時代区分の分け方:中編

今回からは本格的に「人類史」の解説をしていこうと思います。

 

>人類史はどのように分ける事が出来るのか?

人類史=歴史は主に5つの時代で構成する事が出来るそうです。

「古代」「中世」「近世」「近代」「現代」という感じです。

英語の場合は似たような単語が続くので、時代区分の分け方がしっくり来ないのですが、日本語の場合は漢字二語なので、しっくり分けられる感じがすると思います。

これらの時代は「歴史」で扱われる話で、主に『世界史』と『日本史』で学ぶ事になります。

「古代」は文字記録などが残るようになりましたが、記録が少ないので考古学の力を利用して歴史証拠などを発掘・解析する作業が進んでいるようです。

あと、トロイの遺跡を発掘したシュリーマンも考古学で名を挙げた学者なので、古代の時代は考古学のテリトリーの方が強いという感じですね。古代後期、末期の頃には文字記録や保存媒体なんかも鮮明になってくるので、情報量は多い方だったりします。

 

>古代世界の特徴

主に約4000年前の古代エジプト文明から4世紀末期のゲルマン民族の大移動が「古代」の歴史区分だとされているようです。

日本史の場合は聖徳太子の仏教導入から源頼朝が鎌倉幕府を組織するまでを「古代」と扱っているようです。

なので、日本史においては縄文時代と弥生時代と古墳時代と大和時代は「原始時代」という見方が強いようですね。

世界史においても一般的には古代オリエント文明の登場からを「古代」と見る趣があるので、古代エジプト文明やメソポタミア文明は「古代」の範疇に入れられない事も多いようです。

経済学者のカール・マルクスによれば、この時代の経済制度は「奴隷制」らしいです。要するに身分制度を設けて、労働や学業・教育などの役目を奴隷に行わせて、それ以外の人間は貴族身分のように遊んで暮らしたり政治する事が出来たって話です。

この経済制度よりも古い社会制度は「原始共産制」と呼ばれており、財産や食糧、文化などを全員で共有して平等に分配するといった社会体制を指します。

この経済制度は原始時代や先史時代の人類社会が当てはまるかと思います。あの頃は文明や国家、王などが登場していませんからね。

日本では外国との戦争を行う機会が殆ど無かったので、マルクスの社会制度によって時代区分を分けるやり方は通用しないでしょうね。

何故、マルクスは「奴隷制」という言葉を用いたのか? と言うと、古代ギリシャや古代エジプト、古代ローマ帝国などは戦争に敗北した蛮族や亡国の国民を奴隷として扱う文化があったからです。

但し、古代社会の奴隷は肉体労働やブルーカラーの職業を割り当てられた訳じゃなくて、家庭教師や伝言板、マッサージ師、貴族の付き人、マネージャーなどの事務職やホワイトカラーの職業を割り当てられる事もあったそうです。

要するに奴隷市場で奴隷自身が自己PRを行って、競売人が奴隷の能力に満足すればホワイトカラーや事務職の仕事を割り当てる事もあった訳です。

奴隷業務をきちんと遂行した奴隷は自由と市民権を与えられる事もあった訳なので、中世以降の奴隷に比べると人権は守られている方でした。

ただ、古代ローマ帝国におけるコロッセウムでの剣闘士などは猛獣や剣闘士との死闘で生き残り続けない限りは自由や市民権を得るのは難しかった訳なので、剣闘士スパルタカスによる反乱などが起こる事にもなりました。

古代の皇帝や貴族は市民の投票の多数決で選ばれる事も多かったので、古代ローマ帝国や古代ギリシャ世界などは人類史において現代の次に理想的な社会・世界だと考えられている訳です。

あと、コンクリート製法などのロストテクノロジーが生まれたり、ピタゴラスの定理やソクラテス数学などの優れた学術研究や科学などもこの頃に成り立っているので、科学者や理数系にとっては現代の次にこの時代が住み易かったのではないだろうか、って思います。

古代ギリシャや古代ローマの労働は殆どは奴隷任せだったようなので、貴族や市民は哲学や学術研究に熱心だったり、政治活動や軍事活動に盛んだったようです。要するに高等遊民の生活を送れたようです。

古代ギリシャよりも古い古代エジプトなどは古代ローマほど市民が遊ぶ余裕などはなかったようですが、ピラミッド建設は公共事業の一環だったそうなので、古代社会は労働をする以外にも暇だった人は大勢居たようです。

だから、古代ローマ帝国の頃はワインを飲む文化だとかコロッセウムでの剣闘士の死闘を見学したりする趣味が盛んだったようです。

文明や国家が誕生して人々に余暇が生まれると、教育・学術・経済・政治・身分制度・法律・宗教・文字・神話伝説などが次々に誕生していきました。

宗教については次に紹介する「中世」で支配する概念・存在に昇華していく事になります。

古代ローマ帝国は優れた文明を持っていましたが、蛮族のゲルマン民族によって滅ぼされています。ゲルマン民族はドイツ人の先祖にあたるので、現代のヨーロッパ人の大半の民族は蛮族だったわけです。ガリア人、ケルト人などはそれぞれフランス人、イギリス人にあたります。

古代ローマ帝国が滅亡した理由は諸説ありますが、末期の頃にキリスト教を国教と認める法律が出来た事が最大の要因だったんじゃないかと思います。キリスト教を国教と認めるまでのローマ帝国はイエス・キリストを処刑して、キリスト教一派も弾圧し続けましたからね。それで、士気が落ちて蛮族に文明を破壊されたという話があります。

NHKスペシャルの『文明の道』では金脈を掘りつくした結果に資源が枯渇して経済麻痺が起こった為に兵士の士気が落ちて蛮族に支配されることになった事を古代ローマ帝国滅亡の要因としています。

当時の古代ローマ帝国はインドや中国と貿易をしており、絹織物や胡椒を輸入していました。

しかし、ローマ帝国が輸出する金貨は大量生産出来ない訳なので、インドや中国で消耗品扱いだった輸入物を貿易しまくった結果に経済が回らなくなって、崩壊したって話があります。

『特命リサーチ200X』という番組では亜鉛を大量に含んだワインを皇帝や貴族が飲みすぎた為に鉛中毒になって、正常な軍事判断が出来なかった為に蛮族に滅ぼされたという話があります。

いずれにしても古代ローマ帝国が滅亡した原因は様々な要因が複数重なった事で崩壊したと言えます。領土が広大過ぎて、管理支配するのが難しい地域もあったんだと思われます。

まぁ、古代の特徴はこんな感じです。古代史はオリエントやヨーロッパが優秀なイメージがありますが、既に中国やインド、アラビア半島などの東洋なんかも様々な発明品や科学技術の研究が出来てます。絹織物に関しては古代中国の漢でしか作れなかった技術だったそうです。

古代史の偉人はユリウス・カエサル、ガウタマ・シッダルータ、イエス・キリスト、アレクサンドロス大王、クレオパトラ、クフ王、ハンムラビ王、ダレイオス1世、諸葛孔明、孔子、孫武、始皇帝、アショーカ王、モーセ、ソクラテス、ピタゴラス、ハンニバル・バルカ、聖徳太子、源頼朝、平清盛、卑弥呼、藤原道長、聖武天皇、中大兄皇子などが居ます。

後世においても有名なのはカエサル、クフ王、アレクサンドロス、始皇帝、孫武、キリスト、孔子、釈迦などじゃないでしょうかね?

 

 

>中世の特徴

ゲルマン民族に古代ローマ帝国が滅亡させられて、世界史は「中世」に突入することになります。日本では源頼朝が鎌倉幕府を設立する12世紀頃から織田信長が室町幕府を滅亡させる1573年辺りの時代を「中世日本史」と呼ぶそうです。

『資本論』を執筆したカール・マルクスによると、この時代の経済体制は「封建制」に分類出来るそうです。

封建制というのは強固な身分制度が確立されて、血縁や一族の出自によって身分を決定してしまうという「生まれた時点で人生が決まってしまう」社会制度の事です。

インドにおけるカースト制度に近い身分制度かと思います。日本においては近世社会がヨーロッパ中世における封建制に近い物だと思います。

この時代に確立された身分とは「王」「貴族」「僧侶」「軍人・騎士・武士」「庶民・農奴」などの事です。

ヨーロッパにおいては貴族よりも僧侶の方が力を持っていたので、王の次に偉いのは僧侶や宗教家だと思います。中には僧侶や宗教家自身が皇帝に就任している神聖ローマ帝国などの存在もある訳なので、王様以上に権力を持っていたのが僧侶や宗教家だと考えていいでしょう。

古代の頃と違って国を完全に滅亡させる戦争というよりは交渉次第で王様やら貴族の命だけは救うってのが中世の戦争の特徴だと思います。国としての形は残すけれど、国同士における支配関係は戦争によって確立させるといった感じですね。

ヨーロッパでは蛮族がローマ帝国を支配したものの東ローマ帝国は16世紀まで生き残り、キリスト教文化は蛮族が支配した国々にまで広がっていきました。

キリスト教の名目で戦争を始めた十字軍戦争のような物が起こったり、この頃から東洋との戦争も激しくなっていきました。

古代の頃も東洋との戦争はしばしばあったようですが、馬の移動能力や兵糧などを長持ちさせる技術が無かったので、西洋間での戦争が多かったようです。

中世の時代に入ると、アラビア半島でもムハンマドがイスラム教を布教させてしまったので、エルサレムを巡る十字軍戦争をキリスト教一派やユダヤ教一派と行わざるを得なくなっていったようです。

あと、中東世界ではタラス河畔で古代中国の唐とも戦争を行っています。この時の戦いをタラス河畔の戦いと言いますが、この時に古代中国で発明された火薬や羅針盤、紙の製法技術がアラビア半島やヨーロッパに伝わった事で中世ヨーロッパ世界でも科学技術の芽が再び開花したそうです。

ヨーロッパの中世は記録保存の方法や科学技術が衰退してしまったので、暗黒時代などと呼ばれましたが、イスラム世界や中国などは順調に科学技術や発明が進歩していたようです。

インドではゼロの概念が作られ、中東世界では眼鏡やコーヒー、石油、帆船、飛行機の羽、アラビア数字、時計などが発明されたそうです。

これらの科学技術はモンゴル帝国の侵略戦争や十字軍戦争でヨーロッパにもたらされてルネサンス文化を開花させることに繋がっていきました。

ヨーロッパではルネサンス文化が開いた時までを中世と呼んでいるそうで、中世ヨーロッパは殆ど記録や技術進歩などが残ってなかったことから、「暗黒時代」と呼ばれる事が多いようです。

中世世界史の先進国は当時の中国やイスラム世界、インドなどでこの頃は数学研究が盛んだったようです。

ヨーロッパとアジアとイスラム世界はそれぞれ独自の歴史を歩んでいましたが、それらの地域が一つに固まりそうになる事件が起こりました。

チンギス・ハンが立ち上げたモンゴル帝国です。3代目のフビライ・ハンの頃には中国、インド、イスラム、東欧ヨーロッパの一部などを支配した巨大国家となり、日本にも侵略を試みた物の台風の到来や海洋戦での夜襲などを受けて撤退を余儀なくされました。

フビライが日本に興味を持ったのはマルコ・ポーロがもたらした『東方見聞録』で日本の金貨や純金を狙って支配を試みたようでした。

フビライ没後は一族同士で争ったりしていたようで、その内に支配されていた民族に逆襲されてモンゴル民族は再び草原の遊牧民に戻っていったようです。

モンゴル民族がヨーロッパまで攻めた事が原因で伝染病がもたらされて、ヨーロッパでペストが大流行します。

当時のヨーロッパ人はペストの原因を猫や魔女の仕業だと考え、魔女狩りを行い猫を次々に殺していきました。

しかし、猫が大量に死んだ事でますますネズミが繁殖してペストは更に大流行することになりました。

 

中世史においてはこういう偉人が活躍しました。

チンギス・ハン、フビライ・ハン、ムハンマド、ハールーン・アッラシード、サラディン、カール大帝、マルコ・ポーロ、ガリレオ・ガリレイ、コペルニクス、ジャンヌ・ダルク、リチャード1世、北条時宗、足利尊氏、足利義満、足利義政、日野富子、武田信玄、上杉謙信、伊達政宗、毛利元就、今川義元、北条早雲など。

世界三大宗教のイスラム教が出現したことが中世社会の大きな特徴でしょうか。あとはモンゴル帝国の出現とそれに伴う伝染病の流行などでしょうね。中世は寒冷な気候だった為か、ヨーロッパにしろイスラムにしろ中国にしろ日本にしろ、戦乱の嵐が続く事が大きな特徴でしょうかね・・・・。

古代社会の頃までは武士や騎士、軍人などの専門階級は存在しなかったのですが、荘園や領土を警備する為に職業軍人のような物が生まれた事が中世社会の大きな特徴だったんじゃないかなぁ、と思います。

中世は農作物の不作や日照りなどが相次ぎ、食糧を思うように採取することが出来なかったようです。

 

 

>近世社会の特徴

次に迎えるのが「近世」です。世界史基準ではルネサンス文化の開花から産業革命が起こるまでを「近世」と呼ぶようです。まぁ、ヨーロッパ視点の場合ですけどね。

日本史では、織田信長が室町幕府を滅亡させてから徳川慶喜が大政奉還を行うまでの期間を「近世日本史」と呼ぶのが一般的なようです。

カール・マルクスのマルクス主義歴史学においては「封建制」経済の扱いのままです。

日本はヨーロッパの時代区分の影響を受けて、日本でも日本史を時代区分するやり方が20世紀初頭から普及したようです。

現在の研究では織田信長が歴史の表舞台に出現してからを「近世」と呼ぶのが主流になってきているようです。

戦国時代の日本では二度目の文明開化が起きようとしていました。それは鉄砲の伝来と南蛮貿易です。聖徳太子の頃にも東洋文化を受け入れて中国と本格的に貿易をする事件が起きましたが、南蛮貿易は日本にとっては2度目のカルチャーイベントでした。

鉄砲の伝来は1543年頃に起こったので、その頃からを日本史における「近世」と見る事が出来るでしょうね。

鉄砲や火縄銃が登場するまでの日本は重装備の甲冑鎧を身にまとい、弓矢や日本刀で戦闘するのが一般的でした。火薬や鉄砲、大砲なんかを使った戦術が一般的になり始めたのは織田信長が長篠の戦いで武田家を滅亡させてからのようです。

世界史ではルネサンスの時代には「近世」を迎えていました。ルネサンス時代は15世紀頃なので、日本とは1世紀ほどのずれがありますね。

ルネサンスを迎えたヨーロッパはマルコ・ポーロの『東方見聞録』の影響を受けて大航海時代を迎える訳ですが、新たな悲劇の始まりでもありました。

当初のヨーロッパ人は日本やインドを目指したようですが、辿り着いた場所はアメリカ大陸でした。その時に見た現地人をインド人だと思った事から、彼らをインディアンだと呼んだそうです。

南北アメリカ大陸にも金銀財宝などは数多くありましたが、現地人の文明を破壊して略奪する方法しかありませんでした。

軍事的に政略したヨーロッパ人は南北アメリカ大陸のインカ帝国やアステカ王国の跡地を植民地とすることにしました。

北アメリカ大陸は砂漠地帯が多かった為か17世紀に入るまでは本格的な開拓は進まなかったようです。北アメリカ大陸に移民してアメリカ合衆国を作り出すのは17世紀まで待つ必要がありました。

17世紀に入ると、イギリスから独立する為にアメリカ独立戦争が勃発。イギリスに敵対するヨーロッパ諸国がアメリカのスポンサーになりました。

その後、アメリカは独立を果たしてアメリカ合衆国になるという流れです。

ヨーロッパが大航海時代で侵略戦争を繰り広げると、黒人を奴隷として扱う習慣も生まれ、リンカーン大統領が奴隷解放宣言を行うまでは奴隷に自由が与えられる事はありませんでした。

黒人や有色人種に人権を認めようとする動きは1960年代のケネディ大統領の登場やキング牧師の演説まで待つ必要がありました。

近世社会では身分制度や搾取経済に不満を持った一般市民が王家や国家に反乱する市民革命が巻き起こる時代に突入していく事になります。

17世紀にはフランス革命が勃発。この革命で働き盛りの世代が丸ごと戦死して、ナポレオン戦争以降には労働力を移民に頼らないと生活出来ない事態になっていきました。

フランス革命は成功した物のフランス革命戦争に突入して国王無き政権が続いたので、ナポレオンが出現してナポレオン戦争に突入していく事になります。

ナポレオン戦争終了後には普仏戦争が起こりますが、この時にフランスがドイツにボロ負けしたので、この時の遺恨を第一次世界大戦でドイツに仕返しする事になります。

19世紀にはクリミア戦争が勃発。この時に看護士という職業が生まれて、日本への開国運動も遅れる事になりました。オスマン帝国やロシアなどは産業革命を迎えなかったので、この時から戦争に弱い国に逆転していく事になります。

18世紀にはイギリスで産業革命が起こります。この産業革命が始まった事で「近代」が訪れる事になります。

 

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