でした。

つまり、ヨーロッパは近世期の間も戦争や科学の進展、市民革命、魔女狩りのような泥沼の戦いや虐殺があったけれども近世期のアジアは大きな内乱もなければ鎖国もしていたので、歴史的な変化がなかったという事です。

よくヨーロッパや白人の残虐性や戦争の歴史を批難する人が居ますが、陸続きになっていて周辺国が戦争を仕掛けるような環境に置かれていれば、どんな民族でもそうなるとは思う。

ヨーロッパが中国のように地域統一出来なかった理由は地政学的に山脈と川に囲まれた地域や国が多い為、統一が難しかったという説がある。

ペストや伝染病がヨーロッパで流行した理由は大航海時代に他の大陸へ渡って伝染した事と寒冷な地域にも関わらず死体を火葬などにしなかったから。

ドイツのような国では食糧不足も挙げられるのでその辺も侵略行為に至った理由の一つでしょうね。

古代ローマ帝国のように水路や水道の完備も整えずにいた不潔な環境だった事も伝染病の原因だったと思います。

 

現代は工業化と貨幣制度のおかげで侵略戦争自体が愚かという結論になりましたが、工業化や貨幣制度が無ければ植民地支配と戦争はまだ繰り返されてると思います。

帝国主義は植民地の数と資源の多さで覇権を争う時代だったので、植民地支配を恐れた日本も工業化を済ませて帝国主義の国家へ道を進めました。

帝国主義という蛮行を進めた結果にヨーロッパは第一次世界大戦と第二次世界大戦で焦土となり、日本も第二次世界大戦で悪夢を見る事になります。

 

 

>写真の時代

「NHKスペシャル」では20世紀を「映像の世紀」と呼称していました。それでは19世紀は何の時代になるのか? というと、「画像の世紀」にあたります。

画像の定義は紙や版画、絵なども含まれるので、厳密に言えば「三次元画像の時代」です。

画像とは絵や写真の事を指しますが、カメラが誕生するまでは人類は二次元的な画像しか閲覧することは出来ませんでした。

絵画においては擬似的な三次元の絵を閲覧することは出来ますが、本物の三次元の画像を閲覧出来るようになったのは19世紀の事です。

写真が撮れるカメラは1824年のフランスの科学者、ニセフォール・ニエプスが発明しました。

その後、絵画は写真の登場によって大衆文化から廃れていき、貴族や文化人、知識人の高尚な文化・趣味となる「ハイカルチャー」に進化していきました。

カメラや写真が登場するまでは絵画や絵というものは大衆文化の一つであり、情報伝達の一つの手段でした。

しかし、カメラや写真が登場すると本物の画像を目に焼き付ける事が出来るので、従来の絵画は役割を終えて絵師なども新聞社や瓦版の仕事を失う事になっていきます。

産業革命は従来の数多くの仕事と労働を奪っていきましたが、実は文化や芸術方面においても世代交代や代替品が出される状況になりつつありました。

本物の画像。つまり、カメラが捉えた写真は実際の現場の風景を撮影する事が出来ました。

本物の画像に大衆は夢中となり、新聞社も一気に大衆に普及していきました。

この画像の時代は1895年にイタリアのリュミエール兄弟が映像を発明するまで続きました。絵画から写真に代わったそれは1895年に至るまでにありとあらゆる風景と人物と動物を撮影し続けていきました。

写真は1824年以降に普及してからは歴史上の人物の画像も写真に切り替わり始めました。

日本においては幕末期の1840年以降の歴史上の人物は全て写真に移り変わっています。

それ以前の人物と風景は全て絵画と手作業で行われていました。

情報伝達が正確になったという意味においても写真とカメラは重要な役割をもたらしたと言えるでしょう。

その後、1895年にリュミエール兄弟が映像を発明すると「音声」「動作」「色」といった要素が付け加えられていき、写真そのものも色を付けていくようになりました。

絵画や彫刻がヨーロッパで数多く広まっていた理由は情報伝達の手段や視覚を刺激する道具がそれしかなかったから。

中世期には幻想的な絵や彫刻も見受けられますが、やはり多かったのは肖像画や風景画、現実の絵だったと思います。

アドルフ・ヒトラーが画家を目指していた1910年代の頃は風景画や印象画、建築画というものが古臭い物になっていて、ヒトラーは芸術学校の入試を何回も不合格となり、社会に挫折します。

社会に絶望して幼少期の恨みや怨念、第一次世界大戦の敗北の原因をユダヤ人に向けたヒトラーは第一次世界大戦の伝令兵と活躍していくつもの勲章を手に入れて政治家を志すようになります。

ヒトラーはナポレオンに次ぐ軍人から政治家になった軍属でしたが、後世の評価はナポレオンと大きくかけ離れてヒトラーは独裁者という烙印を押される事になります。

ナポレオンもヒトラーも独裁者でしたが、ナポレオンはヨーロッパの英雄という評価でヒトラーは人類史上最悪最低の独裁者という評価に留まりました。

もしもヒトラーの生まれる時代が中世期ならばヒトラーは画家には成れなかったかもしれませんが、新聞社だとか風景画を担当する観光会社の社員などにはなっていたのかもしれません。

写真が発達した後の時代の絵画は既に現実的な風景や肖像画などが廃れており、退廃芸術だとか空想上の絵を描いたものの方が大衆から喜ばれました。二次元的な絵、つまりはシンプルに線が減って立体的でなくなった平面的な絵画なども大衆から喜ばれるようになりました。

20世紀以降にはピカソやムンクなどの漫画的な絵画も手掛ける画家が有名となり、立体的な絵を描ける画家というものは歴史に名前を残せるほど有名になれる人は少なかった。

絵画が廃れた原因は諸説ありますが、私個人としては写真や本物の画像の登場が芸術絵画を衰退させた主な原因だったと考えています。

絵画や彫刻は一般大衆の趣味や文化ではなくなりましたが、貴族や知識人の専属の文化・高等な趣味に変化していった事は確かです。

しかし、絵画や彫刻に興味をなくした人が増えるということは絵画や彫刻に金銭的な価値が付けられる可能性が低くなる事でもあったので、19世紀以降の画家は絵を売るのが難しくなっていきました。

絵が売れなかった事に苦しんだ画家として有名なのがオランダのフィンセント・ファン・ゴッホでしょうか。

彼は私が好きな画家の一人です。

彼の自殺の主な原因は「絵が売れなかった」事ではありませんが、生活に困窮していた事は確かのようです。

いくつもの精神病を患い、生前の彼の絵は殆どがお金の価値になりませんでした。

彼の絵が評価されて日本人にも購入されたのは彼が死んでからの事です。

 

 

>18世紀の世界とは?

「近代」がいつ頃から始まったのかは明確に決まっていませんが、主に「フランス革命」と「産業革命」のどちらかの後の時代が「近代」と区分されるようです。このサイトではキリが良い18世紀から歴史を振り返る事とします。

18世紀の特徴はやはり第二の生活革命と呼ばれる「産業革命」が大きなスポットになるでしょう。スチームパンクだとか蒸気機関で動く世界はこの時代がモデルになっている場合が多いです。

産業革命が始まったのはワットの蒸気機関車を生み出したイギリス。燃料やエネルギーが石炭と水で、それの圧力と水蒸気で動くといった乗り物や機械が次々に生み出されて馬や手工業制の労働がお役御免になっていきました。

産業革命の動力には大西洋の三角貿易があり、砂糖や綿花のプランテーション、黒人奴隷の労働力によって激しい貿易競争が起こり、オランダの自由競争は衰退して植民地を巡る戦争が繰り広げられていきました。

南アメリカ大陸や太平洋の国々ではヨーロッパの支配から脱出した国々が次々と現れて独立していきました。一番のきっかけはアメリカ合衆国の独立だと思われます。アメリカの歴史は18世紀を以て本格的にスタートして内戦や人種問題を体験しながらも重工業の方面に工業生産能力を高めていきます。南北統一後は世界全体のGDPのトップシェアがイギリスからアメリカに移り、世界のトップだったイギリスが没落していく事に繋がっていきました。

アメリカが重工業とGDPの生産能力を獲得するまでは大英帝国と呼ばれていたイギリスが世界の中心にありましたが、アメリカが独立戦争で独立して南北統一を果たすようになると、世界の覇権はイギリスからアメリカへ移っていきました。

科学や技術方面の分野においてもアメリカがリードしており、生化学や電気工学の発見はアメリカの方が早くなっていきます。

アメリカの独立の結果、南アメリカ大陸と太平洋側の国々は次々と国として独立していき、ヨーロッパは新たな新天地と商売の為にアジアをターゲットにするようになりました。アフリカについてもイスラム圏の超大国が介入し始めていてヨーロッパの所有物という訳には行かなくなっていました。

GDPの生産は人口数の多かったインドがトップでしたが、イギリスの植民地戦争に敗れるとイギリスがインドのGDPを奪うようになっていきます。インドを政略したイギリスは次に中国にターゲットを変えて極東だった日本にもロシアやアメリカなどが貿易上の征服を狙うようになります。

18世紀のヨーロッパでは精神や思想面についても大衆の間で革新が始まっていました。人類は平等だとか自由だとか人民の為の政治という奴です。国民の為に政治を行ったり国民の権利や自由は平等であるという考え方は現在では当たり前ですが、18世紀以前は封建主義の社会だったので、血縁上の厳しい身分制度が敷かれていて国民の主権や立場というものは奴隷より少しマシな程度に過ぎませんでした。こういった平等や自由だとか国民の為の主権の思想を「啓蒙思想」と呼び、ナショナリズム運動に発展していきました。

封建主義社会が打破された決定的な事件が「フランス革命」でした。フィクションなどでは悪名高いルイ16世とマリー・アントワネットですが、実際の性格は温厚で宝石や貴金属、酒類などの贅沢に金を惜しむ事がない訳ではありませんでした。ルイ16世もマリー・アントワネットも最低限の趣味にしかお金を浪費しなかったそうで贅沢というほどの贅沢は大してして来なかったという話があります。

16世紀~19世紀以降の世界の気候は地質学的には氷期に入ってたらしいので、作物が思うように取れなかった国民の不満は国王や貴族に向けられたという俗説もあります。日本においても16世紀以降の三大飢饉と江戸の大火、火山噴火などでは幕府が積極的に動かなかったので、これが幕末や尊皇攘夷運動の遠因に繋がったという説もあります。

大昔の感覚になりますが、有史時代は地質時代的には「新生代:第四紀時代」に分類されます。氷河期のど真ん中が現代という構図です。つまり、氷河期だとか寒い時代というのは厳密には終わってないんですよ。今の地球は気温が上がったり下がったりしている間氷期の時代にあたる。火山活動が活発な上に気温が下がり易い時代なので中世と近代社会では作物が思うように取れない時代が続いた訳です。

地球の異常気象と寒冷化で作物と食糧飢饉になっていた事と植民地支配を行ってきた南アメリカ大陸の独立とアフリカ大陸の中東圏の参入が尾を引いてフランス革命のような惨事に繋がったのかもしれない。

フランス革命でナショナリズム運動が開化すると他の国々でも革命が起こり、大衆は混乱した政治を一人の英雄がまとめ上げる事を強く望みました。

それこそがナポレオン・ボナパルトの登場でした。世界史においてはアレクサンドロス大王やカエサルのような指導者並に有名な人物で軍事史においてはナポレオン時代と呼ばれるような兵器運用や戦術方法がありました。

ナポレオン以降のフランスの歴史は幕末の志士達に多大な影響を与え、日本の幕末期や明治の戦争にもナポレオン以降の近代戦争はモデルケースにされて勉強し尽されました。

ナポレオンのような軍人が政治家になる例は第二次世界大戦の帝国主義の時代まで続き、英雄を勘違いしたアドルフ・ヒトラーのような独裁者を産む遠因にも繋がっていきました。

科学技術においては産業革命で軽工業が注目されるようになり、既存の仕事が消滅したり長時間労働が問題視される事態に繋がっていきました。

「技術的特異点」の講義でも使われますが、製糸を手工業で行っていた職人は産業革命に伴う工場と機械の登場で失業するようになります。職人が大量に失業すると無職でお金がないのでイライラして不満や怒りを社会に向けるようになります。そういった破壊活動やデモ運動が「ラッダイト運動」と呼ばれるものです。

ラッダイト運動は技術革新が起こる度に繰り返されましたが、新しい産業や労働の需要を産み出す事でクリアしていきました。

「産業革命」で大した能力のない人間が工場や機械運用で働けるようになると不要な労働者が大量に発生するので、そういう人達は「第三次産業」や「第一次産業」に従属する事になります。

「第三次産業」はサービスや営業など人にサービスやモノを販売する仕事ですが、この産業も中世期以前から存在しました。

変化した部分は個人のやっていた仕事が「第二次産業」と同じように株式会社化して組織労働する事が常になった事です。

従来の労働は「第一次産業」や「第二次産業」も個人が自営業を行うのが普通で労働における基準値や基準の時間が設けられませんでした。なので、サービスや商品の質はまばらだし、生産出来る数も最小限だったので人口数も食糧生産数も増えなかった訳です。

ところが「産業革命」が始まると工場や機械で商品の質は均等化されて値段も均一になるので、消費者や顧客は利便性を感じてより多くの商品にお金を支払うようになります。

そうなってくると、労働を管理する組織とお金を運用する人達が必要になるので労働が個人体制から会社体制に切り替わる事になります。

株式会社自体は16世紀の東インド会社や14世紀の大航海時代に元祖のような形態は始まってましたが、本格的に社会に浸透し始めたのは18世紀以降の事です。

「第一次産業」だけは自営業管理の場合が多いですが、「第二次産業」と「第三次産業」は会社で管理されるのが常になります。

社会的需要が増加して大量供給を庶民が受けれるようになると、消費者の生活水準と幸福度は上昇しますが、生産者や労働者は会社に管理される事になるので、経営者がゲバ銭だった場合には会社そのものがブラック企業化する訳です。

産業革命直後のイギリスでは子供も労働者として使役されて経営者によって鞭で叩かれる光景の版画が印刷されましたが、あれが「ブラック企業」のハシリになります。

ブラック企業の体質自体は中世社会に現れてるのかもしれませんが、資本主義社会においてはブラック企業のハシリは18世紀以降のヨーロッパの会社になるんでしょうね。

金持ちは一方的な消費者もしくは経営者で済みますが、貧乏人は労働者のままであり続ける訳なので、現代と比較するとこの時代ほど惨い労働時代はないと思います。

だから、カール・マルクスは『資本論』という書物で資本主義を否定した訳です。18世紀や19世紀の労働は封建主義社会から多少マシになっただけで貧乏人や農家の暮らしは一向に変わりませんでした。マルクスの『資本論』は当時としては『聖書』に次ぐベストセラーだったそうです。

そして、19世紀に登場したH.G.ウェルズは当時の資本主義を風刺した『タイムマシン』というSF小説を書いて、当時の富裕層の成れの果てを描いた訳です。

産業革命が確立されると銀行や資産運用のビジネスが始まり、資本主義経済が封建主義社会に代わって支配者層の構造も変化することになります。

従来の封建主義社会というものは血縁や名家である一族の子孫が社会的に一番偉く、政治の指導権もあるという考え方でした。近代以降の資本主義経済はお金をより多く儲けた奴、つまりは商人が偉いという事になり国民選挙においても経営者や経済を知ってる人間が政治を指揮出来るようになっていきました。

18世紀と19世紀は帝国主義の時代なので国王や貴族といったものは相変わらず偉そうにしていますが、20世紀の第一次世界大戦でヨーロッパが焦土となると、国王や貴族の権威が下がって政治の表舞台から姿を完全に消す事になります。

アメリカは元々国王や皇帝が存在しない国なので、政治的な面においてもヨーロッパより一歩進んだ国になっていた訳です。

産業革命以降に新しく生まれた仕事と言うと、銀行や保険サービス、証券関係などの金融産業でしょうか。従来はユダヤ人が高利貸として経営する仕事で、当時のヨーロッパの価値観では「えたひにん」と同等だったらしいです。

しかし、大航海時代のスポンサー制度のように資本金がなければ会社運営も出来ないし従業員に賃金を支払う事が出来なくなるので銀行や金融産業は庶民の間においても必要不可欠な産業になっていった訳です。

ユダヤ人が世界を支配しているという都市伝説がありますが、厳密に言うと時代がユダヤ人のビジネスやお金を貸す仕事を必要とするようになった訳です。

産業革命以前はローンだとか支払う予定の大金を用意するような事は経営者も個人もなかったですからね。

生涯年収と金を稼ぐ見積が立てられるようになった訳だから、借金やローンといったものが普遍化していった訳です。

現代の第三次産業は介護・販売小売・営業・警備・飲食などにおいては業界自体がブラック企業とされていますが、ラッダイト運動後にホワイトカラーのイメージに近い銀行員や証券マンなども現れたので、楽な仕事や労働自体が楽になっているケースも確かにある訳です。

まぁ、日本の第三次産業の多くの業界がブラック企業と呼ばれるのは安売りの貧乏人相手のビジネスが目立つからでしょうね。海外の経営者なんかはブラック企業というものでも無い気はします。ケンタッキーやマクドナルドにしても発祥当時は独自の個性を持ってたから人気企業だった訳でしょうしね。

ラッダイト運動後に楽な仕事や居心地の良い仕事が生まれるから運動が沈静化するという意見もありますが、21世紀のIT革命以降は資本主義経済の限界を感じています。

インターネットとソフトウェアが台頭してからの代替労働というものは既存産業の細分化(下請け構造)と社員の非正規化による人的コストのカットですからね。先進国全般でそうなんですから、ラッダイト運動後にマシな仕事が発生するという考え方や価値観は古い物だと思います。

まぁ、近代の思想や主義の登場の順番はこんな感じでしょうね。

・フランス革命→市民革命→ナショナリズム→ナポレオンの台頭→産業革命→資本主義→帝国主義という順番かと思います。

フランスはフランス革命とナポレオン戦争で大勢の若者を喪失させて産業革命に乗り遅れてイギリスに世界のリード権を奪われる事になります。ナポレオン戦争における侵略行為は周辺のヨーロッパに影響を与え、イギリスがインドを政略支配する事に成功するとヨーロッパはアジアを経済的に支配しようと帝国主義化していきました。

アメリカが独立してから植民地支配していた南米の国々や太平洋の島々で独立が目立った事もヨーロッパが帝国主義化した原因の一つかもしれません。

 

 

>日本の18世紀

日本においての18世紀と19世紀は江戸時代と明治時代にあたります。日本史的にも世界史的にも特に大きな変化がなかった江戸時代は約230年間という長期間平和と徳川政権の支配を受ける時代になります。江戸時代の中期と後期が18世紀の特徴になります。この時代にはようやく暗殺だとかクーデター的な物が発生しなくなりますが、幕府の財政が緊迫化していく事になります。その危機に対応したのが8代将軍の徳川吉宗の享保の改革でした。しかし、この政策は急な法律の改変などを招き民衆から不満を持たれるきっかけを産む事になります。その後、田沼意次と松平定信などが経済政策を行いますが、田沼政策では農民の不満と困窮を招いて失脚させられます。悪代官のイメージが真っ先に思い浮かべられたのが田沼だとか言われてますね。松平の寛政の改革は庶民の生活と財政復活を実現しますが、その後経済と文化は停滞して特に発展しませんでした。松平の政策は保守的であり、懐古主義的な政策だった為、この政策は一定の水準まで文化と経済を一時的に回復させる政策に過ぎなかったようです。

ヨーロッパでも起こりましたが、日本国内でも火山噴火が起こりました。また巨大地震が2回続き江戸の三大飢饉にも繋がっていきました。この頃の地質時代は氷期にあたるので火山運動の活発化と震災の活動期と重なり、寒い気候変動もあって作物も思うようには取れませんでした。

19世紀に入ると、飢饉や震災の影響もあって尊皇攘夷の考えが広がり始めました。実は幕末以前から朝廷を順守しようとする学者や民衆の動きもあったようです。また、ロシアやイギリスなどの軍船が日本に開国を迫る事態も頻発化し始めました。

インドと中国を降伏させた帝国列強の影響もあって、1840年頃にはアメリカのペリーが日本に開国をさせて、1843年にハリスが日米通商修好条約という不平等条約を結びます。その後、アメリカ以外の国々とも日本は不平等条約を強制的に結ばされる事になります。

この頃の日本は金貨1枚で銀貨20枚程度のレートが金貨1枚で銀貨4枚程度のレートに引き下げられたりもしていたそうです。現代で例えると、極端なドル高円安みたいなもんでしょうかね。

日本の金貨が世界に出回るようになった事でヨーロッパやアメリカでは経済的なバブルを迎える事が出来た国もあったそうな。

ヨーロッパやアメリカの銀貨は不純物が混じってる場合が多々あるので、実際のレートや割合はかなり低くなってると思います。まぁ、日本も幕府の無駄遣いのし過ぎで純金の金貨の貨幣っていうのが出回らなくなったそうですけどね。

中国やインド、イスラム世界、日本はアフリカに比べればマシな方だったとは言えます。中世的な文化を維持していたのでアフリカのように資源と土地と労働力を全て奪われる事はなかった訳です。

しかし、貿易と経済面ではアメリカとヨーロッパの支配を受けているような物だったので、状況としてはアジアもイスラム世界もアフリカと同じように植民地支配の影響を受け始めていた訳です。

アヘン戦争の成り行きを視察していた高杉晋作は帰国後に奇兵隊という独自の軍隊を築いてイギリスやアメリカと戦争をする準備を整えていました。

しかし、長州藩の作った軍隊が外国と戦争する事はありませんでした。鹿児島県の薩摩藩はイギリスと戦争をしますが、結果的に敗北します。薩英戦争というものです。

幕府も各藩も元々は攘夷運動を目指していましたが、産業革命に成功したヨーロッパとアメリカの軍事力に勝てない事を悟り、薩摩藩と長州藩は討幕運動と尊皇攘夷運動に傾倒します。

薩摩藩と長州藩が江戸幕府に反抗的だった理由は歴史的な因縁が絡んでた事もあります。

1600年の関ケ原の戦いで石田三成率いる西軍に所属していた薩摩藩と長州藩は戦に敗れた事で徳川政権から領地没収と領地替えをされていました。

約300年もの間も薩摩藩と長州藩は徳川政権を恨んでいたので、徳川政権に真っ先に反抗する藩だった訳です。

薩摩藩と長州藩が江戸幕府と戦えた要因としては資金力が他の藩よりも高かった事が挙げられる。

薩摩藩(鹿児島県)は江戸時代中期に琉球王国(沖縄)を自身の藩に併合。これによって豊富な資源を手に入れる事が出来た。また立地条件としては作物が育てやすい温暖な気候があった。これによって畜産業と農業が他の藩よりも成長し易い分野にあった。火山地帯があったので温泉がいくつもあって観光産業にも精通していた。そして、朝鮮半島と琉球王国、奄美大島など諸外国や他の島と行き来出来る場所であったので貿易産業も盛んだった。江戸幕府から遠く離れた場所にあったのが薩摩だったので幕府の監視も弱く城や砦など武力を温存する事が出来た。薩摩は幕末期に入るとイギリスや清との独自貿易を幕府に禁止されてしまうが、坂本とグラバーが武器商人となって暗躍して長州藩を名義に薩摩用の銃や大砲などを購入していた。江戸幕府の通達で肉食文化が禁止されていたが、薩摩藩では豚や鶏が飼育されており、江戸後期にはサツマイモやさとうきびなども栽培されていたので、薩摩では肉食文化が主流だった。だから、西郷隆盛や大久保利通のように身長が170㎝を越える大男がゴロゴロ居たらしい。日本では鎌倉時代の平均身長が160~170㎝ほどあって、現代人と似たような身長と骨格をしていた。しかし、江戸時代に入ると肉食文化が幕府によって禁止されたので平均身長は140~150㎝程度しかなかった。戦国時代においても鎌倉時代ほど鹿や馬を食う風習や文化は薄かったと言われている。

長州藩(山口県)は毛利家の所領となる藩。薩摩と長州の先祖である島津家と毛利家は共に戦国時代に活躍した軍師のタイプの武将であって、戦略や罠、話術などに優れていた。長州藩は元々は安芸(広島県)を拠点に活動していたが、関ケ原の戦いの一件で敗北すると所領替えにおいて山口県1県のみに所領安堵された。実は山口県自体も立地条件自体はそれほど悪い県ではない。ふぐの名産地と知られていて、豊臣秀吉も長州のふぐをよく食していたと言われるほどふぐがよく取れる。海に面している県であった為、薩摩と同じように海外交流がし易い県であった。だから、高杉晋作のような男を中国へ研修旅行させる事も出来た。現代の立地としては九州の福岡県と四国の愛媛県、本州の広島県を隣県に持っている。江戸時代当時は県別に独立した地方分権になっているので、3地方の情報を手に入れるという意味では最適な場所が山口県だった。江戸時代は幕府による監視で動く統一性の中央集権になっているが、室町幕府のような結果を恐れた徳川家康は豊臣秀吉を見習って、古くから豪族として活躍する戦国大名をその土地のリーダーとして収める方針に決めていた。参勤交代などで各藩の資金力と貯蓄、幕府への反抗意思を減らす目的があったが、後期に入ると参勤交代の在り方も徐々に緩くなっていった。江戸には外国人大使館のように各藩専用の宿所のような場所があり、そこを中継点として利用する藩もあった。江戸後期に入ると、参勤交代や江戸城の修復工事などを行わなくても貯蓄を維持出来る強力な藩も出てきたので、外様大名程幕府の監視を逃れて軍事拡大や領土拡大、新たな産業の取り組みなどが行われていった。薩摩藩も長州藩も江戸後期に入ると外国から取り入れた情報を基に工業分野に着手するようになり、製造業においても当時としてはトップシェアを誇るようになったとも言われている。長州藩の特徴は薩摩藩と違い、藩主が直接指導や政治をする事があまりなかった事だと言える。毛利輝元の時代から幕末期において毛利の大名が藩士や藩の政治に直接指示することはなく、各藩士のやりたいような思想や教育、事業などを好きなようにやらせていたらしい。その結果、長州には幕末の尊皇攘夷の基礎となる吉田松陰のような強力な学者が誕生する事になる。吉田の経営した塾の影響で高杉晋作や木戸孝允、井上馨、伊藤博文などの優れた幕末志士達が誕生する事になっていった。現代においても自民党の国会議員は薩摩藩や長州藩、土佐藩の志士や明治の元勲のような者達の子孫が多い。現代の総理大臣の安倍晋三も山口県出身の明治の政治家の子孫にあたる。長州藩の豊富な資金力は港や貿易時の倉庫利用、海運商社などで儲けた力だと言われていて、運輸業や倉庫業などで資金力を蓄えていった。関ケ原以前は中国地方一帯を征服していたので主な資金鉱脈は金山や銀山などの鉱山になっていた。しかし、関ケ原で徳川家康に敗北するとそれらの鉱山は没収されてしまい、資金を貯蓄するアテはなくなった。農業・漁業・工業は勿論だが、幕末期に入るまでに一番儲かったのは港町としての運営。平安時代の神戸のような貿易港として倉庫や海産物の運輸に尽力した事だと思われる。外国と本土の両方の情報を手に入れやすい場所でもあったから、教育や思想・科学面においても深い理解力と鋭い洞察力を持った人材が多かったのだと思われる。長崎のグラバーなどとパイプがあった坂本龍馬は長州藩にとっては必要不可欠な武器商人だった。坂本や亀山社中を利用してイギリスの銃や軍艦、大砲などをかき集めて薩長同盟後には薩摩藩の為に長州名義でそれらの武器・弾薬を買い漁って幕府との決戦に備えた。一方の江戸幕府はフランスから軍備を買い集めていた。勝と西郷の交渉がなければ江戸は大火に包まれる町になりかねず、内乱が長期化すればフランスとイギリスの挟み撃ちで日本が植民地支配される危険もあったという。

 

高知県の土佐藩の坂本龍馬は西軍に付いていた長曾我部盛親の家来の武士の子孫だった訳です。土佐藩を恩賞として与えられた山内一豊とその一派は上士という武士であり、坂本のような旧来の大名の部下だった武士は下士という扱いで差別されてきました。

厳密にいうと、坂本は先祖が武士ではありませんでしたが、身分は下士という扱いでした。

坂本や下士だった幕末志士達は関ケ原の怨念があった訳ではありませんが、彼らも薩長藩と同じように討幕運動に傾倒していく事になります。

薩摩藩と長州藩は先祖の恨みからの共通の敵である徳川家が居ましたが、蛤御門の変と呼ばれる事件で犬猿の仲になります。

幕府の命令で長州藩を征伐したのが薩摩藩だったからです。

薩長藩は顔を見合わせただけで争いに発展するほどの犬猿の仲でしたが、坂本龍馬が薩長同盟を結ばせて和解させました。

その後、薩長藩と幕府軍が戦って勝海舟と西郷隆盛の間で江戸城の無血開城が結ばれます。

その後の1868年に15代将軍の徳川慶喜が大政奉還を行って武士の世の中と江戸幕府が滅亡します。

鎌倉時代から続いてきた700年に渡る日本の封建社会は大政奉還によって終わりを迎える訳です。

1840年から1868年までに起こった約20数年間の時代を「幕末」とも呼びます。この時代はフィクションやNHKの大河ドラマなどで人気が高い時代です。新選組や篤姫、和宮などもこの時代の人物です。

坂本龍馬や高杉晋作は大政奉還を見る前に暗殺されたり病死します。騒乱の時代の間に数多くの若い青年が青春の如く、散っていったので彼らを幕末の志士とも呼びます。

大政奉還後に作られた明治新政府は薩長藩と土佐藩と肥前藩の武士達が権力を持つようになります。

明治時代に共闘するようになったと思われる薩摩藩と長州藩ですが、幕末期には鳥羽伏見の戦いや戊辰戦争で戦った会津藩などと犬猿の仲になっていきます。

未だに薩摩や長州出身の人が会津に足を踏み入れると毛嫌いされるという噂があるので、幕末期に全ての遺恨が消えたのか? というと、そういう訳でもありません。

大政奉還を行った江戸幕府と徳川家はその後も華族として存続して現代もその子孫が有名企業や行政機関などで働いてたりします。

 

1868年以降の日本は「大日本帝国」という国名で活動して明治天皇が元首として国の政治と軍事を取り締まるようになります。明治維新から第二次世界大戦で敗北するまでの日本は「旧日本」だとか「大日本帝国」と呼ばれます。

1868年以降の日本はイギリスやアメリカを見習って岩倉具視団などを派遣して海外の近代文化と近代科学と近代法律を積極的に取り入れようとしました。

300年もの間鎖国して、ヨーロッパやアメリカの歴史や文化も触れなかった事から焦っていたのかもしれません。

1868年から1900年頃までに日本を近代国家として国家整備・社会システムの改革・法律の変更や科学技術の運用を行う一連の動きや流れを明治維新と呼びます。日本の産業革命とも呼ばれてます。

明治維新に行った事は廃藩置県や徴兵制、学校制度、大日本帝国憲法、身分制度の廃止、税金制、朝鮮合併などです。

身分制度の廃止については廃止になったのは「士農工商」の制度だけであって、大名や公家や皇族の身分はそのまま保証されていきました。大名や公家などの貴族的な身分制度にあたる人たちを「華族」と呼びます。

この人たちの身分制度が本格的に消滅するのはGHQが介入して農地改革や財産分離の制度などが採り入れられる1945年以降の事です。

但し、幕末や明治期に活躍した華族の子孫は未だに裕福な暮らしをしている人が多いのでコネだとか財産の継承などはしっかり受け継がれてるんだとは思います。

身分制度の廃止は旧来の士族の職業を無職にすることに等しかったので各地で反乱が起きました。西郷隆盛が1887年頃に起こした西南戦争は士族の戦いとしての最後の戦いになりました。

日本が内政を整えきると次に帝国主義国家の侵略戦争を見習って、日本も領地拡大を目指して植民地を手に入れようとする侵略戦争に発展していきます。

日本の近代史が諸外国や左翼と揉めやすい理由は1900年代以降の日本が外国相手に戦争をするようになってきたからです。

1900年代以降の日本史は平等な視点で正当な評価を付けられる時代にはまだなっていないので、この時代以降の日本史を取り扱うのは物凄く難しいです。

1910年頃には朝鮮半島を日本の領土とする朝鮮の併合が行われます。この時に初代総理大臣の伊藤博文が韓国人に暗殺されます。

日本が朝鮮を併合するまでの間に1895年頃に日清戦争が起こり、日本は清に勝利します。1900年には日露戦争が起こり、この戦争では引き分けとなります。

日本がロシアに勝てた理由としては当時の日本の海軍が世界最強クラスだった事と日本の船舶や軍船技術が既に世界でトップクラスだったことが挙げられます。

またこの時のロシアはロシア革命で皇帝一家がクーデターで暗殺される事件が起こっていたので、ロシア国内は内乱で血みどろの状況でした。

NHKスペシャルでは日露戦争を「第零次世界大戦」と呼ぶ風潮があることを伝えてましたが、個人的には第零次戦争はクリミア戦争かナポレオン戦争が相応しい戦争だとは思っています。

クリミア戦争とナポレオン戦争は18世紀の戦争ですが、この二つの戦争が世界に与えた影響はフランスとイギリスが世界に絶対的な発言力と行使力を持つようになったこと。ナポレオン戦争の影響で帝国主義とナショナリズムが広がり植民地の領土争いで雌雄を決する無意味な戦争が増加したことが挙げられますね。

戦争の空気だとか雰囲気が劇的に変わり始めたのはナポレオン戦争の頃からだと思います。それ以前の戦争は死傷率はそれほど高くなかったので、犠牲者が少なく戦争を美談だとかエンターテイメントの感覚でフィクションや話のネタにする傾向が強かった。

しかし、ナポレオンが取り入れた軍事戦略だとかマスケット銃のような死傷率の高い銃や大砲のような何人もの兵士の命を一瞬で奪う兵器が出始めると戦争のイメージが華々しい物ではなくなり、悲惨で虚しさばかりが漂う悪魔の行為として人々に恐れられるようになった訳です。

ナイチンゲールやガンジーのような非暴力や人道的な処置で和平を求める動きの人物が英雄視されるようになった理由は戦争のイメージと犠牲が徐々に悪化してきたからです。

ナポレオン以前のカエサルやアレクサンドロスは相変わらず英雄という見方が強いですが、ナポレオンについてはフランスでさえも虐殺者や略奪者というイメージが持たれることも多く、フランス革命でさえも現代フランス人に無意味な歴史的事象だったと思われることも多い。その印象はフランス革命やナポレオンを描いた映画や小説で分かる。

ナポレオン戦争、クリミア戦争、アメリカの南北戦争は世界に大きく影響を与えた戦争と言われてますが、日露戦争は「第零次世界大戦」とも呼ばれる訳なので軍事史を学ぶ上では無視できない戦争だとは思います。

『映像の世紀』でお笑い役としてお馴染みだったヴィルヘルム2世がNHKスペシャルの『第零次世界大戦』に出てきていましたが、ドイツ視点で日露戦争を見た場合においてもドイツは戦争に参加していないが負け戦を行ったように思われる演出と描写がされていました。

記憶が薄らいでますが、確か日露戦争後にヴィルヘルム2世の親戚だったニコライ2世の一家は虐殺されて当時の宰相も失脚していったと思います。プロイセン帝国もドイツに改名したように思う。

日露戦争にドイツは参加していませんが、ヴィルヘルム2世の視点で日露戦争を見た場合は第一次世界大戦のフラグを作る事になっていたり、ヴィルヘルム2世が戦争や軍事面においては無能というのがよく分かるエピソードだったように思う。

ヴィルヘルム2世はロシアを応援しつつも日本にも激励の手紙を出してたとかいう内容がNHKスペシャルで語られてた気がするけど、あの番組は「ドイツの第一次世界大戦前夜」みたいな内容の構成だった気がしますね。

あと、アメリカやらイギリスがなんで第一次世界大戦にああなったのか? っていうのもあの番組で大体分かった気がする。

日露戦争で日本が勝てた(引き分けた)のは奇跡だと当時は騒がれてましたが、乃木希典だとか東郷平八郎のような名将を数多く取り揃えてたから人材面でも優秀だったんだろうなって思いますけどね。

日本は230年間もの間にブランクがあったものの戦国時代やら幕末の経験のある武士の末裔とかも多かった訳だから、軍人の人材面は世界でもかなり恵まれてたんだとは思う。

海軍に関してはイギリスに次いでトップクラスだったとも聞くし、日本の軍艦や船舶の科学技術力も世界でトップクラスだったらしい。

現代の日本の海軍も世界でトップクラスらしいので島国という立地条件と先祖の遺伝子レベルが今も息づいてるんだろうなって思いますね。

イギリスも島国でしたが、16世紀頃にスペインを戦争で打ち破って海軍で最強になっていたから、島国は海軍が最強になるんだとは思う。

乃木さんは陸軍の将軍ですが、この人もかなり有能らしいそうで、なんで日本史の教科書に載らないのかがよく分からない優秀な人物です。

まぁ、明治時代と幕末の日本は話すネタが腐るほどあるんですが、乃木さん以外はどこのサイトやどこの番組でも紹介されてる内容だとは思うので、これぐらいにしときます。

『映像の世紀』で日本が取り上げられ始めるのが日露戦争後の日本の場合が殆どなので、これ以降の日本史は実際の『新・映像の世紀』を見た後の感想で語るとしましょう。

日露戦争は日本や世界視点で言えば、日本の勝利という形で終わります。

しかし、ロシアは日露戦争の恨みから東京裁判の映像で日露戦争の時の戦争犯罪を持ち出しますが、この時のロシアほど女々しいものはないとも思ってます。

第二次世界大戦が終結した1945年から約40年以上前の戦争の事ですし、戦争終了後のポーツマス条約とかで和睦してますからね。

 

 

>西部開拓時代とは?

タイムトラベルや映画史ネタでよく語られる時代がアメリカの「西部開拓時代」だ。西部開拓は1860年代から1890年代の北アメリカのフロンティア時代に行われた時代と考えられている。1930年代~1960年代までガンマンだとか西部劇の映画がアメリカで流行っていて、日本の創作文化が不足気味の1950年代のテレビ番組やローカル局に西部劇洋画が輸入された。西部劇の洋画で一番影響を受けたのが藤子・F・不二雄と言われており、彼の創作には必ずと言っていいほど西部劇のネタが用いられる事が多い。

西部劇と言うと、『荒野の用心棒』や『夕陽のガンマン』などが有名だと思う。20代や30代が子供の頃には洋画はSFブームに入っているので、西部劇の要素は『バック・トゥ・ザ・フューチャーPart3』や『ドラえもん』、『トイストーリー』の内容の副産物ぐらいでしか知る由がないと思う。

アメリカ人にとっては日本の戦国時代並にポピュラーな時代が西部開拓時代と言われている。日本においても創作文化が不足気味だった1950年代にはアメリカから西部劇の洋画を多数輸入していたので、藤子・F・不二雄や手塚治虫が影響を受けて自身の創作のエッセンスに加えてる事が多い。

世界史的にも日本史的にも有名じゃない時代だが、創作ではよくテーマにされる時代なので少し語ろうと思う。

19世紀当時のアメリカは全ての国土がアメリカ人の所有土地という訳ではなく、インディアンの反抗も強かったとされる。

西部開拓のきっかけになったのは1848年にカリフォルニアで金鉱が発見されてゴールド・ラッシュのブームに沸いたからと言われている。その後、大西洋岸と太平洋岸から内陸部に向かって開拓ブームが始まったと言われている。1869年にはアメリカに最初の大陸横断鉄道が開通する事になっていった。

アメリカ人にとってはフロンティア精神を揺さぶる黄金時代。美徳とも言える素晴らしい時代だが、ネイティブアメリカンにとってはアメリカ人は侵略者もしくは虐殺者に過ぎないので、ネイティブアメリカン視点から見た歴史の着目も必要とは言える。

『ジョジョの奇妙な冒険』の第七部「スティール・ポール・ラン」の舞台が大陸横断鉄道とゴールドラッシュブームの時代だったりする。

この時代の有名人にはビリー・ザ・キッドやバット・マスターソンのような人物が居る。

西部劇で語られるように鉄道強盗をするギャングが居たり、保安官が居たり、カウボーイやガンマン同士のタイマンの決闘があったりする時代で、晒し首だとか引きずりだとか銃殺刑も頻繁に行われた無法時代とも言える。

アメリカ全土にきちんとした法整備と社会システムが構築されるようになるのは1900年代の頃からになる。

1860年代と言えば、日本では明治維新に突入しておりクリミア戦争が終わった時代になってたり、帝国主義時代に突入する頃の時代にあたる。

アメリカはこの時代において統一政府が出来てたのか? というと、フロンティアが消滅する1900年代までは法整備がきちんと整えられていない状態だったと言える。

『ドラえもん』や『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の影響で今の中高年には人気の高い時代なのかもしれない。

西部劇を分かり易く言うのなら、アメリカ版時代劇のようなものだから、今の日本の中高年にとっては戦国時代や幕末のように人気の時代かもしれない。

有名な『荒野の七人』は『七人の侍』からリスペクトしている。それで版権問題になったとか。

西部開拓時代の戦闘方法は日本の幕末や戦国時代と違って、アウトローな人間同士で絡んでタイマンで決闘するようなスタイルになっている。

日本史に例えるのならヤクザやマフィアの組織別の抗争事件に近いと思う。

犯罪者同士が戦闘したり保安官みたいな奴が犯罪者を取り締まる場合が多い西部劇だが、実際にはネイティブアメリカンの犠牲者の方が多いしそっちでの戦闘の方が多い。

西部劇そのものは日本史で言うと、どういう時代に近いのか? というと、太平洋戦争後のヤクザの抗争を描いたヤクザ映画だとか任侠映画に近いと思う。

ただ、西部劇は個人と個人の対立が多いので、組織で行動するヤクザ映画とは少しスタンスが違う気もする。

なんで西部劇の話をしたのか? というと、管理人が好きな時代の一つに「西部開拓時代」が含まれてるからさ。

藤子先生の影響で西部劇映画を見始めてから嵌ったので、戦国時代や幕末、江戸の時代劇、ヤクザ映画並に西部劇の映画やドラマが好きだったりする。

子供の頃はカウボーイだとか保安官になりたいみたいな夢もあった。

 

 

 

>戦争の犠牲者数について

人類最古の戦争はラガシュ・ウンマ戦争と言われている。紀元前25世紀頃に発生したこの戦争は人類最古の戦争記録としてエアンナトゥム王に記録された。この戦争は古代メソポタミア文明のシュメール初期王朝時代に発生したと言われている。犠牲者数については不明。その後、紀元前15世紀のメギドの戦いで犠牲者数や損害、戦争の詳しい状況を記録するようになった。メギドの戦いではカナン連合側で死者が83人、捕虜が340人発生する。この戦いは古代エジプト王朝のトトメス3世の軍が勝利したと言われている。この戦いではチャリオットと呼ばれる戦闘式の馬車が活躍している。

古代エジプトから約1000年が過ぎた時代。アレクサンドロスが活躍したペルシア戦争(紀元前4世紀)では死者が6400名に達したとも言われている。この頃には投石器やファランクスが誕生している。

古代中国の楚漢戦争(紀元前3世紀頃)では約60万人以上の兵士が導入されたと言われる。『史記』によればこの内の1/10の兵力が死者数になったらしいので約6万人が犠牲になったと言う事になる。この頃には砦のような城が作られていて剣や刀などの武器も登場している。

紙の製法や三大発明がイスラム世界に伝えられたタラス河畔の戦いでは死者数が5万人に達している。

バグダッドの戦いでは世界史最強のチンギス・ハーン率いるモンゴル帝国がアッバース朝を虐殺に追い込んだ。この時の死者数は兵士が5万人。市民は20~80万とも200万人とも言われている。おそらく世界史において市民の犠牲者数が明確に記録されるようになったのはモンゴル帝国が現れてからな気がする。モンゴル帝国は都市を支配する為に民間人も虐殺するようにしていた。この頃の戦争では死体や動物、糞尿を都市や砦に放り込まれる戦法が取られるようになっていて、これがきっかけで感染症や伝染病が流行るようになった。モンゴル帝国がイスラム世界とヨーロッパと中国を支配するようになると、彼等が連れて来たネズミやウイルスがヨーロッパや中国を襲うようになっていった。ヨーロッパは大航海時代が来る前にもペストに悩まされる事になる。火薬が発明されたのはこの頃の中国からである。この頃の戦争は弓矢と騎兵隊が主流な武器として活躍した。

東ヨーロッパのフス戦争では数千人の犠牲者が出た。このフス戦争では中国が発明した火薬が大量に使用されて世界史における戦争の様相を大きく変化させていった。

アメリカ独立戦争においては約5万人の犠牲者が出た。この頃には銃や大砲、軍艦など新しい兵器も発明されている。しかし、犠牲者数や死者数そのものは今までの戦争と特に違いがない。戦争の規模としては今までの戦争の範囲と距離に比べると小規模と言える。アメリカ独立戦争はアメリカとヨーロッパ各国の植民地戦争に過ぎない。

ナポレオン戦争の最期の戦い、ワーテルローの戦いでは約8万人の兵士が犠牲になった。

戦争に残虐なイメージと悲惨さが持たれるようになったのはこの時代からだとも言われている。マスケット銃など銃や大砲の殺傷能力が著しく高くなり、一発受けただけで死に至るまでの状況に変化していった。

クリミア戦争では約26万人の民間人と兵士が犠牲になった。この戦争ではロシア・ブルガリア連合軍とオスマントルコ、イギリス、フランス、サルデーニャ王国が激突した。個人的には「第零次世界大戦」と思える悲惨な戦争だと思うのだが、「第零次世界大戦」は日露戦争に付けられている別称らしい。火薬のパワーアップで肉体の一部を損壊・損傷する者も一気に増加していった。看護士や看護婦が有名になったのはナイチンゲールからだと言われているので、この戦争がなければスイスの赤十字社や看護士などが世間一般になることはなかった。

第一次世界大戦(1914-1918)の時代に入ると、約1000万人の兵士が犠牲者になった。戦傷者と行方不明者は合計で約2700万人にも上る。

この時代の戦争の異常性は大量殺戮兵器が完成したことで一度の兵器の発動で何十~何百人もの命を同時に奪えるようになったことだと言える。特にこの戦争で恐れられたのが毒ガスや射程の長いライフル銃、機関銃などだったと言われる。この戦争で顔を崩した人やPTSDを患う人も登場するようになり、チャーチルはこの戦争以降の戦争は民間人や子供、女性も犠牲になることを予言した。ヨーロッパはこの戦争で多くの若者の命を犠牲にして一世代丸々を損失して労働力を損なう結果になっている。

第二次世界大戦(1941-1945)では6200万人もの民間人と軍人が犠牲になった。

この時代に入ると、戦車や戦闘機(飛行機)、戦艦、潜水艦などがメジャーな乗り物となり、兵器として運用されることになっていった。終盤の1945年には日本に原子爆弾が撃ち込まれ、核兵器と生物兵器が次の戦争の切り札、最後の手段として使用されていくことになる。

産業革命は大量生産と大量消費社会の構図を生み出し、多くの命を助けるきっかけに繋がったが、皮肉にもその影響は戦争にも色濃く表れるようになった。産業革命で発明された乗り物や化学物質は戦争で役に立つ兵器として応用されて民間人と軍人を問わない大量殺戮兵器を生み出す要因に繋がっていった。

現代戦争の最新版とも言える「イラク戦争」では合計で3~10万人以上が犠牲になったと伝えられている。

戦争の被害とトラウマは現在も人類の脳裏に植えつけられ続けている。

 

 

>ナポレオンと冬将軍

ナポレオン・ボナパルトを語る上で欠かせないのがロシア遠征時の「冬将軍」だと思う。ナポレオン自身のプロフィールと歴史は様々な書籍とネットで語られてるので割愛する。

「冬将軍」というのはロシアや日本を襲う最大の寒波の気候現象の事で一晩であらゆる物が凍り付く現象である。「冬将軍」の語源はナポレオンがロシアから後退する際に新聞の一面記事の見出しに使ったイギリスの新聞記者が使った言葉が語源とされる。

「冬将軍」に遭遇した遠征時の歴史上の人物は実はナポレオン以外にも居る。有名なのは18世紀に活躍したスウェーデン王「カール12世」と20世紀に活躍したナチスドイツのアドルフ・ヒトラーと言われている。

カール12世はわずか15歳でバルト帝国(スウェーデン)の国王になった人物で18歳から36歳に死ぬまでに幾度となく戦争や遠征を繰り返した。戦争屋とも言えるぐらいの無類の戦争好きだったらしい。1700年に大北方戦争が始まると、近隣諸国を出し抜いて国外に進出して各地を転戦した上で北方同盟を結成したロシアやデンマーク=ノルウェー、ポーランド・リトアニア共和国を打ち破ったと言われている。カール12世が仕掛けた戦争はほぼ全てが連勝になっており、諸国が和睦を申し出たにも関わらずカール12世の頭の中ではロシア遠征しかなかったので和睦は拒否された。1706年~1707年のわずか1年間の間に休養を取った後にロシアのピョートル1世と敵対してバルト地方にまで迫ったロシアと対決を目論んでロシアへの遠征を開始した。だが、ロシアでの長期戦によりスウェーデン軍の物量が著しく消耗し、ロシア側の焦土作戦と冬将軍の到来でスウェーデンは疲労困憊となった。その後、レスナーヤの戦いで兵站を全てロシアに奪われてしまい、カール12世はオスマン帝国領に亡命した。だが、その間にロシアにスウェーデンを侵攻されてしまい、亡命先のオスマン帝国の皇帝とも不和となる。ただ、この場合はカール12世が動かしたオスマン帝国の皇帝のアフメト3世との考えが一致しなかった事が原因である。ロシア侵攻に固執し過ぎたカール12世は亡命先のオスマン帝国をも動かしてロシアを支配しようとしたが、最終的にノルウェー攻略戦の要塞の周辺で戦死する。カール12世の遺体はミイラ化しており、1910年代に棺が開封される。Wikipediaにはミイラ化した遺体の写真が載せられた。

カール12世は好戦的な性格だったようで特に不凍港目当てで侵略してきたロシアを生涯の敵として北欧地域で戦争を繰り返した。その生涯は18歳から36歳までの約20年間近くが戦争の日々だった。

それから約100年後のフランスのナポレオンがロシア遠征に赴いたが、カール12世と同じく冬将軍とロシア兵の焦土作戦で戦闘が長期化してフランスの兵力を大幅に落とした。あと2ヶ月早ければモスクワを攻略出来たそうだが、途中から繰り出されたコサック兵の奇襲作戦などでも苦しんでナポレオンもカール12世と同じくロシアから後退している。ロシア後退後はロシアの呼びかけでイギリスとロシアが同盟を結ぶ。その後、同盟を破棄したプロイセンやオーストリア、スウェーデン、ライン同盟の諸邦もナポレオン包囲網を形成するようになった。織田信長を囲んだ信長包囲網と同じくナポレオンも四面楚歌の状況に追い込まれ、ワーテルローの戦いでナポレオンは敗北して歴史の表舞台から姿を消す事になる。ロシアから後退する際にはフランス祖国ではブルボン復古王政が敷かれていたので、フランス内部にもナポレオンの敵対勢力が潜んでいた事になる。冬将軍から撤退するナポレオンは「余はカール12世のようになりたくない」と呟いたという。カール12世はロシアから撤退後にオスマン帝国を動かしてピョートル1世を捕まえるところまで差し迫っていたが、オスマン帝国の皇帝との不和によりオスマン帝国を追われて北欧のデンマークやノルウェーとも交戦する事を戦死するまで強いられた。

ナポレオンが歴史の表舞台から消えた第二次世界大戦の時にはナチスドイツのヒトラーがやはりスターリングラード戦線でロシア遠征を目指した。この時のロシアはロシア革命後のソ連になっていて、指導者がスターリンになっていた。ヒトラーはナポレオンが冬将軍に失敗した歴史を知っていたが、この時のドイツは戦車や機械でソ連攻略を目指していたので、冬将軍が到来するまでにソ連を攻略出来ると考えていたらしい。

しかし、冬将軍が来るまでにモスクワには全く辿り着けず、戦車は馬や人と違ってエンジン部分が凍結し易くキャタピラも泥と溝に嵌って全く動かなくなったのでそこをソ連兵(コサック隊)に狙われて集中攻撃を受けた。当時のソ連はシベリアの強制労働があったので捕虜になった時は人命の最期を意味していた。

ヒトラーは暖かいベルリンの地下壕で命令を下していたが、敗戦が確実となり自殺した後はソ連に遺骨が回収されて今現在もロシアがヒトラーの頭蓋骨と遺骨を保存されている。

このように冬将軍は歴史的に3度もロシアの防衛戦で活躍している。但し、ロシア国内においても冬将軍で凍死する人は現代にも居る。

ロシアの冬将軍が到来する前にロシアを攻略したのは13世紀のモンゴル帝国だけと言われている。モンゴル人とモンゴルの気候はロシア以上に寒い上に騎馬兵はモンゴル帝国が一番うまく使いこなせた。

ちなみにカール12世が軍事的に利用していたオスマントルコもその大群の勢力でピョートル1世を捕縛出来る勢いだったらしいので、世界史的にはロシアを負かす事が出来たのはオスマントルコとモンゴル帝国だけと言う事になる。

冷戦時のアメリカや日露戦争の大日本帝国、スターリングラード戦線のナチスドイツやナポレオン戦争のフランス、カール12世のスウェーデン(バルト帝国)でさえも完全に攻略できなかったロシアを完全に負かす事が出来たオスマントルコとモンゴル帝国が世界史で最強の軍隊なのかもしれない。

 

 

>フランス革命(1789年)

近代史を語る上で外せない事件だと思うので解説しておく。さっきも説明したように近代史の始まりは「フランス革命」か「産業革命」からと言われている。フランス革命はそれまでの近世的な封建制度政治を崩壊させた事件としては人類史におけるターニングポイントとも言える。この事件の成功をきっかけにヨーロッパ全土で市民革命が発生し、王政や貴族政治の権力は次第に弱まっていき、最終的に実権が議会政治に入れ替わる事になる。日本においては幕末における討幕運動がこれに当たるが、実権を取得出来たのは現代においても薩長藩の藩士の子孫であるので、真の民主政治は手に入れていないと考えられる。

18世紀末期に起こったこの事件はフランスにとっては20世紀における二度の世界大戦や19世紀におけるクリミア戦争、普仏戦争にも繋がっていく事になった。

元々はこの革命運動はフランス王権に対する貴族の反乱だったが、1789年以降には全国民を巻き込む本格的な革命になった。政治体制は絶対王政から立憲王政、共和政へ移り変わり、19世紀に至っては他のヨーロッパ諸国や日本も近代の政治体制の模範として受け入れていった。

フランス革命は戦争と違うので、瞬間的な事件のように思えるが、実際には1787年の貴族の反乱~1799年のナポレオンの台頭まで革命の期間として続いた。その間のフランスの内政は滅茶苦茶になり、産業生産能力も低下し、自国の人口減少のきっかけにもなっていった。

経済学者のカール・マルクスは『資本論』においての人類史を経済や社会体制に例えて説明した。その際のこの事件は第4段階の資本主義体制(近代経済と政治体制)のきっかけになった事件として説明されている。

18世紀当時のフランスでは啓蒙思想家のルソーや百科全書派のヴォルテールなどによって社会契約説が知識層の大半に受け入れられていた。それに共感した国民が当時の社会体制に対する不満を蓄積させていった。ブルボン朝のルイ16世は漸進的な改革案を目指したが、特権階級の貴族と国民の間にあったわだかまりや不信感を払拭出来なかった。

1789年7月14日のバスティーユ牢獄の襲撃事件をきっかけにフランス全土で騒乱が発生。第三身分(平民)による国民議会が発足して革命の発展に伴って絶対王政と封建制度は崩壊していった。

革命がヨーロッパ全土に波及することを恐れたヨーロッパの王達は内政干渉を行おうとして反発する革命政府軍との間でフランス革命戦争を起こす事になる。

ルイ16世を初めとする知識層や貴族へのギロチンの連続、カトリック教会制度の見直し、ヴァンデの反乱、ジャコバン派の恐怖政治、クーデターの連続などでフランス国内は大量殺戮と内政の不安定さが顕著になった。1794年のテルミドールのクーデターでジャコバン派の粛清が行われたが、1799年のブリュメールのクーデターや1801年のローマ教皇とフランス政府のコンコルダートの和解まで内政のざわめきと社会秩序の不安定さは続いた。

民法やメートル法などはフランス革命に生み出された概念で、現在もこれらの制度やシステムは利用されている。

フランス革命は何が原因だったのか? というと、18世紀にヴォルテールやルソーが啓蒙思想をフランス国内に広めて知識層や国民の中に当時の社会体制に疑問を持ち崩壊させようとする考えが生まれた事だと思う。フランスでは絶対王権体制が18世紀末にも続けられていて、国民は3つの身分に分かれていた。第一身分はキリスト教を取り扱う聖職者14万人。第二身分は貴族40万人。第三身分は平民2600万人という構図だった。

第一身分と第二身分には年金支給と免税特権が認められていた。騎士や戦闘階級の人達は第一身分か第二身分なのか分からないが、将軍や司令官クラス以外の騎士は第三身分だと思われる。

学習漫画やテレビ番組などではフランス革命は贅沢や金の浪費を惜しまなかったマリー・アントワネットやルイ16世のような王族や貴族が原因とされているが、実際にはマリー・アントワネットもルイ16世も暗愚かつ貪欲な君主という訳ではなかったらしく、政治の抜本的な改革にも積極的だったらしい。特にルイ16世は平民に対する免税や食糧の支給などを考えていたらしい。アントワネットは宝石や貴金属などをコレクションする趣味があり、ルイ16世はかなりの肥満体だったが、当時の王権政治ではそういった贅沢は普通だった。

ルイ16世の時代ではフランスに45億リーブルの財政赤字があり、ルイ14世の時代から続けられてきた外国との戦争出費や宮廷の浪費、ジャン・ローの開発バブルの崩壊が原因などで国内の財政は圧迫されていた。この状況下でルイ16世はアメリカ独立戦争への援助も行った事でフランス政府の財政が破産の寸前に近付いたと考えられている。

そこでテュルゴーを財務長官に任命して財政改革を行おうとした。具体的なやり方は第一身分と第二身分に対する増税だったが、聖職者と貴族の猛反発を受けて挫折する。その後も経済に詳しい専門家に財政改革を任せたが、その改革も特権階級の反発を受けて挫折し、辞任に追い込まれている。

フランス革命勃発のその他の原因としては1783年のアイスランドで起きたラキ火山の噴火で日照量が減少したことで農作物の不作と寒冷化が始まった事も挙げられる。小麦の価格が4割高騰してパンの価格上昇で更なる貧困が生まれ、国庫収入も激減して債務償還も難しくなっていった。

17世紀~18世紀の頃の日本の江戸時代でも三大飢饉や火山噴火、大規模な地震があり、グリムスボトンやエルトギャウでも火山噴火が起こり、農作物の不作と寒冷化に繋がっていった。

その後、球戯場の誓いを過程事件として、バスティーユ牢獄の襲撃に発展する。当初は全国三部会を行い、投票で政治や経済の負担を決めるやり方を行っていた。その際は第三身分の意見も取り入れる為に第三身分も議会に召集された。しかし、投票数が第三身分だけでも第一身分と第二身分を上回ってるにも関わらず、特権階級が議論を進めようとはしなかったので、国民階級は自分達で国民議会を発足させた。国民議会の発足には絶対王政が限界だと感じた第一身分や第二身分も合流しており、最終的には国王に議会の存在が承認された。国民議会は憲法制定国民議会に改称して、憲法制定に着手する。しかし、特権階級と王族がこれに猛反発して軍隊をヴェルサイユとパリに集結させる事を国王に強要した訳である。

その後の歴史は1789年の「バスティーユ牢獄襲撃事件」→1791年の「ヴァレンヌ事件」→1792年の「フランス革命戦争」→「8月10日事件」→1792年の「フランス第一共和政」という順番で続く。詳しい概要はWikipediaや山川の世界史B教科書を参照。

このフランス第一共和制樹立の時に旧政治体制の象徴だったルイ16世やマリー・アントワネットが処刑され王族以外の王族の側近の貴族などもギロチン送りにされた。

ギロチンは残酷のように思えるが、一瞬で死刑に出来る為に作られた死刑専用道具で20世紀初頭までギロチンが活用されたという報告がある。ギロチンで切り落とした首にはまだ息があるという報告例もあるが、写真が発明される前の19世紀にギロチン処刑の実験をした科学者が居た以外には最近の報告例はない。20世紀に首なしマイクと呼ばれる鶏が首をはねられて数年生きたという報告例があるが、人間が首を失っても生き続けられる例は現代に至るまでは全くない。

ギロチンは残酷の象徴として『ベルサイユのばら』にも登場したが、実際は日本の介錯と同じで身分の高い人が苦しまずに処刑される為に用いられていた道具に過ぎない。

21世紀よりも先の未来を描いた『機動戦士Vガンダム』ではギロチンが恐怖と残虐な象徴として描かれているが、実際には高貴な人間を苦しまずに殺す処刑道具なので、敵軍の司令官や将軍に用いても政治的効果は薄いと言える。

ルイ16世やマリー・アントワネットが処刑されたあとにマクシミリアン・ロベスピエールがジャコバン派を結成し、恐怖政治の独裁体制を築くが、ロベスピエール自身も「テルミドールのクーデター」でギロチン送りにされていった。

ロべスピエールも創作や歴史番組などでは悪役として描かれているが、プランテーション農業を強制されていた黒人奴隷を独断で解放したという話も残っている。黒人奴隷の解放に尽力したリンカーンは19世紀の人物、ケネディは20世紀の人物になる。

ロベスピエールが粛清された後に過激な革命運動は沈静化して再びブルジョアジー勢力が復権する事になる。ブルジョワとは富裕層や支配層を意味する人々の事で、ここでは旧政治体制を行っていた絶対王政を指す事になる。

1795年10月26日に国民公会が解散されて総統政府が成立。1799年のブリュメールのクーデターでナポレオン・ボナパルトが執政政府を樹立して独裁権を掌握した。

革命後のフランス第一共和政はナポレオン独裁体制の開始で10年の短命で解散する。ナポレオンの登場以降、フランスは戦争の勝利や領土拡大などで経済と政治を立て直すが、ナポレオンが失脚したあとはブルボン王朝が再度復活する事になる。これをフランス復古王政とも呼ぶ。

フランス革命の結果、世界ではメートル法や奴隷制の廃止といった概念が浸透していく事になる。フランス革命の恩恵と言えば、やはり人権と人民の平等と自由権などと言える。この考えを延長させた結果が黒人や有色人種の解放運動に発展していった。

貴族制や王制はフランスでは廃れたように思うが、19世紀の中頃には地主や資本家へ転身し、現在もフランスの各界の著名人として子孫は活躍しているらしい。

フランス革命の影響は世界に衝撃を与え、世界でも君主論の廃止と平民への参政権を獲得する社会運動に発展していった。イギリスでは清教徒革命と名誉革命、アメリカでは独立革命に発展していった。イギリスでは王族や王政が廃止される事はなかったが、実質の実権は国民から選ばれた首相が議会政治を置く事で進む方向になっていった。アメリカでは戦争で活躍したワシントンが初代総理大臣として就任し、イギリスの支配から国として独立していった。

20世紀初頭にはロシアでもレーニン率いる共産党が王政を追放して王族を虐殺に追い込むロシア革命に発展している。但し、ロシアでは王政→資本主義→共産主義の順序で政治体制が変化せず、王政→共産主義の順序で政治体制が変化してしまったので、ロシア革命をプロレタリア革命に分類しない場合がある。マルクスが主張するプロレタリア革命は労働者が資本家や経営者に対して起こす社会運動の結果の共産主義をプロレタリア革命と述べているので、ロシア革命は市民革命に分類される事が多い。

王政や封建制度から資本主義体制へ変化する社会革命を市民革命と述べる。そして、資本主義体制から共産主義体制へ変化する社会革命はプロレタリア革命に分類される。

但し、ロシアの場合は資本主義体制のプロセスを組まずにレーニンが自分達の都合の良い部分をプロレタリア革命と捉えているので、ロシア革命はプロレタリア革命に分類されない。

支配層だった王族や貴族に対する処罰はフランス革命と同じく虐殺や粛清だったので、新時代的な革命をロシア革命や文化大革命と置く事は出来ないだろう。

多くの研究者や一般人の間ではマルクスが掲げるプロレタリア革命を実際に起こしている国や地域、時代はまだ存在しないと考えられている。プロレタリア革命の被支配層は労働者で、支配層は経営者や資本家に該当する。

イギリスのラッダイト運動がプロレタリア革命に近いのかもしれないが、社会体制と経済システムは資本主義体制のままなので、ラッダイト運動は単なる社会運動に過ぎないと言える。

ネット上や今日のフランス以外の国ではフランス革命を誤った革命、歴史的に起こすべきでなかった事件という批判論の方が多数を占める場合が多い。

私はフランス革命やナポレオンにそれほど詳しくないので具体的にフランス革命やナポレオンが社会的にどう悪だったのかは説明するのが難しい。

フランス革命後にナポレオンが登場して、イギリスで産業革命が起こるが、フランスでは戦争と内政の激しい入れ替わりが起こったので科学技術における近代化が遅れたという話を聞くこともある。

フランスではナポレオン登場以降もド・ゴーン時代まで内政の激変が繰り広げられ、普仏戦争以降はフランスは軍事に弱いというイメージも世界に波長するようになっていった。

フランス革命の後世に与えた影響はアメリカの独立や黒人・有色人種の解放運動に繋がっていった事。独裁政治というものが古代ローマ帝国のネロ帝以来にロべスピエールから復活した事が挙げられるのではないか、と思われる。

ナポレオン登場以降はナポレオン、レーニン、ヒトラー、スターリン、毛沢東、ポル・ポト、金正日という順序で独裁者が次々に現れては品位や政治的駆け引きが下手な者が出てくるようにもなっていった。

カール・マルクスが人類史を社会体制や経済システム、政治体制で区分する事はフランス革命がなければ起こらなかったとも思われる。フランス革命以降に議会政治がヨーロッパに普及し、19世紀初頭の産業革命で資本主義体制が確立していった。

単に産業革命だけが起こったとしても、支配層となる人物や層は王族や貴族のままだった訳なので、資本主義体制が起こらなかった可能性も高い。

近代史を代表する資本主義体制は「フランス革命」の政治思想と「産業革命」の大量生産と工業化によって確立し、マルクスが人類史を社会体制で区分する事が出来る事を発見するに至った訳である。

マルクスはダーウィンの『種の起源』にも影響を受けているので、人類史の社会体制を段階的に区分する事を見出したのは自然科学の地質学の発展にも影響されているのかもしれない。

マルクスは人類史における経済システムと社会体制を次の5段階で表現した。

第一段階は原始共産制である。これはおそらく約250万年前の狩猟採集革命~約1万年前の農耕牧畜革命の時期を指していると思われる。身分制度に明確な上下関係がなく、私有財産と個人居住地がないといった社会体制である。人類史においては真の平等と言える時代かもしれない時代にあたる。原人はホモ・サピエンスとは別種なので、厳密には約20万年前のホモ・サピエンスの出現時を指すのかもしれない。

第二段階は奴隷制である。これはおそらく約1万年前の農耕牧畜革命~5世紀のゲルマン民族の大移動の時期を指していると思われる。実際には文明が発達した古代ギリシャ文明から始まるらしいが、白人史観だと思うし、前段階と続いた方が分かり易いと思うので、このブログでは1万年前にセットさせてもらう。農耕牧畜革命で定住生活が確立すると、国家や文明、宗教と戦争の概念が生まれる。戦争で負けた国の平民は奴隷として活用されるので、様々な民族が細かい身分制度を敷かれる事になる。古代ローマ帝国以前の奴隷制度は黒人奴隷制度に比べるとそれほど悲惨ではなかったらしい。現在のヨーロッパ民族に繋がるゲルマン民族やガリア人は当時のローマの人々から蛮族として見下されていた。しかし、ゲルマン民族の大移動でローマ帝国が征服されるとヨーロッパ大陸の支配権は蛮族に移っていった。

 

第三段階は封建制にあたる。これはおそらく5世紀のゲルマン民族の大移動~18世紀の産業革命の時期を指していると思われる。ローマ人が蛮族を見下していた理由は自民族の中で厳しい身分制度を設けており、蛮族の首長が富や権力を独占していたからという説がある。ゲルマン人やガリア人はローマ帝国を滅亡させた後にドイツやフランスの原型となる国家を設立し、首長だったものは王様として君主政治を行う事とした。この時代に王・貴族・騎士と聖職者・平民という3~5段階の身分制度が発生する。奴隷制の段階では貴族・国民・奴隷といった3段階形式だった。ローマ人と入れ替わったヨーロッパ人は侵略や領土争いを頻発化させて国民の不平不満や人種差別問題を産み出していった。そして、18世紀末のフランス革命で国民の怒りが爆発して封建制度が倒れる事になる。イギリスが起こした産業革命で産業が安定化して経済成長が発展するようになると、資本主義体制へとランクアップしていった。

 

第四段階は資本主義体制にあたる。これはおそらく18世紀の産業革命~現代の時期を指していると思われる。フランス革命で政治思想の変革と産業革命で経済の安定化と成長発展を遂げるようになると、富や資本をより多く持った者が権力を持つようになるといった体制になる。マルクスが『資本論』を記述していた当時は商人や資本家の腐敗が王族や貴族並に激しかったので、資本主義を否定している記述内容にも思われる。この『資本論』を自分達の正当化の為に利用したのがレーニンや毛沢東の掲げる共産主義体制だが、彼等の共産主義体制はマルクスが意図する共産主義体制から外れているという意見もあり、本来の共産主義ではないという意見もある。資本主義は20世紀の第二次世界大戦以降から安定し始め、帝国主義や人種差別も撤廃されていき、法律改正も進んでいったので、ある程度は労働者の自由と賃金の安定化は図られている。しかし、21世紀のIT革命で新自由主義思想が発生すると、デフレ化の状況とグローバル化の自由競争もあってブラック企業問題や若者の失業問題を招くに至った。現代の社会では富裕層に該当する者が大企業の経営者や安定経済の恩恵を受けてきた高齢者層などに該当するので、次回の技術革新が起こった時はネオ・ラッダイト運動が増長したプロレタリア革命が発生する可能性も高いと言える。次回の技術革新の可能性は「ロボット革命」が挙げられる。現代の先進国は技術革新以外に超高齢化問題やブラック企業と非正規労働の増長、移民・難民問題などが挙げられるので、今世紀中に資本主義が維持出来るかどうかは怪しいと思われる。

 

第五段階は共産主義体制にあたる。マルクスが『資本論』を執筆していた当時に共産主義社会やプロレタリア革命は発生しなかったので、未来社会の体制を予測した段階だと言える。20世紀初頭に『資本論』を都合よく捏造したレーニンが共産主義国家を樹立し、毛沢東やポル・ポトがレーニンの影響を受けて共産主義国家を樹立させたが、マルクスが主張する共産主義国家はレーニン達の共産主義国家とは成立が異なるという意見がある。ロシア革命は市民革命に分類されるものでプロレタリア革命に分類されない革命と判断されている。共産主義体制への移行は労働者が資本家や経営者に対して起こすプロレタリア革命後に生まれる社会体制だと考えられている。レーニン達の革命は共産主義の名を借りてはいるが、実際には王族や封建体制を崩壊させたフランス革命と変わらない。支配構造については王族から共産主義の活動家に切り替わっただけなので富や利益の再分配は資本主義より進んでいない。マルクスの掲げる共産主義はまさに身分制度が撤廃されて同一労働と同一賃金を分配するというやり方にあたる。20世紀後半の日本が世界で最も成功した共産主義国家とも呼ばれていたが、21世紀のIT革命や新自由主義の発想、グローバル化の自由競争、世代間格差の超高齢化社会問題、ブラック企業や非正規労働、ニートやフリーター問題などで日本の社会システムも崩壊寸前の状況に陥ってる。個人的にはマルクスが主張する共産主義体制への移行は次の技術革新になる「ロボット革命」か格差の更なる拡大、移民・難民問題などになってくるとは思ってる。IT革命で労働と消費の二極化と格差の拡大が深刻化した訳なので、ロボット革命が実現した場合には多くのマジョリティーが貧困層に転落する訳なので、マジョリティーの数がマイノリティーの数を上回るのならば、プロレタリア革命が発生するのではないか、と考えている。スウェーデンやノルウェー、フィンランドなどの北欧地域ではニートやフリーターに分類される若者が暴動を起こしたり犯罪を起こしているし、ドイツにもネオナチなどの若者は増加傾向にあり、ヨーロッパ各国ではイスラム国への進出を目指す若者が増加しているので、これ以上の世代間格差と労働力の二極化、技術革新などが起こればマジョリティーが貧困層側に傾倒する可能性は高いのかもしれない。

 

 

>ナポレオン戦争(1803-1815年)

彗星の如く現れた希有の英雄「ナポレオン・ボナパルト」はコルシカ島で生まれ、エリート軍人としてフランス革命の時代を生きていた。ナポレオンは文官の才能も持っており、数学・科学・文学・歴史・芸術・政治経済方面において才能をフルに発揮し、興味・好奇心のある学問には全力で支援した。過去の歴史上の人物で言うと、古代マケドニアのアレクサンドロス大王に似た学問好きの将軍だった。ナポレオンは学者を引き連れて、エジプトに遠征してピラミッドを発掘させたりロゼッタ・ストーンを発見するなどの文化的な功績も挙げていた。

ナポレオン戦争とは正式名称の戦争ではなく、ナポレオンが戦争を繰り広げていた時代の総称・戦争の集約を意味する。別名「ナポレオン時代」とも呼ばれる。このナポレオン時代は実際に軍事史で紹介され、ナポレオンが実行した作戦や軍略についてもナポレオンの名前が使われた。軍事史で歴史上の人物の名前が記述されたのはナポレオンが初めてだったらしい。

1803年にアミアンの和約が破られてから1815年にナポレオンが敗北するまでの期間に行われた戦争が「ナポレオン戦争」になる。

ナポレオンの率いるフランス軍と同盟国のホラント王国、イタリア王国、エルトリア王国、ヘルヴェティア共和国、ナポリ王国、ワルシャワ公国、ライン同盟、デンマーク=ノルウェーとイギリス、オーストリア、オスマン帝国、ロシア、プロイセン、スペイン、ポルトガル、両シチリア、教皇領、サルデーニャ王国、スウェーデン、ネーデルラント連合王国、ブルボン家、ハノーファー選帝侯国、ナッサウ公国が激突した。

ナポレオンの敗北はロシア遠征の冬将軍が決定打になるが、それ以外の国との戦争ではいずれも勝利あるいは退けるのに成功している。スペイン独立戦争の時は敗北している。

ナポレオン戦争のいきさつと流れを説明してると時間がかかるので、主な戦争の名前だけ紹介しようと思う。

 

・第一次イタリア遠征(1792年)・・・・・・・・・・VSイギリス、オーストリア、プロイセン、スペイン(第一次対仏大同盟)

・エジプト遠征(1798年)・・・・・・・・・・・VSオスマン帝国、イギリス(第二次武双中立同盟)

・第二次対仏大同盟(1798年)・・・・・・・・・・VSイギリス、オーストリア、ロシア(ナポレオン帝政)

・第三次対仏大同盟(1805年)・・・・・・・・・VSイギリス、オーストリア、ハプスブルク家、ロシア(ライン同盟)

・第四次対仏大同盟(1806年)・・・・・・・・・VSイギリス、ロシア、スウェーデン(パリ条約)

・スペイン独立戦争(1808年)・・・・・・・・・VSスペイン、ゲリラ、イギリス(マドリードの蜂起)

・第五次対仏大同盟(1809年)・・・・・・・・・VSイギリス、オーストリア、スペイ(シェーンブルンの和約)

・ロシア遠征(1812年)・・・・・・・・・・・・VSロシア

・第六次対仏大同盟(1813年)・・・・・・・・・・VSイギリス、オーストリア、ロシア、プロイセン、スウェーデン(解放戦争)

・第七次対仏大同盟(1815年)・・・・・・・・・・VSブルボン家、イギリス、オランダ、プロイセン、ベルギー(第二次パリ条約)

ナポレオンは1769年のコルシカ島に生まれ、フランスで育った。ナポレオンは陸軍士官学校に入隊したが、彼が専攻したコースは当時人気が高かった騎兵科ではなく、砲兵科だった。

しかし、この決断は後のナポレオン戦争で活かされる事になる。ナポレオン戦争以降の第一次世界大戦までヨーロッパ諸国ではナポレオンの軍事戦略が熱心に研究され、ナポレオンが頻繁に活用した大砲戦術が近世戦争における主力兵器へと進歩していく事になる。

ナポレオンは軍人にしては珍しく、友達が少なく無口で、いつも本ばかりを読んでいた。だが、この時の経験と知識が後のナポレオン戦争で活かされ博学博識多才な一面を発揮させる事になる。ナポレオンは数学・考古学・文学・哲学などが好きな学問好きだったらしく数学の成績は抜群に高かった。

1793年政変に巻き込まれて家族共々追放されていたナポレオンは原隊に復帰。その後、家柄と身分の良さで大尉に昇進。トゥーロン攻囲戦で少佐に昇格します。

1794年にロベスピエールがテルミドールのクーデターで処刑された後、ロベスピエールの弟と接点があったナポレオンはその関係で逮捕されます。

1795年ヴァンデミエールの反乱が起こると、ナポレオンは釈放されて副官として登用されます。首都の市街地で市民に向けて大砲をぶち込んで反乱を鎮圧かさせます。後に国内軍司令官の役職を手に入れます。ナポレオンは大砲と共に出世してきた男と言っていいほどの大砲好きでした。そして、近世における戦争は大砲が主力兵器として活躍していき古代から続けられてきた歩兵や騎兵の存在価値は徐々に薄まっていくのでした。

1796年のフランス革命戦争でオーストリアとカンポ・フォルミオ条約を結び第一次対仏大同盟を崩壊させ、イタリア北部の広大な領土獲得を行い、いくつもの衛星国を建設して莫大な戦利品を手に入れます。ナポレオンが英雄視され始めてイタリア遠征がナポレオン戦争の契機に見られる一端になったのはこの戦争が原因だったのかもしれない。

その後、遠征と戦争を繰り広げたナポレオンは1804年に国民投票で皇帝に選ばれます。これ以降、ナポレオンの一族は代々が皇帝に選出されるようになります。ナポレオンは民主政治で選ばれた初めての指導者あるいは政治家だったのかもしれません。このナポレオンによる政治指導体制はフランス第一帝政と呼ばれるらしい。ナポレオンの孫に至るナポレオン3世の時代には「芸術の都=パリ」というイメージが形作られるに至るそうです。

ナポレオンは戦争や遠征で連戦連勝を繰り返し戦利品と領土獲得に奔走していましたが、1808年のスペイン独立戦争で初めての敗北を喫します。この戦争はスペインとブルボン朝における国王継承問題に介入して、自身の親族者や身内をスペインの王に仕立て上げるといった出来事が戦争の原因になりました。この時にスペイン国民の猛反発を受けて、ゲリラ戦でも苦しむことになります。

1812年にはロシア遠征を開始します。ナポレオンはこれまでの戦争で欧州各国と大陸封鎖令の条約を結んでイギリスの工業製品を受け取れない制度を作りますが、1810年にロシアがこの条例を破り、ナポレオンの勧告も無視します。その結果、ナポレオンは同盟諸国の兵士を加えた60万人の大軍でロシア遠征を決めます。

1812年当時は世界の工場と呼ばれていたイギリスぐらいしか工業化に成功しておらず、重農主義だったフランスでイギリスの代わりに工業製品を欧州諸国に貿易するのが限界がありました。

その後、1814年にナポレオンの軍は冬将軍に遭遇してフランスに帰国するに至ります。冬将軍で倒れた兵士は5万人以上に上るそうで、現代でもリトアニアではナポレオン軍の兵士の遺体がゴロゴロ発掘されるそうです。

ナポレオン戦争がきっかけとなりフランスの人口数はドイツの人口数を下回ることになる。そして、第一次世界大戦と第二次世界大戦でヨーロッパ諸国は若者と一世代を失うことになり、イスラム系移民を労働力として受け入れざるを得なくなるわけです。

1815年にはブルボン朝やヨーロッパ諸国との戦闘で苦戦し、ワーテルローの戦いで完全敗北したあとはセントヘレナ島に島流しに遭い、余生を過ごすことになります。

ナポレオンの遺体は50年近く経った後も腐敗しなかったそうですが、これは『特命リサーチ』や「ディスカバリーチャンネル」などの報告例によると壁紙の塗料に含まれるヒ素がカビを通して中毒になったことが原因とされているようです。

Wikipediaでは再び胃がんという死因が通説になっていますが、一般的な仮説はヒ素中毒か胃がんという扱いになっています。フィクション作品などではナポレオンは暗殺されたという見方が多いですが、暗殺説は根拠が少ないそうですね。

ナポレオンは世間一般では英雄と見られる傾向にありますが、ナポレオン戦争で約200万人以上の命が奪われたそうで、当時としては悪魔や鬼とも呼ばれていたそうですね。

「ディスカバリーチャンネル」のリトアニアで発掘されたナポレオン軍の兵士を科学的に分析したドキュメンタリー番組では置き去りにされた死体の扱いがかなり乱雑に扱われており、死体や兵士を放っておいて自分だけパリに先行して帰ったナポレオンに批難が向くような番組構成になってました。

1831年にはフランス革命とナポレオン戦争で1世代、2世代といった人口数が丸々失われたので、多国籍によるフランス外人部隊が創設されるいきさつになったようです。

フランス革命では40~50代の知識層や貴族、政治家などがギロチンで処刑送りにされ、ナポレオン戦争では30~20代の若い兵士が数多く犠牲になりました。

ナポレオンが後世に与えた影響としては「ナポレオン法典」、「国民軍」「三兵戦術」「指揮官の養成」、「缶詰」、「製糖」「フランス革命の人権理念の海外輸出」などが挙げられるようです。

ナポレオンが使った大砲技術はその後のプロイセンで活用され、普仏戦争でフランス側が敗北する要因にも繋がっていった。

 

 

>アメリカ独立戦争(1775年)

18世紀を語る上で外せない戦争が「アメリカ独立戦争」だろう。アメリカは若い国だが、わずか300年で世界トップクラスの国になったので、アメリカ建国の歴史は外せないと思う。「南北戦争」については関連動画の方が詳しいと思うので、そちらを参考にしてもらうといいと思う。

アメリカ合衆国独立戦争は1775年~1783年続けられた。この時の交戦国はアメリカ、フランス、スペイン、ネーデルラント連邦共和国、オナイダ族、タスカローラ族、ポーランド志願兵、プロイセン志願兵、ケベック志願兵、マイソール王国とイギリス(グレートブリテン)、ロイヤリスト、イロコイ連邦、ヘッセン=カッセル方伯領、ヴァルデック侯国、ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公国が激突した。

この時の指導者はアメリカ側がジョージ・ワシントン、イギリス側がジョージ3世で戦死者はアメリカ側が25000人、負傷者は25000人。イギリス側の戦死者は24000人、負傷者は20000人に及んだ。

この戦争はイギリスの属国・13の植民地州だったアメリカ合衆国が親元のイギリスの支配を拒否した戦争だとされている。イギリスでは「アメリカ独立戦争」と呼ばれているが、アメリカでは「革命戦争」あるいは「アメリカ独立革命」と呼ばれている。

15世紀にコロンブスによって発見された北米大陸はヨーロッパの列強の植民地支配を受けることになった。先住民であるネイティブアメリカン(インディアン)は虐殺されアメリカ大陸の僻地へ追放されることになっている。

アメリカ大陸はイギリス以外にスペインやオランダ、ロシア、オーストリア、プロイセンなどが植民地支配しており、アメリカの前身となる13の州はイギリスの子会社的な存在でアメリカ大陸の政治経済を請け負ってきた。

この戦争後、ネイティブアメリカンの立場はアメリカ合衆国に委ねられることになり、政治的独立を果たすことになる。1775年に革命派はイギリスの13の植民地を全て手に入れ、政治と立法を担当する第二次大陸会議と軍事を担当する大陸軍を発足させることになる。

1776年にはアメリカ独立宣言を全世界に発信。その後、アメリカ合衆国という独立国を形作ることになっていった。

アメリカ大陸軍はサラトガの戦いで勝利。1778年にはフランスがアメリカ側に付いて参戦した。戦争後にアメリカが領土を拡大していくと、フランスはアメリカに自由の女神像をプレゼントすることになる。これがアメリカの象徴である自由の女神のルーツになる。

スペイン、オランダ(ネーデルラント)などがアメリカに付いた後、1781年のフランス海軍がチェサピーク湾の海戦で勝利したことをきっかけにアメリカはヨークタウンの戦いでイギリスを降伏させた。

その後の1783年のパリ条約でイギリスはアメリカの独立を認めた。

この戦争の原因になったのがイギリス本国による課税・重税の強化である。それはフレンチ・インディアン戦争と呼ばれる財政危機の解消の目的とされている。

イギリスは1764年に砂糖法、1765年に印紙法を成立させて植民地からの税収増を目的にしたが、印紙法はアメリカで大反対されて撤廃に持ち込まれた。

その後もイギリスは増税とボストン茶会事件などを繰り返し、1774年にイギリスとアメリカの対立が決定的になり、大陸会議を通したが、議論が進まず戦争へと突入した。

この戦争の影響でアメリカを支援したフランス政府の財政は破綻し、フランス革命への引き金に繋がっていった。

皮肉なことに、アメリカ独立宣言はフランス革命に影響を与えて独立戦争に参加したラファイエットを初めとするフランス人権宣言に結実する形になった。独立戦争に参加したポーランド人のタデウシュ・コシチュシュコはポーランド分割に対抗して反乱を起こすことになった。

アメリカの独立を最初に承認したのがスウェーデンだったので、1783年にはアメリカ・スウェーデン友好通商条約が結ばれた。

独立が認められたアメリカだったが、その後の第二次世界大戦期までイギリスをライバルあるいはイギリスに心から友好関係を結ぶことはなかったように思われる。

第二次世界大戦の頃に連合軍を結ぶ時、フランクリン・ルーズベルトはイギリスの帝国主義を嫌っており、チャーチルと手を組むのを嫌がっていた。

終戦後にルーズベルトが組もうとした相手はソ連であり、チャーチルやイギリスを抜きに2国間協議で世界の領土を分担することを協議していた。彼らの会談は後に冷戦という形で世界全土を涙と憎しみの連鎖を産むことに繋がっていった。

アメリカが合衆国を建国した後にモンロー大統領がモンロー宣言を行い、アメリカはヨーロッパや他国の戦争や内戦に参戦しない事を表明した。

しかし、第一次世界大戦の末期にはアメリカの議会を無視したウィルソンが第一次世界大戦に緊急参戦することになる。

アメリカはこの時には国際連盟の常任理事国になっていたが、アメリカは国際連盟から脱退する。日本も人権平等宣言の採決や満州事変の一件を連盟に認められなかったので、国際連盟から脱退することになっていった。

アメリカが世界史にどのような影響を与えたのか? というと、アメリカが建国された以降の歴史はイギリスやヨーロッパ主軸の歴史ではなく、アメリカが主軸になった歴史になったという事が挙げられる。

アメリカが国際政治や国際経済に本格的に影響を与えるのは第一次世界大戦以降になり、資本主義国の代表例がアメリカというイメージを結び付けられることになっていった。

独立戦争に参加したワシントンは元々は陸軍の士官であったが、独立宣言後に初代大統領として就任されて現在も1ドルの肖像画として描かれる事になっている。

アメリカ人が最も尊敬しているのがこのワシントンであり、日本では桜の木のエピソードで有名な人であろう。

アメリカの領土は元々は13の入植地に過ぎなかったが、ヨーロッパの諸国から買い付けたり戦争を行って50の州を獲得するまでの大国へと成長していった。

アメリカはネイティブアメリカンが開拓をあまり行わなかったこともあって、土地も資源もあまり使われずに膨大な量が用意されていた。

アメリカが独立戦争や領土買い付けなどで国の基盤を固めると、アメリカは優秀な頭脳や才能を持つ人間をヨーロッパから呼び集めて移民確保で工業力や第三次産業を拡大していった。

20世紀初頭まではアフリカから連れてきた黒人奴隷の肉体労働の労働力で農業や第一次産業を進めたり、西部開拓などを行って領土の舗装を進めていった。

20世紀初頭以降はヨーロッパから優秀な移民をかき集めて第二次産業を成長させていった。第一次世界大戦後はヨーロッパの資金の約7割がアメリカに流入したことで1920年代にバブル時代に突入した。

しかし、1929年に世界恐慌で金融危機を迎え、ドイツが第二次世界大戦を始める動機の一つにも繋がっていった。

第二次世界大戦の終戦後にはアインシュタインを初めとする優秀なユダヤ人の移民受け入れを行い、更に頭脳労働や第三次産業、ITソフトウェア産業の産業力を高めていき、1950年代に二度目のバブルを迎えた。

しかし、1980年代に日本の工業製品が世界とアメリカの輸入産物のトップシェアを占めるようになると、アメリカのデトロイトやサンベルト工業地帯などで工業の衰退化が始まり、ブルーカラーの労働者が失業する事態を招いている。

ラッダイト運動やプラザ合意などで貿易の緩和を行った後、1990年代にはユダヤ人が得意とする第三次産業やエンターテイメント・ITソフトウェア産業がアメリカのトップの産業に経済成長。2000年代にはアメリカの第三次産業の多くが外資系企業として国外にも進出していった。

アメリカがイスラエルを支援せざるを得ないのはアメリカに入植したユダヤ人の子孫の多くが経営者や富裕層、金融家の立場に立つ者が多いので、スポンサー的な立ち位置でイスラエルを支援せざるを得なくなっている。

 

 

>18世紀と19世紀の科学技術・創作文化・発明・政治経済など

・ロマン主義文学

・自然主義文学

・SF作品

・推理小説

・ロマン主義

・社会主義運動

・進化論

・功利主義

・精神分析

・熱力学

・電磁気学

・原子物理学

・化学量論

・有機化学

・細胞説

・生化学

・微生物学

・天体物理学

・分光法

・非ユークリッド幾何学

・集合論

・写真・映画

・蓄音機

・蒸気機関

・蒸気船

・戦艦

・飛行船

・新聞や雑誌、本など

・歯車式計算機

・万国博覧会

・鉄道

・電機技術(電話・モーター、発電機、白熱電球、電車など)

・内燃機関(自動車につながる)

・化学合成(合成繊維やアスピリン)

 

・産業革命

・紡績機(産業革命の火付け役)

・啓蒙主義思想

・市民革命

・資本主義経済

・避雷針

・電池

・ロココ様式

・クラシック音楽

・元禄文化

・重商主義

 

 

 

>18世紀と19世紀の大衆文化

・キリストは死の縄目につながれたり(1707年)・・・・・・・・・J.S.バッハのクラシック音楽。

・交響曲第1番 二長調(1757年)・・・・・・・フランツ・ヨーゼフ・ハイドンのクラシック音楽。

・バガテル『エリーゼのために』(1810年)・・・・・・・・・・ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンのクラシック音楽。

・レクイエム(1791年)・・・・・・・・・・・・・・・・・ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトのクラシック音楽。

・ロビンソン・クルーソー(1719年)・・・・・・・・・ダニエル・デフォーによる小説。

・若きウェルテルの悩み(1774年)・・・・・・・・・・ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテによる小説。

・人間の権利(1791年)・・・・・・・・・・・・・・トマス・ペインによって書かれた哲学著作。

・国富論(1776年)・・・・・・・・・・・・・・・・アダム・スミスによって執筆された経済学著作物。

・純粋理性批判(1781年)・・・・・・・・・・・・・・イマヌエル・カントによって執筆された論理哲学書。

・我が子を食らうサトゥルヌス(1823年)・・・・・・・・・・フランシスコ・デ・ゴヤによって描かれた絵画。

・太陽系儀の講義(1766年)・・・・・・・・・・・・・ジョセフ・ライトによって描かれた絵画。

・曾根崎心中(1725年)・・・・・・・・・・・・・・近松門左衛門の歌舞伎・人形浄瑠璃

・エレキテル実用(1780年)・・・・・・・・・・・発明家・平賀源内に実験された。

・ハワイ諸島の発見(1779年)・・・・・・・・・・・探検家・ジェームズ・クックにより、発見された。ニュージランドやニューファンドランド島の海図も制作した。

・資本論(1867年)・・・・・・・・・・・・・・・・カール・マルクスによって書かれた経済学著作物。この本で書かれた理論はマルクス理論あるいはマルクス主義とも呼ばれる。レーニンや毛沢東などの共産主義国家の創始者に多大な影響を与えてロシアなどでは王政から共産主義独裁体制に移行させた。書物の中では人間の社会体制の変化と時代区分も明示しているので、いずれマルクスを紹介しようと思う。

・ベルリン大学(1835年)・・・・・・・・・・・カール・ヴィルヘルム・フォン・フンボルトによって創立された大学。旧名はフンボルト大学。弟は自然科学で活躍したアレクサンダー・フォン・フンボルト。ベルリン大学では博物学や自然科学の研究が進んでいる。

・グリム童話集(1815年)・・・・・・・・・・・・グリム兄弟によって編纂された童話・民話集。彼等が収集した物語は世界で児童用の御伽噺として改編され、ディズニーなどのアニメーション会社に内容を改変されていった。

・不思議の国のアリス(1865年)・・・・・・・・・・ルイス・キャロルによって執筆された児童文学作品。グリム童話と同じく、後世では児童用の御伽噺として改編され、ディズニーなどのアニメーション会社に内容を改変されていった。日本のサブカルチャー業界で異常に人気が高い原作であり、この原作の世界観とキャラクターを利用した二次創作が未だに大量に産み出されている。

・シャーロック・ホームズ(1927年)・・・・・・・・・・アーサー・コナン・ドイルによって執筆された推理小説。この作品も現代でも未だに人気が高い作品で、この作品の影響で漫画やアニメが生まれた例も数多い。現代においても本作を利用した二次創作漫画やアニメが作られている。現代日本では『名探偵コナン』や江戸川乱歩の小説などが本作によって影響を与えられた。

・ジョルジュ・クレマンソー(1880年)・・・・・・・・・エドゥアール・マネによって描かれた絵画。

・ひまわり(1888年)・・・・・・・・・・・・・・フィンセント・ファン・ゴッホによって描かれた絵画。

・印象・日の出(1873年)・・・・・・・・・・・・クロード・モネによって描かれた絵画。

・ゴーギャン夫人の肖像(1881年)・・・・・・・・・・ポール・ゴーギャンによって描かれた絵画。

・タイム・マシン(1895年)・・・・・・・・・・・・・H・G・ウェルズによって執筆されたSF小説。時間旅行をテーマにした元祖の作品。

・ローエングリン(1848年)・・・・・・・・・・・・・・リヒャルト・ワーグナーのクラシック音楽。

・3つのエコセーズ(1827年)・・・・・・・・・・・・フレデリック・ショパンのクラシック音楽。

・富嶽三十六景(1849年)・・・・・・・・・・・・・葛飾北斎による絵画(浮世絵)。

・おらが春(1828年)・・・・・・・・・・・・・・小林一茶の俳諧。

・南総里見八犬伝(1848年)・・・・・・・・・・曲亭馬琴の小説。江戸時代のライトノベルともネット上では呼ばれる。

・学問のすゝめ(1901年)・・・・・・・・・・・福澤諭吉の哲学・教育指南書。厳しい論調で若者や後世の人に対する戒めが書かれている。

・たけくらべ(1896年)・・・・・・・・・・・・・樋口一葉の小説。赤貧に苦しみながら36歳の若さでこの世を去った。

・浮雲(1909年)・・・・・・・・・・・・・・・二葉亭四迷の小説。

 

 

 

>18世紀と19世紀に起きた歴史的な重要事項

・忠臣蔵事件(1702年)・・・・・江戸時代

・スペイン継承戦争(1701年)

・プロイセン王国の成立(1701年)

・グレートブリテン王国の成立(1707年)・・・・・・イギリス

・宝永小判(1710年)・・・・・・・江戸時代

・ハノーヴァー朝の成立(1713年)・・・・・・イギリス

・四カ国同盟戦争(1718年)・・・・・・・スペイン、オーストリア、イギリス、フランス、オランダ、シチリア王国

・パッサロヴィッツ条約(1718年)

・ロシア帝国の成立(1721年)

・キャフタ条約(1727年)

・享保の大飢饉(1732年)・・・・・・・・江戸時代

・ポーランド継承戦争(1733年)

・デリーの戦い(1737年)

・オーストリア継承戦争(1740年)

・フレンチ・インディアン戦争(1755年)

・七年戦争(1756年)

・プラッシーの戦い(1756年)・・・・・・・・イギリス、インド

・ポンティアック戦争(1763年)

・ブクサールの戦い(1764年)

・田沼時代(1767年)・・・・・・・・・・・江戸時代

・西山党の乱(1771年)

・第一次ポーランド分割(1772年)

・明和の大火(1772年)

・ボストン茶会事件(1773年)

・プガチョフの乱(1773年)・・・・・・・・・ロシア

・解体新書の出版(1774年)

・アメリカ独立戦争(1775年)

・アメリカ独立宣言(1776年)

・サラトガの戦い(1777年)

・バイエルン継承戦争(1778年)

・ゴードン暴動(1780年)・・・・・・・・イギリス

・第四次英蘭戦争(1780年)

・農奴解放令(1781年)

・四庫全書(1781年)

・天明の大飢饉(1782年)・・・・・・・・江戸時代

・アメリカ合衆国憲法の成立(1787年)

・寛政の改革(1787年)・・・・・・・・・・・江戸時代

・第一次ロシア・スウェーデン戦争(1788年)

・フランス革命(1789年)

・清・ネパール戦争(1790年)

・フランス革命戦争(1792年)

・ジャコバン派の恐怖政治(1793年)

・第二次ポーランド分割(1793年)

・第三次ポーランド分割(1795年)・・・・・・・・ポーランドの消滅。

・本居宣長の古事記伝(1798年)・・・・・・・・・・・江戸時代

・ナポレオンのエジプト遠征(1798年)

・ユナイテッド・アイリッシュメンの反乱(1798年)・・・・・・・・イギリス

・第四次マイソール戦争(1799年)

・ブリュメール18日のクーデター(1799年)

・伊能忠敬の蝦夷地測量(1800年)

・ボルタの電堆(1800年)

・ピアノの発明(1700年)

・避雷針の発明(1749年)

・グレートブリテン王国とアイルランド王国の合併(1801年)・・・・・・・・イギリス

・伊能忠敬の測量(1801年)・・・・・・・・・・江戸時代

・アミアン講和条約(1802年)・・・・・・・・フランスとイギリス

・ナポレオン戦争(1803年)・・・・・・・フランスとイギリス

・第二次マラーター戦争(1803年)・・・・・・・・イギリスとムガル帝国

・フランス第一帝政(1804年)

・オーストリア帝国の成立(1804年)

・ハイチがフランスから独立(1804年)

・トラファルガーの海戦(1805年)・・・・・・フランスとイギリス

・アウステルリッツの三帝会戦(1805年)

・神聖ローマ帝国の滅亡(1805年)

・ベルリン勅令(1806年)・・・・・・・・フランス

・ティルジットの和約(1807年)

・スペイン独立戦争(1808年)

・間宮林蔵の樺太体験(1808年)・・・・・・江戸時代

・ヴァグラムの戦い(1809年)

・ドローレスの叫び(1810年)・・・・・・・メキシコ

・ハワイ王国の建国(1810年)

・ラッダイト運動(1811年)・・・・・・・・・・・イギリス

・ナポレオンのロシア遠征(1812年)・・・・・・・フランス

・米英戦争(1812年)・・・・・・・・・・アメリカとイギリス

・ライプツィヒ諸国民戦争(1813年)・・・・・・フランス

・エルバ島への追放(1814年)・・・・・・・・・・フランスのナポレオン

・ウィーン会議(1814年)

・ブルボン復古王政(1814年)・・・・・・・フランス

・ワーテルローの戦い(1815年)

・ウィーン体制(1815年)

・金本位制(1816年)・・・・・・・イギリス

・アルゼンチンの独立(1816年)

・第一次サウード王国の滅亡(1818年)

・チリの独立(1818年)

・ピータールーの虐殺事件(1819年)・・・・・・・イギリス

・カールスバートの決議(1819年)・・・・・・・・・・ドイツ

・スペイン立憲革命(1820年)

・ミズーリ協定(1820年)・・・・・・・・アメリカ

・ギリシャ独立戦争(1821年)

・ブラジル帝国の独立(1822年)

・モンロー宣言(1823年)・・・・・・・アメリカ

・スチーブソンの蒸気機関が開通(1825年)

・デカブリストの乱(1825年)・・・・・・・ロシア

・ボリビアの独立(1825年)

・ナヴァリノの海戦(1827年)

・シーボルト事件(1828年)・・・・・・江戸時代

・ポルトガル内戦(1828年)

・フランス七月革命(1830年)

・ベルギー独立革命(1830年)

・ポーランド独立運動(1830年)

・インディアン移住法(1830年)・・・・・・・アメリカ

・ベネズエラ・エクアドルの独立(1830年)

・第一次エジプト・トルコ戦争(1831年)

・天保の大飢饉(1833年)・・・・・・・・・江戸時代

・カルリスタ戦争(1833年)・・・・・・・スペイン

・ロサスの独裁政治(1835年)・・・・・・・・アルゼンチン

・アラモの戦い(1836年)

・大塩平八郎の乱(1837年)

・モリソン号事件(1837年)

・ヴィクトリア時代(1837年)・・・・・・・・イギリス

・菓子戦争(1838年)・・・・・・・・・メキシコ

・第一次アフガン戦争(1838年)

・第二次エジプト・トルコ戦争(1839年)

・アミスタッド号事件(1839年)

・アヘン戦争(1840年)・・・・・・・・清とイギリス

・天保の改革(1841年)・・・・・・・・江戸時代

・ドミニカ共和国の独立(1844年)

・米墨戦争(1846年)

・分離同盟戦争(1847年)・・・・・・・スイス

・リベリアの独立(1847年)

・フランス二月革命(1848年)

・ドイツ・オーストリア三月革命(1848年)

・第二次シク戦争(1849年)

・オルミュッツ協定(1850年)

・太平天国の乱(1850年)

・フランス第二帝政(1852年)

・クリミア戦争(1853年)

・安政の改革(1854年)・・・・・・・・江戸時代

・パンゼーの乱(1856年)

・アロー戦争(1857年)

・セポイの乱(1857年)

・ムガル帝国の滅亡(1858年)

・安政の大獄(1858年)

・日米修好通商条約(1858年)・・・・・・・・・江戸時代

・スエズ運河の建設(1859年)

・イタリア統一戦争(1859年)

・進化論の発表(1859年)

・ジョン・ブラウンの反乱(1859年)

・北京条約(1860年)

・テトゥアンの会戦(1860年)・・・・・・・スペイン、モロッコ

・桜田門外の変(1860年)

・南北戦争(1861年)・・・・・・・・アメリカ

・イタリア王国の成立(1861年)

・奴隷解放宣言(1862年)・・・・・・・・・アメリカ

・薩英戦争(1863年)・・・・・・・・江戸時代

・第二次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争(1864年)

・禁門の変(1864年)・・・・・・・・・江戸時代

・リンカーン暗殺事件(1865年)・・・・・・・・アメリカ

・普墺戦争(1866年)・・・・・・・・オーストリア、ドイツ

・第二次長州征伐(1866年)・・・・・・・・・・江戸時代

・資本論の発行(1867年)・・・・・・・・カール・マルクス

・キューバ独立戦争(1867年)

・近江屋事件(1867年)・・・・・・・江戸時代

・明治維新(1868年)・・・・・・・・明治時代

・戊申戦争(1868年)・・・・・・・・・明治時代

・大陸横断鉄道(1869年)・・・・・・・アメリカ

・普仏戦争(1870年)・・・・・・・フランス、ドイツ

・ドイツ帝国の成立(1871年)

・廃藩置県(1871年)

・文化闘争(1872年)・・・・・・ドイツ

・樺太・千島交換条約(1875年)・・・・・・・明治時代

・露土戦争(1877年)

・西南戦争(1877年)・・・・・・・明治時代

・ベルリン会議(1878年)

・太平洋戦争(1879年)・・・・・・・・チリ、ペルー、ボリビア

・第二次アフガン戦争(1880年)

・日本銀行創立(1882年)・・・・・・・明治時代

・三国同盟(1882年)

・清仏戦争(1884年)

・伊藤博文、総理大臣に就任(1885年)・・・・・・・明治時代

・マフディーの反乱(1885年)

・コカ・コーラの発売(1886年)

・切り裂きジャック事件(1888年)・・・・・・・イギリス

・大日本帝国憲法発布(1889年)・・・・・・・・明治時代

・ウンデット・ニーの虐殺(1890年)

・ジョンソン群戦争(1892年)・・・・・・・アメリカ

・ハワイ革命(1893年)・・・・・・・・・・アメリカ

・日清戦争(1894年)・・・・・・・・・明治時代

・露仏同盟(1894年)・・・・・・・・・ロシア、フランス

・リュミエール兄弟が映写機を発明(1895年)・・・・・・・・・記録や文化が映像の時代に突入する。

・アドワの戦い(1896年)

・シオニスト会議(1897年)・・・・・・・スイス

・米西戦争(1898年)・・・・・・・・・アメリカ、スペイン

・第二次ボーア戦争(1899年)

・義和団の乱(1900年)・・・・・・・・・清

・産業革命(1850年頃)・・・・・・・・イギリス

・蒸気機関車(1800年頃)・・・・・・・・イギリス

・写真の発明(1840年頃)・・・・・・・・・フランス。画像が本物の風景や人物を描写した記録媒体に代わる。記録や娯楽が「写真の時代」になり、1895年まで続く。

・蓄音機の発明(1857年)・・・・・・・・・フランス

・飛行船の発明(1852年)・・・・・・・・・フランス

・紙の大量生産(1851年)・・・・・・・・・・マスメディアの台頭

・万国博覧会(1798年)・・・・・・・・・・フランス

・鉄道の敷設(1850年頃)・・・・・・・・・イギリス

・電話の発明(1844年)・・・・・・・・・アメリカ

・内燃機関の発明(1780年)・・・・・・・・イタリア

・化学合成の開始(1897年)・・・・・・・・・・・アスピリンなど

 

 

>18世紀と19世紀における著名人(Wikipediaより)

<18世紀>

・アン・・・・・・・・・・・・イギリス

・ジョージ1世・・・・・・・・・イギリス

・フリードリヒ2世・・・・・・・ドイツ

・マリア・テレジア・・・・・・・・・オーストリア

・エカチェリーナ2世・・・・・・・・・ロシア

・ジョージ3世・・・・・・・・・・・・イギリス

・エメリヤン・プガチョフ・・・・・・・・・ロシア

・ヨーゼフ2世・・・・・・・・・神聖ローマ帝国

・ルイ16世・・・・・・・・・・・フランス

・マリー・アントワネット・・・・・・・・フランス

・マクシミリアン・ロベスピエール・・・・・・フランス

・ホレーショ・ネルソン・・・・・・・・・イギリス

・ナポレオン・ボナパルト・・・・・・・・フランス

・シャルル・ド・モンテスキュー・・・・・・・・・フランス

・ヴォルテール・・・・・・・・・・イギリス

・ジャン=ジャック・ルソー・・・・・・・フランス

・アダム・スミス・・・・・・・・・イギリス

・イマヌエル・カント・・・・・・・・ドイツ

・トマス・ペイン・・・・・・・・・アメリカ

・フランシスコ・デ・ゴヤ・・・・・・・スペイン

・フランツ・ヨーゼフ・ハイドン・・・・・・・・オーストリア

・ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト・・・・・・・・・・オーストリア

・アイザック・ニュートン・・・・・・・・・イギリス

・エドモンド・ハレー・・・・・・・イギリス

・トーマス・ニューコメン・・・・・・・イギリス

・ルネ・レオミュール・・・・・・・・・・フランス

・カール・フォン・リンネ・・・・・・・・スウェーデン

・ジェームズ・ワット・・・・・・・・・・イギリス

・ピエール・シモン・ラプラス・・・・・・・・・フランス

・ジェームズ・クック・・・・・・・・・・イギリス

・サンジェルマン伯爵・・・・・・・・・・?

・ジョージ・ワシントン・・・・・・・・・・・アメリカ

・ベンジャミン・フランクリン・・・・・・・・アメリカ

・近松門左衛門・・・・・・・・・・・江戸時代

・新井白石・・・・・・・・・・・・・江戸時代

・大岡忠相・・・・・・・・・・・・・江戸時代

・徳川吉宗・・・・・・・・・・・・・江戸時代

・田沼意次・・・・・・・・・・・・・江戸時代

・杉田玄白・・・・・・・・・・・・・江戸時代

・平賀源内・・・・・・・・・・・・・江戸時代

・本居宣長・・・・・・・・・・・・・江戸時代

・アダム・ラクスマン・・・・・・・・・ロシア。江戸時代

<19世紀>

・ナポレオン1世・・・・・・・・・・フランス

・ルイ18世・・・・・・・・・・・・・フランス

・シャルル10世・・・・・・・・・・フランス

・ナポレオン3世・・・・・・・・・・・フランス

・アレクサンドル1世・・・・・・・・・ロシア

・ニコライ1世・・・・・・・・・・・・ロシア

・ヴィクトリア・・・・・・・・・・・イギリス

・ヴィルヘルム1世・・・・・・・・・・・ドイツ

・ヴィルヘルム2世・・・・・・・・・・・ドイツ

・オットー・フォン・ビスマルク・・・・・・・・・ドイツ

・レオ13世・・・・・・・・・・・・・・・ローマ教皇

・ネイサン・メイアー・ロスチャイルド・・・・・・・・・イギリス

・ジャン・バティスト・ラマルク・・・・・・・・・・フランス

・アレクサンダー・フォン・フンボルト・・・・・・・・・ドイツ

・チャールズ・ダーウィン・・・・・・・・・・・イギリス

・サロフのセフィラム・・・・・・・・・・・ロシア

・ウォルター・スコット・・・・・・・・・・・イギリス

・グリム兄弟・・・・・・・・・・・・ドイツ

・ハインリヒ・ハイネ・・・・・・・・ドイツ

・ジョルジュ・サンド・・・・・・・・・・フランス

・ハンス・クリスチェン・アンデルセン・・・・・・・デンマーク

・ヴィクトル・ユーゴー・・・・・・・・・フランス

・ヒョードル・ドストエフスキー・・・・・・・・・ロシア

・レフ・トルストイ・・・・・・・・・・・ロシア

・ルイス・キャロル・・・・・・・・・イギリス

・オスカー・ワイルド・・・・・・・・・イギリス

・アーサー・コナン・ドイル・・・・・・・・・イギリス

・ハーバート・ジョージ・ウェルズ・・・・・・・イギリス

・カミーユ・ピサロ・・・・・・・・・・・フランス

・フィンセント・ファン・ゴッホ・・・・・・・・オランダ

・クロード・モネ・・・・・・・・・・フランス

・ポール・ゴーギャン・・・・・・・・・フランス

・カミーユ・クローデル・・・・・・・・フランス

・ルイージ・ケルビーニ・・・・・・・・・イタリア

・ルートヴィヒ・ヴァン・ベートヴェン・・・・・・ドイツ

・フレデリック・ショパン・・・・・・・・・ポーランド

・リヒャルト・ワーグナー・・・・・・・・・ドイツ

・カミーユ・サン・サーンス・・・・・・・・フランス

・ヨハネス・ブラームス・・・・・・・・・・ドイツ

・ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー・・・・・・・・・・ロシア

・フローレンス・ナイチンゲール・・・・・・・・イギリス

・ピエール・ド・クーベルタン・・・・・・・・・フランス

・アンリ・デュナン・・・・・・・・・・・スイス

・トーマス・ジェファーソン・・・・・・・・・・アメリカ

・ジェームズ・モンロー・・・・・・・・・・アメリカ

・エイブラハム・リンカーン・・・・・・・・アメリカ

・ジョン・モルガン・・・・・・・・・・・・アメリカ

・ジョン・ロックフェラー・・・・・・・・・アメリカ

・アレクサンダー・グラハム・ベル・・・・・・・・・アメリカ

・トーマス・エジソン・・・・・・・・・・アメリカ

・エドガー・アラン・ポー・・・・・・・・・アメリカ

・ルイス・カムフォート・ティファニー・・・・・・アメリカ

・ラルフ・ワルド・エマーソン・・・・・・・・・・アメリカ

・ルイス・サリヴァン・・・・・・・・・・・アメリカ

・伊能忠敬・・・・・・・・・・江戸時代

・葛飾北斎・・・・・・・・・江戸時代

・小林一茶・・・・・・・・・・江戸時代

・十返舎一九・・・・・・・・江戸時代

・間宮林蔵・・・・・・・・・江戸時代

・大塩平八郎・・・・・・・・・・江戸時代

・水野忠邦・・・・・・・・・・江戸時代

・マシュー・ペリー・・・・・・・・・アメリカ。江戸時代

・フィリップ・フランツ・シーボルト・・・・・・オランダ。江戸時代

・タウンゼント・ハリス・・・・・・・・・江戸時代

・井伊直弼・・・・・・・・・・江戸時代

・緒方洪庵・・・・・・・・江戸時代

・勝海舟・・・・・・・・・・・江戸時代

・岩倉具視・・・・・・・・・・・江戸時代

・ジョン万次郎・・・・・・・・・江戸時代

・西郷隆盛・・・・・・・・・・江戸時代

・吉田松陰・・・・・・・・・江戸時代

・大久保利通・・・・・・・・江戸時代

・木戸孝允・・・・・・・・・・江戸時代

・福澤諭吉・・・・・・・・・・江戸時代

・岩崎弥太郎・・・・・・・・・・江戸時代

・坂本龍馬・・・・・・・・・・・江戸時代

・井上馨・・・・・・・・・・・・江戸時代

・徳川慶喜・・・・・・・・・・・江戸時代

・板垣退助・・・・・・・・・・・明治時代

・山縣有朋・・・・・・・・・・・明治時代

・高杉晋作・・・・・・・・・・・明治時代

・大隈重信・・・・・・・・・・・明治時代

・伊藤博文・・・・・・・・・・明治時代

・陸奥宗光・・・・・・・・・・明治時代

・明治天皇・・・・・・・・・・・明治時代

 

>参考資料(歴史を動画で知ろう!!)

ttps://www.youtube.com/watch?v=vtZ6BNRMcjc(資本主義)

ttps://www.youtube.com/watch?v=VhK7q5zbyzs

ttps://www.youtube.com/watch?v=gm0bNi5_t3U

ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm23087518(産業革命)

ttps://www.youtube.com/watch?v=SaUd5EbbpuA

ttps://www.youtube.com/watch?v=0i1Q0Wzj-j8

ttps://www.youtube.com/watch?v=eRH-5qk_MMM(帝国主義)

ttps://www.youtube.com/watch?v=0-_d_6LbLY0

ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm12232327(ナポレオン・ボナパルト)

ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm3921834

ttps://www.youtube.com/watch?v=1Wsc1AS8zKQ(フランス革命)

ttps://www.youtube.com/watch?v=isePeCLSUqE

ttps://www.youtube.com/watch?v=O23oPg6GImE(江戸時代)

ttps://www.youtube.com/watch?v=1g-P-Wo1UXc(坂本龍馬)

ttps://www.youtube.com/watch?v=qtr_HUpL7IY(明治維新)

ttps://www.youtube.com/watch?v=p7MVzR7J9s8(クリミア戦争)

ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm21743863(南北戦争)

ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm25612983(アメリカ独立戦争)

ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm4197(アヘン戦争)

ttps://www.youtube.com/watch?v=vGegj8Y3B7Q(禁門の変)

ttps://www.youtube.com/watch?v=_b2VdBCVlJ0(戊辰戦争)

ttps://www.youtube.com/watch?v=8vNEJVK5xpE(鳥羽伏見の戦い)

ttps://www.youtube.com/watch?v=l8VWEIZleSg(薩長同盟)

ttps://www.youtube.com/watch?v=OOxtYBsub4o(日清戦争)

ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm3750060(日露戦争)

ttps://www.youtube.com/watch?v=Ijo8_DcYrfk(西南戦争)

ttp://say-move.org/comeplay.php?comeid=807400(セポイの乱)

ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm18335903(西部開拓時代)

ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm19307357

ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm23189932(ジョージ・ワシントン)

ttps://www.youtube.com/watch?v=czYCxRz4ewE(徳川吉宗)

ttps://www.youtube.com/watch?v=mPAau16zVbo(マリー・アントワネット)

ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm12618036(アイザック・ニュートン)

ttps://www.youtube.com/watch?v=YBdBPMF7gS8(西郷隆盛)

ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm23193576(エイブラハム・リンカーン)

ttps://www.youtube.com/watch?v=6ZP2Xgd_ync(アルフレッド・ノーベル)

ttps://www.youtube.com/watch?v=hBVX5s43_Ks(フローレンス・ナイチンゲール)

 

 

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