新・映像の世紀 第0.5回「20世紀の幕開け~近世政権の崩壊と共産主義の始まり~」

「新・映像の世紀」が10月25日に放送されるらしいので、「新・映像の世紀」が取り扱わない近代史。18世紀~1914年までの歴史をこのブログで補足しようという記事です。

「映像の世紀」では1895年~1914年までの歴史を第一回の『20世紀の幕開け』で補足していたので、このブログでも説明不要の時代かもしれません。

「新・映像の世紀」はどうやらきっちりと100年前の1914年からスタートするようなので、一応前回の「第0回」に続く形で1895年~1914年までの歴史を補足しようと思います。

基本的にその時代は「映像の世紀」の『20世紀の幕開け』の回を視聴していれば十分時代背景が分かるかと思います。

1895年以降の歴史が「映像の世紀」と呼ばれるのは単純にフランスのルイ・リュミエールという人が映写機を発明したからです。

従来の記録や伝達手段は文字や写真、絵などの手段しかありませんでした。カメラと写真が最初に撮影されたのが1826年の事になります。この時の発明はフランスのニエプス。カメラと写真が発明されたのが19世紀。産業革命が18世紀だったので、前回のタイトル名を「産業革命と写真の時代~戦争という悲劇を映す真実の鏡~」とした訳です。

これまでの戦争や政変は大衆にとって都合の良い絵や文章が好まれてきましたが、写真の登場で被写体を映す新聞記者も写真の光景の流れに従って真実や感情を込めた記事を書かざるを得なくなりましたからね。写真発明後の歴史は「風景や人物の光景をありのままの真実に映す鏡」と言えるのかもしれません。

写真の登場は戦争に対する人々の華々しいイメージを変えるだけではありませんでした。それは人種差別や革命・テロ、政変、事故といった生々しい不幸事でさえも映す真実の鏡だった訳です。そして、その光景を見た大衆は中世から続いてきた従来のイメージを払拭せざるを得ない状況になっていきました。

映像。つまり、現代でいう動画が発明されたのが写真や静画の誕生よりたったの70年後だった事になります。

写真と映像の違いは動きがあるかないかの違いです。つまり、状況把握と時間の感覚がはっきりと意識出来るようになって、実際の現地で被写体と同じような疑似体験を観客が出来るようになった事が映像がもたらした記録革命だと言えます。

初期の映像は被写体の行動をそのまま映すだけに過ぎませんでしたが、技術が発展する度に色が付けられて、音が加えられるようになります。

NHKの番組では映像の進化まで追いかけませんでしたが、最初の音声映画が登場するようになったのが1920年代。色が付けられるようになったのは1940年代と言われています。

いずれも第一次世界大戦と第二次世界大戦で戦勝国となり途中参加だったアメリカが第一号だったようです。

実写以外の映像ジャンルとして有名な一つに「アニメーション」というジャンルがあります。これはいわゆる漫画や紙芝居のような子供の娯楽作品を動かすように発展させた映像でした。

アニメーションが最初に作られたのは1892年のフランスのエミール・レイノーの『哀れなピエロ』と言われています。この作品が世界最古のアニメーションと呼ばれています。

写真や映画、アニメの初期がいずれもフランスで発明されていますが、当時は芸術分野の最先端はフランスだったようです。文学や音楽に関してはロシアがこの時代ではトップクラス。工業分野は産業革命で成功したイギリスがリードしている状況で、当時の世界のトップクラスはイギリスとフランス、ロシアという三大の超大国が収めていました。

ロシアに関しては18世紀のスウェーデン(バルト帝国)の大北方戦争、19世紀のフランスのロシア遠征、20世紀のナチスドイツのスターリングラード戦線をいずれも冬将軍で打ち破ってますね。カール12世、ナポレオン・ボナパルト、アドルフ・ヒトラーはいずれも戦死(暗殺?)、島流しの末の暗殺疑惑、自殺という残酷な結果に追い込まれて悲惨な最期を迎えています。

カール12世はミイラと化した無残な銃痕の姿を1900年代初めに撮影されることになります。ナポレオンはカビとヒ素中毒で腐敗しなかった肥満体の死体が写真撮影されてパリの霊廟に移動されます。アドルフ・ヒトラーは影武者の死体を用意した上にガソリンまで撒いたにも関わらず、愛人のエヴァ・ブラウンと愛犬のフレッドの骨や死体と共にごちゃ混ぜにされた挙句、ソ連のスターリン邸に格納されてしまいます。スターリンは死後までヒトラーの頭蓋骨と疑わしき骨を自分の監視下に置きましたが、ヒトラーの亡霊の悪夢のせいで不眠症に陥ることもあったそうです。ヒトラーの頭蓋骨と思しき骨は未だにロシアに格納されている始末だそうです。

しかし、クリミア戦争ではフランスやイギリス、オスマン帝国などの連合軍に敗れてロシアは艦隊保有の禁止とギリシャ正教徒の保護権も放棄せざるを得なくなります。この戦争で農奴解放令と軍政改革が行われロシア帝国の政治権力は国内で失墜することになります。この戦争が原因で一連のレーニンの動きやラスプーチンの懐柔などが起こったのではないか、とも思えてきます。

工業分野や芸術分野で成功していたヨーロッパが落ちぶれていった理由の一つとしては第一次世界大戦と第二次世界大戦の戦場と金の流出がヨーロッパ全土だった事が挙げられるでしょうね。

またヨーロッパはナポレオン戦争以降は普仏戦争やクリミア戦争などの激しい戦争を繰り返していたので労働力と資金が不足し始めていたこともヨーロッパが衰退した原因の一つではないかと思います。

ナポレオンが登場する以前の戦争は単純な犠牲者数だけで言えば、中世世界の戦争で平均で約2~5万人程度でしたが、ナポレオン戦争以降はそれが10倍に膨れ上がったりしてますからね。ワーテルローの戦いでは8万人弱、クリミア戦争に至っては26万人以上は戦死しています。オスマン帝国とモンゴル帝国に至っては戦争期間を含めると大体20万~30万人以上は民間人も含めて虐殺されていますね。

クリミア戦争では民間人までも巻き添えにされているので、そりゃあナイチンゲールやトルストイのような人物が反戦主義と和平路線を掲げるのは当然だろうし、スイスで赤十字社が建てられたのも当たり前でしょうね。

その後の歴史では反戦主義になびく活動家や科学者が現れては後世で英雄視されるようになります。ナポレオンが登場した時点で彼を虐殺者あるいは戦争犯罪者と訴える知識層も居たので、第一次世界大戦における戦争の虚しさや悲劇のフラグはナポレオン戦争の時点で立っていたとも言えます。

ナポレオンを批判したとされる有名人にベートヴェンのような人も居ます。まぁ、18世紀の時点で戦争を道具や手段に利用とした軍人や政治家は糾弾される運命に代わってきたのかもしれません。

ナポレオン戦争以降の戦争で犠牲者が倍以上に膨れ上がって、戦争を悲観視する人たちが増え始めた理由としては大砲やライフル銃のような殺傷能力の高い兵器が戦場で活躍するようになったからという理由もあるでしょうね。

関ケ原の戦いや大阪夏の陣でも大砲のような物は利用されていましたが、あくまでも砦や城を攻略する為の兵器であって、平地や草原地帯で兵士に向けて撃っても人に当たる事は滅多にないし、殺傷能力はそれほど高くはなかった。精密度が高くなかったことと距離範囲も短かった、大砲自体も大きくなかった、不発が多かった事もあるんでしょうね。

ところがライフル銃のような精密度が高い上に距離感が長く、一発当てるだけで殺傷能力がある兵器が発明されると、アメリカの南北戦争のように多大の犠牲者を発生させることにもなるわけです。

アメリカが行った戦争で唯一アメリカ人の犠牲者が多かったのが南北戦争という内乱だったと言われています。ライフル銃の精密度と殺傷能力の高さは当時の兵士の写真からも伺えます。

二つ目の理由としては写真や映像が発明された事が戦争の悲観さを直接視聴者に訴えるようになったからじゃないですかね?

写真が発明される前は版画だとかモザイク画だとか絵画などで画家が推測したり思い出して描き上げる事しか出来なかった訳です。

当たり前ですが、人間の記憶力は写真ほど鮮明でなければ詳細を記録している訳でもないので、グロテスクな部分やら残酷なシーンは思い出したくても綿密に思い出せない訳です。

ところが、写真が発明されるとありのままの風景と被写体を当時とそのままに映し出す訳なので、血しぶきやら肉片が飛び散っている戦場や刑場のような写真を映し出されると、見る人は深い嫌悪感と不快感、吐き気や頭痛を催す訳です。

中世以前の社会ならば豚の解体やら鶏を絞め殺す事はヨーロッパの農民でも行っていたので、それほどグロさは感じないかもしれませんが、白人の方々は人類と動物を完全に割り切ってたと思うので、やはり白人の死体やら深い後遺症の写真を見た時は戦争には嫌悪感を抱くでしょうね。

ですから、戦争を悲観視したり、戦争をやりたがる政治家や軍人を英雄視しなくなっていったわけです。

ナポレオンについては未だに英雄なのか侵略者なのかは国と地域、民族によって印象が異なりますからね。ヨーロッパ全土でナポレオンが必ずしも英雄なのか? というと、ナポレオンに被害を与えられたロシアだとか東欧地域、エジプトは彼を嫌ってるでしょうね。

最近の研究だとクリミア戦争の発端の原因がナポレオン戦争にあると主張する人まで居る。

ナポレオン戦争以降にライフル銃やら大砲がパワーアップして、それの標的が人間に代わっていけば、人間の死体や負傷した兵士の姿は無残になる。それをカメラで撮影して写真で記録するようになれば、戦争を忌み嫌う人たちが現れるのは当然でしょうね。

医療分野についても感染症や精神病などで治療するのが難しくなる訳ですから。

 

 

話を戻そう。20世紀初頭の当時としてはアメリカがモンロー主義の影響でヨーロッパやその他の先進国の内政や戦争に関わらない事を掲げていたし、ヨーロッパから能力的に優れた移民を受け入れていたので工業力や頭脳能力の推移がヨーロッパからアメリカに移った事も背景にあるかと思います。

工業分野がアメリカに主導権が移ったように、映画やアニメーションなどの文化もアメリカに主導権が移っていきました。

アメリカは1920年代までに映画文化を大衆文化として普及させていきました。アメリカ最古の映画と言われているのが1903年の『大列車強盗』と言われています。この映画は西部開拓時代を舞台にした映画のルーツになりました。

その後、アルフレッド・ヒッチコックがイギリスから移民してきたり、ユニバーサル映画や20世紀フォックス、ワーナーブラザーズ、パラマウント映画などの映画会社がハリウッドで次々に設立されていきます。この一連の動きが実際にあったのは1920年代の頃からです。

それ以前の世界やアメリカの文化や娯楽は主にラジオや大衆小説、活字文化などでした。

ラジオが実際に大衆に普及し始めるのは1920年代以降の事で、映画も当時は高級な娯楽だったので、『映像の世紀』が語っていたようにトルストイやルイス・キャロルの小説などが大衆に好まれていました。

日本の国語の教科書や文学史が明治時代~戦前までの文学作品をやたらと神話や伝説のように取り上げるのはこの時代の小説が文学における黄金期だったからです。その傾向はヨーロッパやアメリカでも同じであり、18世紀~20世紀初頭までは大衆に文化や娯楽として広く読み親しまれていました。

夏目漱石の小説や論文を読んだ小学生が漱石にサインを求めて漱石が「このような小説を読んではいかん!」と叱責したエピソードは有名です。

当時の小説や活字文化は現代における漫画やアニメ、ゲームと同じようなものであり、作家や小説家は現代の漫画家やアニメーターと同じように社会的地位の低い立場に置かれていました。

夏目漱石が自身の作品内で頻繁に「高等遊民」という言葉を使ったのは自分たち作家の職業に当てた皮肉という仮説もある。

一般庶民からしてみると、当時の大学教授や作家は金持ち息子の道楽と見られる傾向にあり、軽蔑される職業だったようです。

しかし、あくまでもそういった当時の風潮は明治~大正期における日本文学の話なので、ヨーロッパやアメリカでは当時の作家や文学者の社会的地位や立場は高いものだったのかもしれません。

私の予測では新しい文化や大衆に好まれる趣味というのは必ず世間に馬鹿にされたり軽蔑される風潮があって、一定の期間を乗り越えても存続している文化や芸術というものは後世において「ハイカルチャー」なる高尚文化に進化するものだと思っています。

つまり、今現在世間に馬鹿にされている漫画やアニメ・ゲームなども100年後にはハイカルチャーとして真面目に研究されたり学問に進歩している可能性もあるかもしれません。

何故、文化や芸術が学問として受け入れられて研究されるのか? というと、過去の時代を調べる史料や手がかりになるかもしれないからでしょうね。

要するに歴史的価値が生じる訳なので、後世の学者や研究者にとっては過去の文化やら芸術というものは学問だとかハイカルチャーとして容認せざるを得なくなるんでしょう。

クラシック音楽もアメリカのガーシュウィンが登場するまでの間は大衆文化として受け入れられていました。彼が作詞した「パリのアメリカ人」という曲は現代においても未だに有名ですね。

 

『映像の世紀』ではトルストイや夏目漱石を主役に歴史の移り変わりを映像記録で紹介していました。トルストイが何故反戦主義者に転じたのか? というと、クリミア戦争に従軍した体験があるからです。トルストイはこの体験から『戦争と平和』というあまりにも有名な文学作品を世に出しました。

クリミア戦争の悲惨さを語る著名人が現れるようになった理由としては兵器の進化と衛生面の不潔さがあるからでしょうね。

クリミア戦争でナイチンゲールが看護師制度を導入する以前は産婆のような老人の女性が兵士の治療に専念しており、衛生面も最悪だったようです。まぁ、掃除だとか水の入れ替えとかそういうレベルですね。

ナイチンゲールがクリミア戦争をきっかけに看護師制度を導入して小まめに掃除したり清潔な水の入れ替えなどを行う事で感染症だとか不衛生な環境はある程度改善されたという話を聞いたことはある。

しかし、それでも当時の医療分野は未熟で助かる部位なのに、足を麻酔なしで切り落としたり無菌室の環境もなしのまま手術するような光景も第二次世界大戦期まで続けられたそうですね。

ベッドに寝たきりの患者が居たとしたら、そのまま麻酔なしで手術するような環境な訳です。

そりゃあ、精神病を患ったり感染症や虫やネズミの運ぶウイルスなどで新しい病気になる人も居るでしょうね。

そういう状況は第二次世界大戦の頃まで続いたようで『映像の世紀』においても顔のパーツを失くした兵士がブリキ製の顔のパーツを取り換えてる光景のシーンがありました。

 

『映像の世紀』ではトルストイの晩年の光景しか説明していなかったので、単なる和平主義者に見えますが、実際にはクリミア戦争で嫌な体験をしたから反戦主義者になっていったようです。

まぁ、世界史では重要に取り上げられる事のないクリミア戦争ですが、個人的には「第零次世界大戦」のポジションにあたる大戦争な気もします。

NHKスペシャルでは日露戦争がそのポジションに当たっていましたが、実際にはクリミア戦争の方が第一次世界大戦のフラグのような物でしょうね。

あの戦争で中東の立ち位置がヨーロッパと逆転してロシアにおいても帝政主義が揺らぐきっかけになっていきましたから。

クリミア戦争にはどんな国が参戦していたのか? というと、フランス、イギリス、オスマン帝国、サルデーニャ王国とロシア、ブルガリア、義勇兵などですね。

この戦争でノーベルや吉田松陰、シュリーマン、ファラデーなどの歴史上の人物が歴史の表舞台に出てくるようになります。

クリミア戦争以降には20万人以上の犠牲者が出る戦争が当たり前になり、兵器の開発も進歩していき大量殺りく兵器が生まれるきっかけにもなっていきました。

ノーベルが開発したダイナマイトは鉱山の爆破などに人類に寄与しましたが、後に地雷や魚雷などの待ち伏せ系の爆発物や手榴弾などにも発展・改良されていくことになる。

 

『映像の世紀』で他にスポットが充てられていたのが、イギリスのヴィクトリア女王の死でした。番組ではこれが王政や封建主義政治が終わる前兆として語り、ヴィクトリア女王の死がヨーロッパを支配してきた女王の親近者同士の大戦争(第一次世界大戦)に発展していく語りで番組を終えていきました。

ただ、第一次世界大戦に繋がるきっかけとして忘れてはならないのはナポレオン戦争以降から続く帝国主義とクリミア戦争などのヨーロッパ大陸間の戦争でしょうね。

クリミア戦争が終結した後もロシアは日本と遼東半島の領土を巡って日露戦争に発展していきます。この時のロシアは国内が荒れており、フランス革命に近い状況が国民の間で高まっていました。

爆発のきっかけになったのはレーニンが掲げる共産主義思想。これがロシア革命に繋がり、ニコライ一家は全員が銃殺されてしまいます。

『新・映像の世紀』ではどうやらレーニンのロシア革命から始まるようなので、今度はロシアや東欧から見た第一次世界大戦が主題になるのかもしれません。

レーニンはロシア革命は結果的に成功しますが、レーニン自身も暗殺されてしまいます。実際に暗殺なのかどうかは分かりませんが、テレビ朝日のドキュメンタリー番組『20世紀の偉人』とかいう番組ではスターリンが仕掛けた毒薬などでレーニンが暗殺されたような演出がされていました。

ちなみにその番組では後継者となるスターリンも特集が組まれていました。

レーニンは遺言に「スターリンを指導者にさせてはいかん」という言葉を残しましたが、スターリンはソビエト連邦の指導者として約40年以上君臨することになります。

レーニンの遺体は遺族の希望で埋葬されることが望まれていましたが、スターリンによって却下されてエンバーミング処理を行われてソ連の産みの親として霊廟に祀られる事になります。

レーニンの遺体は半年おきに化学処理されているらしいので、現在でも死んだ直後のような姿で霊廟に安置されています。

ロシア政府が未だにレーニンやスターリンの遺体を埋葬しない理由は共産主義思想が完全には廃れていないからでしょうね。

共産主義とは何ぞや? というと、資本主義に対峙する経済的思想です。

共産主義というものは全員が同一労働を行って同一賃金を得て平均的な生活を行うというものです。

メリットを述べると、能力格差だとか収入格差がなくなり、重労働も減る訳です。

しかし、それは表向きの表現であって、実際には指導者やその側近、一族が多大な富や恩恵を独占して残り少ない利益を庶民に分け与えるというもの。

まぁ、はっきり言うと、ロシアや中国の場合は王政の立場が社会活動家に置き換わっただけの話で、庶民の生活そのものは豊かにならないし幸せにもなっていない訳です。

共産主義のデメリットを挙げるとすれば、指導者の政治や思想に反発する言論の弾圧だとか表現の自由の制限、外国や旅行の移動制限などが挙げられますね。

現代の中国で言うと、GoogleやTwitterを中国国内で閲覧出来ないとか孔子の本を読めないとか言ったようなもんです。

元々レーニンや毛沢東はカール・マルクスの『資本論』を読んで人民を豊かにする社会を目指していたようですが、途中から自分に反発する人間や敵を徹底的に除外していく方針に切り替わっていきました。

レーニンの場合はロシア帝政による家族の処刑が思想の変化のきっかけだったようです。

排除というのは要するに虐殺のことですね。スターリン時代においては「粛清」という言葉がその行為に当てはまります。

ぶっちゃっけると、アドルフ・ヒトラーやナチスよりも残忍冷酷非道なのがソ連や毛沢東以降の中国だと思ってます。

じゃあ、なんで毛沢東やレーニン、スターリンなどは偉人として取り扱われるのか? 悪人として描かれないのか? というと、第二次世界大戦の戦勝国が中国とソ連だったからですよ。

中国は二次大戦後に蒋介石率いる中華民国と内乱することになります。この内乱で勝利したのが毛沢東率いる中華人民共和国になり、蒋介石は台湾に逃れることになります。

台湾と中国の政治思想が正反対なのはそこから来ている部分が強いようです。蒋介石は日本に保護された事もあったので、台湾は親日国な訳です。

皆さんはご存知でしょうが、歴史の正論は戦争の勝者側によって大義が作られる訳なので、世界史的にはレーニンも毛沢東もスターリンも正義の人間であり、偉人に設定される訳です。

但し、それは現代における歴史的な評価の一面に過ぎない訳で、客観的に見ても共産主義が異常な経済思想・政治思想だったことは後世の歴史が証明しています。

1970年代には行き過ぎた独裁者が表れて、東欧革命が起こっています。1989年にはソ連が崩壊し、ベルリンの壁が破壊されてドイツが資本主義国家として統一します。その後、ユーゴスラビア紛争など東欧で民族紛争と難民が発生する事態が2000年まで続きます。現代の中国においても富裕層は自由気ままに外国に旅行したり、外国に就職したり、株価だとか自由経済を行って世界における経済大国2位の地位を手に入れています。

つまり、中国共産党や一般の中国人は無意識の内に資本主義経済に呑み込まれていて、資本主義経済の恩恵を存分に受けている訳なんですよ。

現代の21世紀は中国共産党やロシアが相変わらず共産主義を維持していますが、個人的には共産主義政治は2050年まで続かないとは思っています。

それは新自由主義や資本主義も同様でしょうね。ロボットの労働や技術的特異点が実現した時には資本主義も共産主義も見直す必要が出てくるし、古い制度には切り替わると思います。

現代の資本主義と共産主義は経営者と政治家に都合の良い部分が互いのメリットを利用している状況ですが、下々の格差が拡大していき、能力至上主義の世の中がエスカレートする一方ならば、資本主義も共産主義もその内に受け入れられなくはなるでしょうね。

 

まぁ、共産主義が忌み嫌われる理由は本当のところは有能な人間や競争社会が好きな奴、肉体労働が嫌いな奴にとっては最悪な社会だからですよ。富裕層や著名人も同様ですね。

共産主義の悪いところは有能な奴や才能がある奴がどんな発明をしようが、どれだけ経済的に国家が得をする行動をしても独裁者に資産や名誉を強奪されてしまうところがある。

まぁ、自分の発明した技術やら経済活動で活躍した人が国家で評価されずに富も名誉も受け取れずに他の人間と同じ強制労働をさせられれば、アメリカや日本に亡命するのも当たり前でしょうね。

しかも、国家に反逆したり国家を批判する言論を述べたとしても、政治犯として幽閉されて強制労働させられる訳ですから。

資本主義も無能な奴にとってはクソだとは思いますが、強制労働や納税の義務は絶対主義ではありませんからね。

強制労働やら納税の義務が必ずしも絶対に発動する訳じゃないし、インターネットや本で自由に自分の言いたいことを言えるだけ資本主義の方がマシだとは思います。

資本主義国家においてはニートやフリーターのような存在も認められているし、共産主義国家の人間より生活水準も思想の自由選択の幅も広いですから。

ただ、現代における新自由主義は共産主義に近いクソな経済思想だとは思いますけどね。まぁ、その辺はロボット革命や技術的特異点がケリを着けるのではないか、と思ってます。

 

レーニンが確立した共産主義思想というものは世界全体に浸透していき、中国や朝鮮半島、ベトナム、東西ドイツなどで新しい悲劇を巻き起こす事になっていきます。

レーニンが与えた後世への影響を考えればレーニンを偉人だとか英雄だと絶対視する気力は薄れていくと思います。

まぁ、ロシアや中国が失敗したのは王政後の政治主導が共産主義に切り替わったからでしょうね。資本主義を体験せずにいきなり共産主義を導入しているから、王政の頃よりも酷い政治体制にも発展するんでしょう。

しかも、現代においては猛烈に批判されているフランス革命を手本にした結果がロシア革命な訳だし。

フランス革命後のフランスって意味不明な政治史になってますからね。ナショナリズムが高まってナポレオンのような人間が輩出されたのは良かったけれど、ナポレオン遠征中にブルボン復古王政のようなものが国内で動いて、ナポレオンがロシア遠征から帰国せざるを得なくなった。そうすると、ロシア以外にプロイセンとイギリスとオーストリアなどに完全に包囲されてワーテルローの戦いで敗れて島流しという手順です。

フランスが落ちぶれていったのはナポレオンが悪いというか、フランス国民が足を引っ張りまくってた気もする。フランス革命で処刑された人って王家や貴族だけじゃなくて、知識層や革命を支持していた人達もギロチン送りになったっていう話を聞いたからね。

レーニンは多分、フランス革命と資本論の悪い部分だけを参考にしたんじゃないかとは思う。レーニンの性格自身も偏見が寄ってるところを感じますし。何よりも刑務所で本を読みすぎて他人の意見を聞かないところなんかは毛沢東やらホリエモン、ヒトラーとも被ってるようにも思う。

独裁者の悪いところは本を読みすぎて偏見の塊になってしまい、他人の意見に耳を貸さなくなることじゃないかな。しかも、それで家族や身内に不幸事があれば、自身の政治活動に感情論として導入するんだから、間違った知識だらけになるのも当然のようには思う。

ナポレオンが独裁者なのか英雄なのか微妙な位置で落ち着いてるのは部下や民衆の声にも耳を通してたし、公私をごっちゃにしなかった事だとも思う。

あと、数学好きの理数系だから、論理的能力にも優れていたから、周囲の空気を読んだり手順を踏んで物事を解決する能力にも優れてたんだと思うよ。

ヒトラーやレーニン、スターリン、毛沢東は演説時に感情の起伏を明確に表して、まるで役者や演者のように政治的活動を振る舞う傾向があるが、ナポレオンの場合は絵画やら写真を見ても余裕のある表情ばかりしか映ってないしね。

『ワーテルロー』っていう映画ではソ連視点のせいか、ナポレオンが哀れな独裁者として描かれていたけれど、ナポレオンの伝記や絵画、演説を読む限りでは大衆を陽動するような政治的活動には見えない。

ヒトラーやレーニンなどは怒りや悲しみ、感情を様々に表現する手段とジェスチャーで演説していたけれど、ナポレオンは言葉で大衆を説得していたように思う。

そこがナポレオン以前の英雄とナポレオン以降の独裁者達の決定的な違いだと個人的には思う。

映像記録や写真は戦争の悲惨さや残酷性を直接訴えるようにはなったけれど、ヒトラーやレーニンのような独裁者に対しては都合よく利用されたメディアのようにも思う。

ナポレオン以前の歴史上の人物は演説や政治活動を本や文献などで把握するしかなかったけれど、ヒトラーやレーニンは感情の起伏やジェスチャーで力強さを大衆に見せ付けた後に強力なカリスマ性で引っ張っていく感じだから、メディアの構成によってはヒトラーやレーニンの政治思想に引っ張られやすくもなるんだと思う。

ヒトラーやレーニンが活躍する当時にも彼らに反発する政治家や活動家、民衆は居たんだろうけど、民主主義政治だからマジョリティーの数が多くなればなるほどマイノリティーの意見は通らなくなるし弾圧もされ易くなるんだろう。

その結果が第一次世界大戦と第二次世界大戦だったんだとは思う。

 

>王政の終焉

フランス革命以降も王家は残る形にはなっていたけれど、20世紀の「第一次世界大戦」が勃発するとヨーロッパで王家が政治を取るスタイルが認められなくなっていった。

特に顕著なのはプロイセン帝国の皇帝だったヴィルヘルム二世だと思う。第一次世界大戦や日露戦争の戦争責任は彼ひとりだけの責任でないことが通説になったが、第一次世界大戦でドイツが敗北するとイギリスやフランス、オーストリアなどでも王様や貴族が政治を執る事はなくなっていった。

王政がいつ頃に終わったのか? というと、個人的には第一次世界大戦後だとは思う。あの戦争で王家と民衆の立ち位置が完全に逆転したようには思う。

アジアや日本が王政や封建主義政治を捨てるようになるのは第二次世界大戦後になっていく。

帝国主義が終焉したのはやはり第二次世界大戦後でしょうね。あの時代から領土や労働力獲得の経済戦争が終わったと思う。

帝国主義が終焉した後はアメリカを中心とした資本主義経済とソ連を中心とした共産主義経済の真っ二つに分かれる冷戦に突入します。

その後、朝鮮戦争やベトナム戦争、東欧革命やベルリンの壁崩壊、ソ連崩壊、ユーゴスラビア・ボスニア紛争などに発展していく。

 

 

>明治時代の日本の様子(1895年~1912年)

明治時代が開始されたのは1868年の事だった。前回でも述べたと思うが、日本では欧米列強の黒船来航により200年近く続いた鎖国を解かなければならなくなった。その結果、アメリカ以外のヨーロッパの国々とも不平等条約を結ばされた日本は貿易で損害を被る事になる。これに異を唱えた薩摩藩と長州藩が中心になって尊王攘夷運動を掲げて討幕を行い、王政復古の大号令を発表する事になる。

日本ではヨーロッパよりも先に王政や封建主義社会が破壊されていた。建前では天皇を君主とする帝国ではあったが、実権は薩摩藩と長州藩の尊王志士達の子孫に受け継がれ現代に繋がる事になる。安倍総理の先祖も元々は長州藩の藩士であり、自民党の多くの議員は未だに薩長藩の藩士の子孫である場合が多い。

海外において徳川政権はEmperor(皇帝)という扱いであり、天皇はMikado(帝)という特殊な扱いになっていた。つまり、海外から見た日本史では既に日本では絶対王政と封建主義が破壊されており民主主義に移行したという風に見られていた。

討幕運動を世界史で例えると、フランス革命。明治維新を産業革命に置く事が出来る。ただ、それはあくまでも表面上の体制が変化しただけであり、精神文化や儒教精神は第二次世界大戦の終戦を待つまでは変わる事がなかった。最も、第二次世界大戦が終結した後の日本人の労働に対する精神は美徳であり、産業革命以前のイギリスで酷使されていた労働者と変わらない精神構造を持つ事に至っている。

天皇は政治における君主であったが、実際の政治は議会制で行われており、薩摩藩と長州藩と土佐藩などの討幕で活躍した藩の元家老や藩主、志士が握っていた。

約200年間の近世という期間を日本では中世時代を送っていたので、早急に科学技術と法律会計とインフラ整備などを整える必要があった。

日本史における江戸時代は近世区間にあたるが、世界史基準で見た場合は鎖国を行っていた為に科学技術や法律会計分野などはヨーロッパ諸国に比べて200年近く遅れていた。

一応、オランダと清とは長崎の出島で貿易を行い、ヨーロッパの情報や科学技術の話は幕府にも流れていたようだが、それを一般庶民に伝えられる事は滅多になかった。

明治新政府は国内の幕府残党軍との争いを後回しにして、早急に岩倉具視視察団を結成する。そして、ドイツ(プロイセン帝国)で軍事と法律、アメリカで科学技術、イギリスで会計、フランスで芸術や美術、ロシアで文学や音楽などの情報を収集して早急に近代国家を作る礎を築いていった。

新しい近代国家を作る際に天皇居住の地で政治を行う必要があったので、皇族の拠点が京都から東京(江戸)へ変更になる。ここで日本の首都が京都から東京に変更された。京都が首都になってから約900年の月日が流れていた。

上京という言葉は明治天皇が居住地を変更した事に由来するらしいが、京都の人々は上京という言葉は未だに京都に向かう言葉であると考えている。

明治時代の説明はWikipediaや教科書などが詳しいと思うので、具体的な法整備や政策などはそちらを参考にした方が詳しいと思う。

この時代は江戸時代の法律やルールを変更する必要があったのでありとあらゆる法律やルールが変更されていき、近代国家の基礎に変わっていった。

具体的には廃藩置県や地租改正、四民平等、徴兵令、金禄公債などと言われている。

単刀直入に言うと、廃藩置県は地方分権から中央統一政権への切り替え。四民平等は皇族と華族(大名と公家)を除く人間の身分制度の撤廃。徴兵令は強制だったが、病弱な者や身体能力の足りない者は免除された。金禄公債は公務員の立場に近かった士族の給与や待遇の引き下げに近いものである。これに不平不満を感じた士族は征韓論の一件で政府から離れた西郷隆盛と共に西南戦争を引き起こしている。

征韓論とは武力を以て朝鮮半島に開国を求める政治論で板垣退助と西郷隆盛がこの一件で明治政府を辞める事になっている。

穏健派だった大久保利通や木戸孝允などがこの論を退けているが、大久保は暗殺され木戸も病気による早死にをしている。

近代法律を組む上で帝国主義の思想も吸収してしまった明治政府は後に中国や朝鮮半島などの内政に干渉。中国に至っては日清戦争に発展する事になる。

朝鮮半島や現在の中国が日本を許せない理由はこの頃の明治時代~太平洋戦争における軍事政策を採ってきた大日本帝国のやり方が許せないという事になっている。

しかし、当時の先進国や近代国家の思想は領土争いの帝国主義という考えに基づく考え方で、当時の先進国の考えではそれが普通だった。ちなみにヨーロッパ大陸においても領土争いは第二次世界大戦期まで続けられており、東欧地域はソ連や西欧列強の餌食になって民族紛争に突入している。更に中東地域やインドなども帝国主義の波に呑まれて民族や宗教が更に複雑化しているので、21世紀の現在でも宗教と民族問題が解決していない。

明治時代の日本は日本人にとっては江戸時代の次ぐらいに憧れの強い時代で文明開化のお蔭で様々な近代技術や近代システムが導入されていった。

具体的には洋服や自由な髪形、料理や考古学、郵便、鉄道、語学などと言われている。

優れた知識人も何人も誕生して現代の教育の基礎を作り上げていった。具体的にはジョン万次郎や福澤諭吉などである。

明治の後半には板垣退助が自由民権運動を起こして国会の基礎を作り出した。帝国列強との交渉時には「大日本帝国憲法」といった我が国最初の憲法も誕生している。

1882年には朝鮮半島がきっかけで1895年に日清戦争が勃発。近代国家に成長出来なかった清は日本の近代兵器と最新の兵略に屈して敗北する事になる。

1902年には日英同盟を結び、朝鮮半島と中国の利権を巡ってロシアと日露戦争を行う事になるが、引き分けという形で決着が着く。

政治思想が右寄りの人達からは日本の勝利という声が大きいが、世界史的には引き分けという形に落ち着いている。

別のNHKスペシャルでは日露戦争を「第零次世界大戦」と呼ぶ最新学説をテーマにした特集を組んだ。この時の戦争の黒幕はプロイセン帝国とヴィルヘルム二世。アメリカのセオドア・ルーズベルトという扱いにされていた。

ロシアが日本に苦戦した理由としてはレーニンが引き起こしたロシア革命が原因とも言われている。また日本海軍がバルチック艦隊を破ったという誤算があった事もロシアが苦戦した理由の一つと思われる。

日本海軍は当時最強と呼ばれていたイギリスと同じくトップクラスの実力だったそうで、岩崎弥太郎が三菱を立ち上げて重工業分野で成功していたので戦艦や船舶産業も世界でトップクラスの実力になっていた。

アメリカでは岩崎の実績と貢献を熱心に研究しており、世界史で日本を取り上げる際は岩崎弥太郎と三菱財閥が必ずクローズアップされている。

日露戦争で多大な利益と権力を手に入れた日本はめでたく帝国列強の仲間入りを果たして中国大陸への本格的な進出を目指す事になる。

これが1920年代以降の日本史の重要ポイントにあたり、1920年代の日本史におけるターニングポイントである「二・二六事件」と「満州事変」に関わる事になる。

明治時代の日本は日本史においてどういったポジションなのか? というと、「現代日本の基礎」と言えると思う。明治維新や討幕運動は産業革命やフランス革命にあたると言えるだろう。岩倉視察団や留学生が帝国列強の視察にいった事は近代国家を設立する上での参考資料となった。わずか数十年程度で近代国家の仲間入りをした日本を当時の帝国列強は大いに驚いたと述べている。

もしも、日本が近代化に成功しなかった場合はインドのようなイギリスによる植民地支配か中国のように大陸を分裂されている事態だったのかもしれない。

この頃のアジア地域は中世社会の封建制度と生活を維持している状況であり、経済や政治に干渉されて帝国列強に支配されていく構図だった。

世界最強だったオスマン帝国は第一次世界大戦の頃にはイギリスとフランスに分割され、学問分野は世界でトップクラスだったアラブ地域は近代兵器や機械の登場によりヨーロッパに分割されたり戦争に巻き込まれる形に入っていく。

日本の帝国主義支配はシンガポールや中国、朝鮮半島などから未だに批判されるが、19世紀当時は支配するか支配されるか、という弱肉強食の世界に突入しており、ヨーロッパの攻撃的な考え方を受け入れざるを得なかったという時代背景もあると考えられる。

日本がアジアを次々に支配していった事は事実だと思うが、南京大虐殺や朝鮮併合などの事件に関しては物理的に不可能と思われる部分もあるので、朝鮮や中国側の主張をにわかに信じてはいけない部分も多いと思われる。

当時の日本政府が欲しがっていたのは利権や土地、資源などであり、労働力や人民虐殺などナチスのような非道を前提にすることはなかったのではないか、とも思われる。

しかし、大日本帝国や旧日本軍が太平洋戦争で連合国に敗北した事は事実なので、旧日本やこの時代以降の政府が批判されたり悪扱いされる事はしょうがないとも思う。

歴史は勝者が書く記録になる訳なので、次の戦争で中国やアメリカが敗北しない限りはこの時代や太平洋戦争に至るまでの日本が公平に歴史評価される事はないだろう。

明治時代という時代は初期~中期においては陽の時代にあたると思われるが、後期に至っては陰に入る手前の時代と言える。

日露戦争で勝利した日本はその後中国大陸や朝鮮半島に進出して会社や鉄道を立ち上げる事になる。その後、関東陸軍の暴走とクーデターで日本政府の中心人物が文官から武官に切り替わる事になる。国際連盟から撤退した日本はその後、第二次世界大戦の道へ突入していく事になる。

明治時代という時代を日本史における陽に至るとすれば、大正時代以降の日本は陰とも言える。

しかし、この時代に近代化に成功しなければ帝国列強の植民地化か傀儡政権にされていた可能性があるので、明治維新や明治政府そのものを悪とも言い切れないだろう。

明治の近代化は現代日本にとっては国家の基礎と言える部分なので、明治時代という時代そのものを否定すべきなのか? というと、そういう訳でもないようには思う。

もしも、江戸時代の頃に幕府が鎖国をしなければ帝国主義の仲間入りをする可能性は低かったのかもしれない。但し、その場合は江戸幕府は100年~150年程度寿命を縮める事にもなっていただろうし、明治維新の結果もフランス革命やロシア革命と同じ結果になった可能性も高いかもしれない。

外国の影響がなかったとしても、徳川政権は豊臣家を滅亡させているので、あと100年か150年早くに幕府が滅亡していたら、徳川家と家老連中はお家断絶させられていた可能性は高かったかもしれない。

今現在も徳川家や前田家などの有力大名の子孫は宮内省や国家権力の中枢に身を置く者が多いが、あと100年か150年明治維新が早ければ、徳川に味方した大名も徳川家自身も断絶されてただろう。

日本が100年もしくは150年明治維新が早かった場合は日本の工業生産能力はアメリカを上回っていた可能性も高かったのかもしれない。

ロボットや技術的特異点などの歴史も日本の方が先行していた可能性は高かったかもしれない。日本人の理系分野における能力上昇幅はユダヤ人並にチートレベルなのでそうなっていた可能性は高かっただろう。

明治維新が起こってからわずか数十年で三菱や三井財閥などは船舶産業で世界でトップシェアに昇りつめている。

そう考えていくと、戦国時代における織田信長~徳川家康に至るまでの歴史は後世の日本史において最重要な時代だった可能性が高いと言える。

 

>馬から車へ

1900年代に入ると、大量生産のラインも安定するようになり、庶民にも工業製品が普及するようになっていった。1900年代以降には軽工業から重工業の大量生産路線に切り替わり始めた。軽工業というのは繊維や雑貨、被服、食器、文房具などの消耗品の事。重工業は鉄鋼や乗り物、武器・弾薬などコストが高い鉄製品の場合を指す。

自動車や船、飛行機などが民間にも出回るようになったのが1900年代以降の事。飛行機に関しては第二次世界大戦が終了するまでは民間に普及することはなかった。

1900年代に至るまでの移動手段は馬と鉄道が主流だった。蒸気機関から石油やガソリンにエネルギーが移行し始めて車の製造コストも安くなる1908年にはアメリカでフォード車が大衆車として販売されるようになる。

この頃に入ると自動車も高級製品ではなくなり中流層が購入出来る生活の一部として普及するようになっていった。ガソリンや石油が普及し始める1910年代以降には蒸気機関車や蒸気駆動で動く乗り物は都市部を中心に敬遠されていくようになっていった。

蒸気機関車はススなどで汚れやすかった事と空気の汚染が酷く小回りが利かないので都市部での移動は馬が中心になっていた。

だが、ガソリン自動車が普及するようになると、馬は戦争でも生活でも使われる機会が減っていくようになった。ちなみに馬が歴史上で乗り物として利用され始めたのは約3000年~2000年前の中東地域(メソポタミア文明)と言われている。

馬はアメリカ大陸ではカナダのケベック隕石落下事件(約1万2000年前)の頃に絶滅しており、インディアン(先住民)にとっては馬は未知の生き物だった。

ヨーロッパの白人が連れてきた犬や馬などの動物はインディアンにとっては化け物のように映っていたようで、ヨーロッパ大陸の動物と火薬になす術もなく敗北している。

この隕石落下事件でラクダやワニ、虎、狼、シロクマなども北米大陸から姿を消している(絶滅)。マンモスやオオツノジカなどの大型動物は約1万年前の氷河期の終焉で絶滅している。

自動車がドイツで普及したのは1930年代のナチスドイツの頃からであり、この頃にはヴォルクス・ワーゲン社のような会社が大衆車を販売している。アウトバーン(高速道路)政策も成功して、ドイツでは一人に一台、車を持つブームが起こっている。

日本で自動車が普及し始めたのは1970年代以降と言われており、この頃にマイカーブームが発生してトヨタやマツダ、ホンダなどのメーカーが内需でも高い利益を得るようになっていった。

中国は2013年頃に発生したバブル景気から自動車の個人所有ブームが巻き起こり、やはり中国でも一家に一台がスタンスという流れになっている。

 

 

>普仏戦争(1870年)-Wikipedia

1870年に起こった普仏戦争は第一次世界大戦まで遺恨を残す結果になった。この戦争はフランスとプロイセン王国、バイエルン王国、ヴェルテンベルク王国、バーデン大公国、ヘッセン大公国、ドイツ帝国との戦争になった。結果はドイツの大勝利で終わり、現代のフランスでもこの戦争の結果を忘れてはいけないという教育が徹底してなされている。第一次世界大戦を語る上では外せない戦争と思うので、この戦争も説明しようと思う。本来は19世紀だが。

敗戦国になったフランスでは1870年戦争とも呼ばれる。当時の指導者はフランス側がナポレオン3世。ドイツ側がヴィルヘルム1世、ヘルムート・フォン・モルトケ、オットー・フォン・ビスマルク、フリードリヒ王太子などといった第一次世界大戦にも現れる顔ぶれであった。犠牲者数は合計88万人に上る大戦争になった。フランスはこの時の戦争で75万人以上の国民を犠牲にして労働力不足と純血の国民不足の前兆を招くことになる。

この戦争のきっかけはスペイン王位継承問題が原因と言われている。ビスマルクがフランスを挑発して、挑発に煽られたフランス国民の民主政治の勢いに任せて戦争に突入したというのがこの戦争の流れである。

プロイセンはドイツ地方の北ドイツ連邦、バーデン大公国、ヴュルテンベルク王国、バイエルン王国と同盟を結び全ドイツが一丸となってフランスへの戦争に臨んだ。

この戦争で勝ち目がない事が分かっていたフランスはプロイセンのみに宣戦布告したが、ドイツ諸邦は積極的にプロイセンを支援する形で参戦した。この戦争で野戦砲と鉄道輸送を巧みに駆使したプロイセン軍の戦略に嵌ったフランス軍は1870年の9月2日のセダンの戦いで完全に包囲されて10万人のフランス兵とナポレオン3世が捕虜となった。

ナポレオン皇帝が降伏した後に第二帝政時代が終焉して、フランスでは第三共和政府が戦争を指示する形になったという。

しかし、代理政府の必死の抵抗も空しく、プロイセン軍は1871年1月28日に首都パリを占拠する。パリが陥落する10日前にプロイセン王のヴィルヘルム1世はヴェルサイユ宮殿で盛大豪華な戴冠式を行ってドイツ皇帝に即位した。1871年5月10日にはフランクフルト講和条約が締結されてフランスはプロイセンに完全に降伏する事になる。

普仏戦争の講和条約は1871年2月に仮条約がヴェルサイユで結ばれる。同年5月10日のフランクフルト条約で正式に調印された。フランスは東部のドイツ系住民居住地区のアルザス・ロレーヌ地方3県をドイツに譲渡。アルザス・ロレーヌ地方は鉄鉱石と石炭の算出地域として知られており、元々はドイツ語文化圏に属する神聖ローマ帝国(後のドイツ)の支配下にあった。第二次世界大戦後にはフランス領に戻ったが、現代では中心都市のストラスブールには欧州連合の主要な国際機関が数多く設置され、国家領土に分類されない中立的な地域となっている。

フランスは更に50億フランの賠償金の支払い義務が課せられた。フランス領内に進軍していたプロイセン軍は1873年9月まで駐留する事が決定した。

普仏戦争後の統一ドイツ帝国が完成。これにより、ドイツも帝国主義における列強の仲間入りを果たす事になる。戦後の外交交渉はビスマルクにより、1873年にドイツ帝国がロシア、オーストリア両国と三帝同盟を結ぶ事になり、フランスの外交的孤立化が確定した。ローマ教皇領は戦争の影響で普仏戦争中の1870年にイタリア王国軍に占領される事になる。これはフランスによる軍事的な後ろ盾がなくなった為である。

プロイセンが国民皆兵制を取っていたので、他国でも国民皆兵制が採り入れられる事になった。日本やロシアも普仏戦争の結果を知り、徴兵制(国民皆兵制)を採用する事になる。

この戦争でイギリスと同列の立場にあったフランスの国際的信用性と指導権力が薄れていき、ドイツがヨーロッパでの覇権を巡って更に軍備拡大を目指す事になる。

この戦争の影響で明治維新を迎えた日本は軍事技術や軍事戦略をプロイセンから参考する事になる。日本がプロイセンの軍事分野を採り入れた事は黄禍論の考えが固まっていたヴィルヘルム2世の称賛を買う事にも繋がった。

また外交分野はビスマルクの外交を積極的に研究して明治期の日本で最大限に活用される事になっていった。

フランスはこの時の戦争を2015年現在でも絶対に忘れる事が出来ない戦争として教育されており、特にドイツに奪われたアルザス・ロレーヌ地方については日本における北方領土問題のような扱いになっているようだ。

フランスのドイツへの遺恨はその後の1914年の第一次世界大戦で爆発する事になり、ドイツは普仏戦争のフランス以上の賠償責任を倍返しで支払わされることになっていく。

ドイツとフランスの仲の悪さはその後も続き、モロッコ事件でも二度対立する事になる。

統一ドイツ帝国が成立した事でナポレオン戦争後のウィーン会議で取り決められたヨーロッパの「パワー・バランス」は終焉を迎える。ドイツは世界最強の常備陸軍を備えたヨーロッパ大陸における最強クラスの強国として君臨する事になり、ヨーロッパの周辺国から敵視されるようになる。

普仏戦争で勝利したドイツはその後も軍備拡大と領土獲得と利益獲得を目指し、イギリスやアメリカと同じくアジア地域へ出向する事になる。ドイツの軍事力の強さは第二次世界大戦のナチスドイツまで引き継がれる事になる。

また、ドイツの近代軍事を積極的に採り入れた日本はヴィルヘルム2世から「東洋のプロイセン」というお褒めの言葉を預かる事になる。

しかし、軍備増強と領土拡大を目指していた日本もドイツも最終的にはファシズムに走り、第二次世界大戦でアメリカやソ連、フランスなどに完敗を喫することになる。

日本は戦後にアメリカ軍に駐在される事となり、ドイツは東西に分裂して冷戦におけるアメリカとソ連の代理戦争に巻き込まれていった。

プロイセン軍の近代戦術は第一次世界大戦までにヨーロッパの各陸軍で採用された。ビスマルク外交とプロイセンの軍事戦略を参考にした日本にも積極的に採り入れられた。

具体的には大砲の運用や砲兵と騎兵の戦術的連携などである。参謀幕僚制もこの戦争後に導入され、戦争が終わるまでの期間と規模、費用についての見通しと予測も立てられた。

 

 

>クリミア戦争(1853年)

19世紀において最大の多国籍戦争と言われるクリミア戦争は1853年~1856年の3年間にも渡った。この戦争はクリミア半島、バルカン半島、国海、バルト海、太平洋と言った東欧側で発生した戦争で、バルカン半島は「世界の火薬庫」とも呼ばれるほど危険な場所になっていった。バルカン半島を舞台にした戦争は後の第一次世界大戦やサラエボ事件、バルカン戦争にも受け継がれていく事になる。

この時の戦争の勢力はフランス、イギリス、オスマン帝国、サルデーニャ王国とロシア帝国、ブルガリア義勇兵の対立となった。第一次世界大戦前においては最大の多国籍戦争と呼べるのかもしれない。犠牲者数は合計で28万人以上に渡り、ロシア側は13万4000人以上の犠牲者を出した。

ナポレオンが打ち立てたウィーン体制はヨーロッパ大陸において長期の「パワーバランス」をもたらしていたが、各国の利害関係が複雑化して、オスマン帝国のような様々な民族、文化、宗教を抱える多民族国家の被支配民族が原因となりナショナリズムが発生するようになったと言われている。

こういった状況は21世紀現代のヨーロッパ大陸のヨーロッパ各国に近いとも言える。

ボスニアとヘルツェゴヴィナはスラヴ系のムスリムが支配者層で、貧困層はキリスト教徒が大半で工業化があまり進んでいない中世的な地域観になっていた。人口の大多数は封建領主に搾取される貧農だったので、セルビアやモンテネグロの反オスマン運動の宣伝にも利用されていった。

オスマン帝国は近代化より地域における安全性を優先する事を意識して、キリスト教徒の身分制度の平等や税制の公平化に勤めた。

しかし、1848年革命を起こした運動が失敗してキリスト農民がさらに追い詰められる事を恐れた帝国はこの地域の自作農化を進める事を求めた。

これに反発した支配層のムスリム貴族が居たので、オスマン帝国は1850年にドナウ方面の司令官オメル・パシャを派遣して反対派をサラエボから追放して秩序の安定を求めた。だが、キリスト系農民の武装は解除される事がなかった。

ロシアとオスマン帝国が対立するきっかけになったのはオスマン帝国が支配するエルサレムの管理問題だった。フランスのナポレオン3世は個人的な名誉を得る為に国内のカトリック教徒から聖地を管理指導する権利を獲得する。しかし、正教会を国教にするロシアのニコライ1世が激怒。ロシアは正教徒保護を名目にオスマン帝国全土に渡る内政干渉を行ってモルダヴィアとワラキアへの兵力を投入するに至った。

こうしてロシアとオスマン帝国、フランスの戦争が始まってしまったが、戦火を拡大しない為にイギリスは外交努力で両者の仲介役に扮装した。

しかし、イギリスの和平交渉は失敗に終わりイギリス自身もオスマン勢力側に着く事となり、戦火は更に拡大。オスマン帝国はヘルツェゴヴィナにおけるゲリラ戦に対抗する為に武器を買い付けてボスニア人ムスリムに流して抵抗した。戦況は更に泥沼化していった。

1855年にはサルデーニャ王国もこの戦争に介入してオスマン帝国側に付いて戦う事になった。この戦闘は様々な国が入り乱れて戦う激しい戦闘だったので、ドナウ川周辺~カムチャッカ半島まで戦火が及んだ。

この戦争で敗北したロシアは内政改革を余儀なくされ、外交面で手腕を発揮出来なくなったオーストリアも急速に国際的地位を失う事になった。戦勝国側ではイタリア統一戦争への準備を整えたサルデーニャのデモンストレーションに繋がり、プロイセンが工業化に成功してヨーロッパ社会に影響力を持つようになっていった。プロイセンはこの後にオーストリアやフランスと戦争する事になるが、いずれもプロイセンの勝利で終わる。

北欧政治に影響を与えて、英仏艦隊によるバルト海の侵攻にも至った。この戦争以降にイギリスとフランスの国際的立場が同等となり、国際的発言力が強まり帝国主義化が加速してアジア地域にも波及する事になっていった。

クリミア戦争は幕末期の日本にも影響を与えた。クリミア戦争があまりにも長期化し過ぎたのでヨーロッパ諸国が日本やアジアへの進出が遅れ、アメリカに先に日本との条約締結を出し抜かれたという話もある。ロシアは一応、ペリー来航後の1855年に日露和親条約を結ぶが、フランスやイギリスの艦隊がカムチャッカ半島にも及んでいたのでまともな交渉は日本と出来なかった。

この戦争で現代でも役に立つ発明がなされた。それは天気予報である。フランス政府の命令でパリ天文台台長のルヴェリエという人が暴風雨の研究を行ったのが天気予報のルーツとされている。

皮肉な話だが、この戦争で天気予報、看護士制度(ナイチンゲール)、カーディガン(7代目カーディガン伯爵)、ラグラン袖(フィッツロイ・サマセット)、目出し帽、アームストロング砲(ウィリアム・アームストロング)、東方問題、紙巻煙草(イブラーヒーム・パシャ)、機雷(ロバート・フルトン)、1857年恐慌、ロシアの銀行(ヨシフ・ギンヅブルク)といった様々な発明品や社会問題、民族問題が起こる事になった。

ヨシフ・ギンヅブルクは銀行の一件で財をなしてロスチャイルド家へ婿養子として嫁ぐ事になる。

今日もクリミア戦争で生まれた発明品やファッションは使われている。具体的には看護士制度、天気予報、カーディガン、ラグラン袖、目出し帽、紙巻煙草、機雷、ロシアの銀行といったものだ。

クリミア戦争の影響で歴史上有名になった人も数多く居て、特にアルフレッド・ノーベルと吉田松陰、ナイチンゲール、シュリーマンは歴史の教科書に載る有名人になった。

クリミア戦争というのは結局は何が原因なのか? というと、聖地エルサレムを巡る管理問題と異民族問題を解決出来なかったオスマン帝国の内紛が原因という事になる。

この戦争で中世社会で世界最強だったオスマン帝国の国際的信用は失墜し、近代化にも乗り遅れたので第一次世界大戦や第二次世界大戦では帝国主義に染まった列強の領土分割の犠牲に繋がる事になる。

ロシアにおいても王政に対する権威や信任権を失った戦争とも言える。その影響は後の第一次世界大戦、ロシア革命や日露戦争などに引き継がれる事になる。

フランスはこの時の戦争まではナポレオン時代の無敗伝説を引き継いでいたが、工業化に成功したプロイセンの普仏戦争で敗北して国際的な権力を失墜させる事になり、第一次世界大戦ではドイツへの遺恨と怨念を爆発させる事になる。

イギリスやオーストリアはこの戦争に至るまでは世界でトップクラスの外交交渉力と仲介役を持った国とも言われていたが、近代化が進み民族や宗教が入り乱れる大陸問題に発展、民主政治と議会政治も普及していったので、後世に遺恨を残す事件を産む要因にも繋がっていった。

第一次世界大戦ではイギリスは滅茶苦茶な賠償請求をドイツに行うフランスを抑えられず、国際連盟のリード権もアメリカに握られてアメリカが居なければ始まらない状況にまで世界のリーダー権力を失墜させる事になる。また1950年のパレスチナ問題においてもユダヤ民族とスラヴ系民族との対立を解決出来ずに今日までアメリカに丸投げする形に終わっていった。

バルカン半島はその後、「世界(ヨーロッパ)の火薬庫」と呼ばれる事になり、バルカン半島の民族問題は第一次世界大戦に再度大爆発する事になっていった。1990年代以降には冷戦の影響を直接受けたユーゴスラビア紛争に発展し、宗教と民族、歴史問題は今日も続けられている。

クリミア半島も立地条件的にはロシアの領土なのかそうでないのかはっきりしない部分があって、しばしば戦場の舞台にされる事が多い。1917年のロシア革命ではクリミアは反革命軍に占拠されるが、革命軍(赤軍)に反革命軍は駆逐されてソ連の一部となっていった。1921年にはクリミア自治ソビエト社会主義共和国が樹立されたが、第二次世界大戦期にはナチス・ドイツの占領下にされる。

1954年にはクリミアはウクライナ・ソビエト社会主義共和国へとソ連構成国間で移管される事になった。1991年にソ連が崩壊した後は独立後のウクライナに属するクリミア自治共和国になった。

しかし、2014年にクリミア危機が発生した。この問題はクリミア半島の領土を巡ったロシアとウクライナにおける政治危機であり、ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ政権を崩壊に追い込んだ2014年ウクライナ騒乱の後に生じた。この一件のあと、クリミアは再びロシアへの編入に至っている。

だが、ウクライナ政府と国際社会における多数の国家はロシアのこのやり方を認めない状態で今日に至っている。

バルカン半島とクリミア半島は近代戦争においてはクリミア戦争、青年トルコ革命、バルカン戦争、サラエボ事件、第一次世界大戦、東欧革命、ユーゴスラビア紛争などの争乱や戦争に巻き込まれてきたあるいはきっかけになった地域なので、「第三次世界大戦」のきっかけもクリミア半島におけるウクライナ問題になるだろうと言われていた。2014年にはロシアとウクライナの間で政争に発展する危険があったので、アメリカやEU諸国は現在でもロシアの行動を監視させられつつある状況だ。

 

 

>ロシア革命(1905年~1917年)

1910年代で欠かすことの出来ない歴史上の事件が「ロシア革命」だ。ロシア革命はマルクスの『資本論』で語られたプロレタリア革命に分類される政変だが、マルクスの言うプロレタリア革命は反資本主義の労働者が資本主義の経営者や資本家を打倒する社会革命を指すので、近年の歴史家の間ではロシア革命はフランス革命や名誉革命と同じ市民革命に分類される場合が多い。

ロシア革命は20世紀初頭に起きた衝撃的な事件だったのでフィクションや歴史ドラマなどで語られるケースが多い。特に「アナスタシア皇女」や「ニコライ2世」、「アレクセイ皇太子」は有名だと思う。フィクションなどでは主にこの3人が主人公になった作品が多く作られた。

ロシア革命はニコライ2世の一家を虐殺した歴史的事件で有名で、この事件によってロマノフ王朝及びロシア王族の血縁は途絶えたとされる。

このブログではロシア革命の引き金になったウラジーミル・レーニンにスポットを当てて解説しようと思う。

レーニンを知らない人にとってはロシアの霊廟でエンバーミング処理されたミイラのおじさんという印象が強いと思う。

この人が具体的に何を起こしたのか? というと、歴史上初となる共産主義国家「ソビエト連邦」を立ち上げた事とプロレタリア革命を指揮した革命家だった事が彼の偉業・功績とされる。

ロシア国内や学習漫画などでは英雄や偉人として語られることの多いレーニンだが、ロマノフ王朝やその後のロシア史を考えると、ヒトラーやスターリンに次ぐ独裁者・人類史に残る犯罪者という印象が強くなる。

1870年に物理学者イリヤ・二コラエヴィチ・ウリヤノフの父とドイツ系のユダヤ人の母から生まれたレーニンはエリート一家の次男として生まれた。

レーニン一家は王朝から認められた名士であったが、兄のアレクサンドル・ウリヤノフがロシア皇帝アレクサンドル3世の暗殺計画に加わった容疑で絞首刑にされる。同じく姉のアンナ・ウリヤノヴァは追放される。その昨年には父親が脳出血で死去した。

レーニンはこの悲劇的な出来事から革命家の道を志し兄の遺志を受け継ごうと奔走した。

レーニンはその後、学生運動に参加したり『資本論』の研究に明け暮れて、ギリシャ語・ラテン語・ドイツ語・英語・フランス語などの多言語を大学在籍中に習得した。

しかし、この時も秘密警察から監視されたり逮捕されたりしていたので、レーニンは読書と研究ばかりに明け暮れていたという。

マルクス主義の「共産主義理論」を自分の都合に合わせて歪曲して解釈したレーニンはマルクス主義活動家を自称して1895年に労働者階級解放闘争ペテルブルク同盟を結成するが、12月7日に逮捕・投獄されて、1897年にシベリア流刑、エニセイ県ミヌシンスクの近くのシュシェンスコエ村に追放された。

1903年にロシア社会民主労働党第2回党大会が開かれるも、1898年に弾圧されて機能停止になった同党を再建するに至る。ここでイスクラ派と呼ばれる革命グループは分裂してポリシェヴィキ(多数派)とメンシェヴィキ(少数派)に分かれてレーニンはポリシェヴィキの指導者となる。

その後、1905年に血の日曜日事件が起こる。これは宮殿の敷地内に入り込んだ民衆を鎮圧しようとした警備隊からクーデターが発生した事件だった。レーニンとメンシェヴィキは議論を交わし、レーニンはプロレタリアート(労働者)と農民がブルジョアジー(貴族や富裕層)を抜きに遂行するブルジョア革命を構想することになる。

メンシェヴィキの考察する革命論は自由主義ブルジョアジーがブルジョア革命を発生させてプロレタリアートがそれを側面から支援する考えであった。フランス革命では農民が主体となって革命を発生させ、ブルジョアジーや聖職者がそれに追従する流れであったので、フランス革命の理論を参考にしたようにも思える。

1914年の8月に発生した第一次世界大戦をレーニンのグループは帝国主義戦争と定義して、戦争参加国そのものを支持すべきではない、という独自のスタンスを取った。

レーニン達の考える通り、第一次世界大戦以降は共産主義や資本主義、ファシズムといった新たな政治勢力が権力を握るようになり、皇帝や貴族が実権を握る事は殆どなくなっていった。

この戦争の一件でポリシェヴィキのスローガンは「帝国主義戦争を内乱へ転化せよ」という標語になっていった。

1916年には『帝国主義論』を出版して資本主義と帝国主義を否定して、帝国主義は資本主義の最高の過程段階、社会主義革命に至るまでのプロセスと著書で強調した。

レーニンのこの考えはマルクスの『資本論』に書かれる社会体制における時代区分を照らし合わせてるように思われるが、マルクスの社会体制理論は資本主義から社会主義に移行するプロレタリア革命が起こる可能性を示唆しているだけで、帝国主義を打倒したレーニンたちの政治思想が共産主義に当たるかどうかは後世の歴史家の間でも議論が分かれている。

1917年に二月革命が発生。その後に十月革命という二度目の革命に発展する。十月革命の直前には『国家と革命』を出版する。

この著書は国家を階級支配の機関とみる国家観に立ち、既存の国家機構は奪取するだけではなく、粉砕して新しい国家機構を作らなければならない、といった過激な主張だった。レーニンはこの著書で「いずれ国家は死滅する」とも述べた。

1918年にブレスト・リトフスク条約に署名することになる。これはドイツとの講和交渉が決裂してドイツがロシアに侵入して、ソビエト政府が国土の西部地域の多くを失う事を呑む条件にもあった。

第一次世界大戦から手を引いたソビエト政権はモスクワに遷都した後にポリシェヴィキをロシア共産党に改め、7月にソビエト憲法を制定した。ここで左翼エスエル蜂起に対処する形で共産党以外の政党の政治権力を剥奪し、独裁政権の前兆を立てることになる。

1918年にレーニンは暗殺されかけるが、なんとか生き残る。しかし、その時の後遺症で脳梗塞を患うことになった。

その後、ロシア正教会を弾圧し、1922年のグルジア問題ではグルジア人だったスターリンとグルジア問題で大激論となる。この問題がきっかけとなり、スターリンはレーニンの考えや主義主張から遠のくことになる。そして、レーニン自身にとっての最大の敵もスターリンに移り変わっていった。

1924年には4度の心臓発作で死去することになる。死因の原因は暗殺未遂事件の時の後遺症と戦争や革命の激務による健康被害と考えられている。

しかし、スターリンがレーニンを暗殺したと思われるような仮説も挙がっており、死の直前のレーニンは「スターリンにソビエトの指導者をやらせてはいけない」と遺言を残したという話もある。

スターリンはレーニンの死後に遺族の反対を押し切って死体を防腐処理させて偶像崇拝の象徴として、霊廟にレーニンの遺体を飾ることにした。

現ロシア政府は何度もレーニンの遺体を埋めることを検討しているが、ロシア国民の大多数に反対されており、未だにレーニンの死体は半年~1年おきに裸にされた後に防腐処理のメンテナンスをされている。

ロシアのロマノフ王朝の皇帝一族を抹殺するように命令したのがレーニンかどうかはよく分かっていない。

レーニンの同士のレフ・トロツキーは裁判にかけるべき、という主張をしたそうだが、レーニンは裁判をかける必要はないと断言したという逸話も残ってる。

ニコライ一族の虐殺の仕方や光景が残酷だったので、レーニン一派が悪役や独裁者として描かれる事も多いが、植民地支配を受けてきた第三世界や現在のロシアでは人気の高い人物だとは言える。

植民地支配を行っていたのは帝国主義のイギリスやフランスだったので、レーニンの主張する帝国主義廃止論は結果的には植民地支配を受けてきたアフリカやアジアの国々の人たちにとっては都合が良かった。

しかし、レーニンのやり方は独裁や暴力そのものであるので、インドのガンジーやアメリカのキング牧師のやり方や政治活動と対比されて見られる場合も多い。

スターリンは死後のスターリン批判でスターリンの権威が落ちたもののレーニンの権威は揺らぐことはなかった。

カール・カウツキーという人物はレーニンの一党独裁を非難した。

イギリスのウィンストン・チャーチルはレーニンを「ロシア人にとっての最大の不幸」と呼び、彼が死んだことは第二の不幸と呼んだ。

レーニンが立ち上げたソ連はレーニンが嫌うことになるスターリンに引き継がれるが、スターリン時代に国内外からソ連の社会的信用性を失うことに至る。

その後、冷戦の時代に入り、ソ連が掲げる共産主義思想はロシアと関係ない国々にも浸透して自分の都合で解釈する独裁者やアメリカとソ連における政治思想の票数獲得で国家そのものが利用されることになる。

1989年にはベルリンの壁の崩壊に併せて、ソ連が崩壊することになるが、レーニンの遺体そのものは未だに埋葬されることはない。

レーニンが後世に与えた影響は「共産主義」思想や共産党の考えが他の先進国にも普及することに至った事だとは思う。

ネットや世間一般では共産主義思想を独裁や一党政治、文化や伝統の破壊と考える場合が多いが、大体の元凶はソ連や中国共産党だと思う。

アメリカでも1920年代に共産党のブームが起こるが、その時のアメリカはソ連へ共産主義者を送ることで解決した。1950年代や1960年代にも共産主義思想のブームが起こるが、その時は「赤狩り」と呼ばれる政治活動の規制やヒッピー対策で切り抜けていった。

日本においても共産主義の活動は何度か起こる。日本赤軍や学生運動、オウム真理教などがそれに該当するのかもしれない。

共産主義はレーニンやスターリンがそう語ってるだけで、実際のマルクス主義の共産主義体制は別物だとは個人的に思ってる。

スターリンやレーニンの共産主義思想の特徴は絶対王政体制の指導者が共産主義の活動家に入れ替わっただけであって、具体的な労働や経済システムはあまり変わる事がないと思う。

本来の共産主義は末端の労働者から富裕層の立場の人間までもが同一賃金や同一労働をするといった思想だとマルクスも主張しているので、レーニン達の掲げる共産主義思想はマルクスの共産主義思想とは別物だと主張している学者も多い。

そもそも共産主義革命が倒す相手は資本家や経営者、富裕層といった経済で成功を収めた商人であって、革命を実行する人間は末端の労働者と定義されている。

共産主義は資本主義から移るステップな訳なので、封建体制を倒した主義グループが共産主義を語れる訳ではないと思う。実際にソ連や中国共産党の政治体制は外装が変わっただけの絶対王政的な仕組みである場合が多い。

だから、1989年には共産主義政治が打倒される事にも繋がるのだと思われる。

それじゃあ、マルクスの提唱する共産主義革命は起こらないのか? というと、それは次の技術革新で労働者に対する求人条件が更に引き上げられた場合に起こると思われる。

現代の21世紀は新自由主義と呼ばれる資本主義経済が支配している時代になるが、IT革命以上の技術革新が起こって労働者の厳選を企業や雇用主が更に締め付けるようになって、労働者の生活条件と雇用条件が更に悪化した場合には真の共産主義革命が起こる可能性は高いと思う。

ロボット革命や技術的特異点が起こった後はニートやフリーター、派遣労働者などが社会的に切り捨てられると述べるブログや書物も多いが、実際には逆だと思う。

ロボット革命や技術的特異点で簡単な労働が自動化出来て、経営者や富裕層が更に労働者の雇用条件を引き上げて賃金のベースアップも行わず、政府が重税と福祉の使役を行使する場合には末端労働者と貧困者の数がマジョリティーに発展するので、革命を起こす条件が整い易くなる。あとはレーニンやヒトラーのようなカリスマ的な人物を待つだけだと思う。

ただ、マルクスの言う共産主義革命を確実に成功させる為にはレーニンのような男よりもナポレオンのような男が君臨しなければ新政治体制の定着は難しいと思う。

人間の労働者が厳選されていき、第三次産業のような販売やサービスを重視する労働が更に増加した場合は需要と供給の関係において、需要する為の消費額は減る事になるので、結果的には富裕層と政府の取り分は減る事になるとは思う。

今の社会は大儲け出来てる企業と小金を稼いでる企業の二極に分かれてるように思うが、実際にはIT企業のような産業が小金をより多くの母数から稼いでるだけに過ぎないと思う。

富裕層と行政が無能者や末端労働者を次の技術革新で不要の扱いにしたとしても、人口数が減少するだけになるので、現代の資本主義経済ではお金を集める事が一層難しくなると思われる。

IT革命以降の労働は20世紀までの資本主義と違って労働者の厳選と労働賃金の再分配が行われている状況なので、来世紀まで資本主義が続くとは思ってない。

仮にロボット革命で資本家が更に労働力の厳選と労働者の使い捨てを考えたとしても、末端労働者=消費者な訳なので、消費市場が活性化する事はなく衰退する一方だとは思う。

たとえ、富裕層や行政の人間がロボットの労働で王族や貴族のような暮らしが出来たとしても、数多くの国民は貧困労働者に落ちぶれる事になるので、貧困者対策を行わなければマルクスの言う「共産主義革命」は起こると思う。

ロシア革命やソ連は共産主義に分類されるが、後世にマルクス主張の共産主義運動が起こった場合はレーニンの政治思想における共産主義は別名称で呼称されるとは思う。

 

 

>1895年~1914年までの歴史的な重要事項(Wikipediaより)

・リュミエール兄弟による映像の発明(1895年)

・京都大学の設立(1897年)

・戊戌の政変(1898年)

・量子論の仮説(1900年)

・ABO式血液型の発見(1900年)

・ガンマ線の発見(1900年)

・東海道本線急行車に食堂車の連結(1901年)

・ノーベル賞の設立(1901年)

・日英同盟(1902年)

・パナマ運河の建設(1903年)

・ライト兄弟の人類初の飛行成功(1903年)

・日露戦争(1904年)・・・・・・・・海外の専門家が「第零次世界大戦」とも提唱。

・血の日曜日事件(1905年)

・ノルウェーの独立(1905年)

・特殊相対性理論の発表(1905年)

・第一次モロッコ事件(1905年)・・・・・・ドイツとフランスが対立

・ベンガル分割令(1905年)

・大日本帝国の鉄道国有法(1906年)

・青年トルコ革命(1908年)

・伊藤博文暗殺事件(1909年)

・メキシコ革命(1911年)

・第二次モロッコ事件(1911年)・・・・・・ドイツとフランスが対立

・タイタニック号の沈没(1912年)

・大正時代の幕開け(1912年)

・バルカン戦争(1912年)

・サラエボ事件(1914年)

・第一次世界大戦(1914年)・・・・・・・別名:ヨーロッパ大戦、第一次20世紀大戦争

・サイクス・ピコ協定(1916年)・・・・・・映画『アラビアのロレンス』で詳しく解説している。

・二月革命(1917年)・・・・・・・・・ロシアのロマノフ王朝が共産主義政党に滅亡させられる。

・十月革命(1917年)・・・・・・・ソビエト政府の樹立。

・アメリカの参戦(1917年)・・・・・・・・ドイツに補給艦船が破壊されてアメリカが激怒。第一次世界大戦に乱入する。

・フィンランドの独立(1917年)・・・・・・・・共和制へ移行。

・十四か条の平和原則(1918年)・・・・・・・・・世界の政治権力の中枢がイギリスやフランスからアメリカに移行する。古代ローマ帝国から続いてきたヨーロッパの世界政治統制はこの年に終焉する。

・カロライナインコの絶滅(1918年)

・ドイツ革命(1918年)・・・・・・・・・・ヴィルヘルム二世の退位。ドイツも王政が終焉する。

・アイスランド王国の成立(1918年)

・ローラット法の成立(1919年)・・・・・・・・ガンジーの必死の抵抗。

・五四運動(1919年)

・第三次アフガン戦争(1919年)・・・・・・・アフガニスタンが独立。

 

>1900年代の科学技術、文化創作、政治経済、発明など

・量子論

・ABO式血液型

・放射線

・食堂車

・ノーベル賞

・パナマ運河

・飛行機

・日露戦争

・血の日曜日事件

・特殊相対性理論

・雑誌・週刊誌など

・帝国主義

・電話

 

 

>この時代における重要な歴史上の人物

・パウル・フォン・ヒンデンブルグ

・ヴィルヘルム二世

・ジョージ五世

・カール1世

・レフ・トロツキー

・ローザ・ルクセンブルク

・ウラジーミル・レーニン

・ニコライ2世

・エーリヒ・ルーデンドルフ

・デビッド・ロイド・ジョージ

・エドワード・グレイ

・ルドルフ・シュタイナー

・ヴィクトル・シクロフスキー

・ハインリヒ・ヴェルフリン

・ロマン・ロラン

・モーリス・メーテルリンク

・グスタフ・マイリンク

・ガストン・ルルー

・サキ

・アンドレ・ジッド

・カール・クラウス

・ポール・ヴァレリー

・ヘルマン・ヘッセ

・レーモン・ルーセル

・フランツ・カフカ

・フーゴ・バル

・ロジャー・フライ

・ウジェーヌ・アジェ

・フランツ・マルク

・オスカー・ココシュカ

・ジョルジュ・デ・キリコ

・カルロ・カッラ

・ピエト・モンドリアン

・ポール・ポワレ

・セルゲイ・ディアギレフ

・ビクトラン・ジャッセ

・イーゴリ・ストラヴィンスキー

・アルフレート・ヴェーゲナー

・ヘルマン・ワイル

・ロバート・スコット

・グリゴリー・ラスプーチン

・マタ・ハリ

・トーマス・エドワード・ローレンス

・マーク・サイクス

・袁世凱

・孫文

・魯迅

・隆裕太后

・大隈重信

・西園寺公望

・山本権兵衛

・原敬

・尾崎行雄

・吉野作造

・芥川龍之介

・石川啄木

・高村光太郎

・斎藤茂吉

・大正天皇

 

・ホーコン7世

・ジョセフ・チェンバレン

・エドワード7世

・エミール・コンブ

・ケア・ハーディ

・ゲオルギー・プレハーノフ

・ピョートル・ストルイピン

・ゲオルギー・ガポン

・ユーリー・マルトフ

・エルンスト・マッハ

・ジョルジュ・ソレル

・フェルディナン・ド・ソシュール

・ジョン・アトキンソン・ホブソン

・ジョージ・エドワード・ムーア

・オットー・ヴァイニンガー

・レオン・ブロワ

・モーリス・バレス

・アントン・チェーホフ

・オットー・ワーグナー

・アンリ・ルソー

・エミール・ガレ

・マックス・リーバーマン

・アントニ・ガウディ

・ルネ・ラリック

・アントワーヌ・ブールデル

・ヴィクトール・オルタ

・チャールズ・レニー・マッキントッシュ

・パブロ・ピカソ

・ジョルジュ・ブラック

・エドワード・エルガー

・ジャコモ・プッチーニ

・グスタフ・マーラー

・クロード・ドビュッシー

・アンナ・パヴロワ

・サラ・ベルナール

・ジョルジュ・メリエス

・イワン・パブロフ

・キュリー夫妻

・アンリ・ベクレル

・アンリ・ポアンカレ

・アルベルト・アインシュタイン

・オーレル・スタイン

・ダニエル・パウル・シュレーバー

・ニコラ・テスラ

・ジョン・ヘイ

・セオドア・ルーズベルト

・オー・ヘンリー

・ライト兄弟

・ジョーゼフ・ピューリツァー

・アーネスト・トンプソン・シートン

・ヘレン・ケラー

・西太后

・山縣有朋

・伊藤博文

・田中正造

・桂太郎

・東郷平八郎

・乃木希典

・星亨

・森鷗外

・牧野富太郎

・正岡子規

・黒田清輝

・与謝野晶子

・夏目漱石

 

<大衆文化の歴史>

・芋川椋三玄関番の巻(1917年)・・・・・・・・日本国内最古と呼ばれるアニメーション作品。

・哀れなピエロ(1892年)・・・・・・・・フランスで作られた世界最古のアニメーション作品。

・魔法の絵(1900年)・・・・・・・・・・アメリカ最古のアニメーション作品。

・戦争と平和(1869年)・・・・・・・・・レフ・トルストイによって執筆されたロシア文学作品。クリミア戦争が舞台になっている。

・イワンのばか(1885年)・・・・・・・・同作者による作品。

・吾輩は猫である(1907年)・・・・・・・・・夏目漱石によって執筆された日本文学作品。小説。

・坊っちゃん(1907年)・・・・・・・・・・同著者によって描かれた作品。

・おもちゃ箱(1913年)・・・・・・・・・・クロード・ドビュッシーによって作曲されたクラシック音楽。

・夜想曲(1899年)・・・・・・・・・・・・同作者による管弦楽曲。

・精神分析入門(1917年)・・・・・・・ジークムント・フロイトによる研究著作物。

・連邦銀行(1884年)・・・・・・・・オットー・ワーグナーによる建築物。

・マジョリカハウス(1898年)・・・・・・・・同作者による建築物。

・眠るジプシー女(1897年)・・・・・・・アンリ・ルソーによる絵画作品。

・賢者の贈り物(1906年)・・・・・・・・オー・ヘンリーによる小説作品。

・都会の敗北・・・・・・・・・・・・・・・同作者による小説作品。

・月世界旅行(1902年)・・・・・・・・・ジョルジュ・メリエス監督によって製作された世界最古のSF映画。

・不可能を通る旅(1904年)・・・・・・・・同作者の映画。

・かもめ(1896年)・・・・・・・・アントン・チェーホフの戯曲。

・ワーニャ伯父さん(1900年)・・・・・・同作者の戯曲。

・シートン動物記(1898年)・・・・・・・・・アーネスト・トンプソン・シートン博士によって執筆された55編の小説。

・The Story of My Life(1903年)・・・・・・・・ヘレン・ケラーによって執筆された自伝。和訳タイトル名は各出版社によって異なる。

・津田塾大学(1900年)・・・・・・・・・・・一般の日本女性の教育に尽力した津田梅子が設立に成功させた大学。旧名は「女子英学塾」。

 

 

<歴史を動画で知ろう!!(1895年~1914年)>

ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm24241957(リュミエール兄弟)

ttps://www.youtube.com/watch?v=2gkIMp6aDxc(戊戌の政変)

ttps://www.youtube.com/watch?v=gKd8dpBVABo(量子論)

ttps://www.youtube.com/watch?v=U-OMFONIcZ0(ガンマ線)

ttps://www.youtube.com/watch?v=xY5_Tbw9VU4(ノーベル賞)

ttps://www.youtube.com/watch?v=fy5l6qkMIeQ(日英同盟)

ttps://www.youtube.com/watch?v=kSXYabbbvGI(ライト兄弟)

ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm3750060(日露戦争)

ttps://www.youtube.com/watch?v=LUXQjhgHInI(ロシア革命)

ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm6693325(特殊相対性理論)

ttps://www.youtube.com/watch?v=d_VXHjIqQE8(伊藤博文)

ttps://www.youtube.com/watch?v=Lv-j6j3aVM4(メキシコ革命)

ttps://www.youtube.com/watch?v=pmCCTlC3XSQ(タイタニック)

ttps://www.youtube.com/watch?v=MsgcLwNTjB0(明治時代の日本)

ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm5201115(サラエボ事件)

ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm23942533(第一次世界大戦)

ttps://www.youtube.com/watch?v=-tZEfARQNbU(サイクス・ピコ協定)

ttps://www.youtube.com/watch?v=gAhvwp_1VN4(ドイツ革命)

ttps://www.youtube.com/watch?v=_hSsqsh17tc(五四運動)

ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm20315161(アムリットサル事件)

ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm23131318(南北戦争)

ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm19041006(日露戦争)

ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm22880959(アラビアのロレンス)

ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm23193576(リンカーン)

ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm13298716(クリミア戦争)

ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm8429343(ダイナマイト)

ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm8018583(量子力学)

ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm21924468(特殊相対性理論)

ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm3419779(飛行機)

ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm13092738(戦闘機)

ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm17348673(自動車)

ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm17358531(蒸気機関車)

ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm5116221(戦艦)

ttps://www.youtube.com/watch?v=5ZF1cYYV3Xg(夏目漱石)

ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm19160871(アンリ・ポアンカレ)

ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm16006395(ニコライ2世)

ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm4051130(グリゴリー・ラスプーチン)

ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm1436815(ウラジミール・レーニン)

ttps://www.youtube.com/watch?v=xUwww5qbYbk(1895年)

ttps://www.youtube.com/watch?v=YQQFT4WO0Lk(1896年)

ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm13921335(1899年)

ttps://www.youtube.com/watch?v=6sQURbUJRUo(1897年)

ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm17614070(1898年)

ttps://www.youtube.com/watch?v=nI1pAsXMfqg(1900年)

ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm9986211(1901年)

ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm20461061(1902年)

ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm13396431(1903年)

ttps://www.youtube.com/watch?v=OCkkgdoXuMg(1904年)

ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm5369674(1907年)

ttps://www.youtube.com/watch?v=kRXXxoM-DtE(1905年)

ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm17625159(1906年)

ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm9566539(1908年)

ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm18866044(1909年)

ttps://www.youtube.com/watch?v=_A2cxDpz5Dg(1910年)
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物理数学II―フーリエ解析とラプラス解析・偏微分方程式・特殊関数 単行本(ソフトカバー) – 2015/9/30

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「相対性理論」を楽しむ本―よくわかるアインシュタインの不思議な世界 (PHP文庫) 文庫 – 1998/12

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