名作ゲーム感想03:ポケットモンスター

>ポケットモンスターとは?

1996年2月にゲームボーイ専用ソフトとして発売されたゲーム。歴代のゲームソフト売上ランキングでは『スーパーマリオブラザーズ』に次ぐ2位という記録を保持している。

ゲームシリーズのランキングとしては、1位のマリオシリーズに次いで2位。3位は『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』のソニックシリーズ。

初代の『ポケットモンスター』は現在はニンテンドー3DSやニンテンドー2DSのバーチャルコンソールとして配信されている。

発売から翌年の1997年にはテレビ東京系列でアニメがスタートする。任天堂のゲーム作品がテレビアニメ化されたのはポケモンが初めてで、ポケモンの長寿アニメ化が成功してからは『星のカービィ』や『F-ZERO』などのゲーム作品もテレビアニメ化されていった。

テレビ東京はポケモンが登場するまでは『横山光輝版 三国志』ぐらいしか長寿アニメが存在しなかったが、ポケモンがアニメ化されてからはテレビ東京の看板&長寿アニメは『ポケモン』になっていった。

ポケモンブーム後もテレビ東京の看板&長寿アニメはゲームやカードゲームが原作の作品が続き、『遊戯王』や『妖怪ウォッチ』などが長寿アニメのコンテンツとして成長している。

 

>ポケモン誕生

ゲームの開発元はゲームフリーク。産みの親は田尻智。ゲームフリークは元々は同人サークルとして発祥した株式会社で、当初はゲーム攻略の同人誌を販売する社会人サークルだった模様。会社の誕生経緯自体は『新世紀エヴァンゲリオン』のガイナックスとよく似ている。ちなみに『エヴァンゲリオン』もテレビ東京系列のアニメでテレビ東京代表のアニメ作品。

電子系の高専を卒業した田尻氏はゲームセンターでゲームを攻略する事が趣味で、それを元にした同人誌を販売したところ、似たような趣味を持つスタッフが集まってサークルになっていったらしい。

田尻氏が青年だった当時は『スペースインベーダー』や『パックマン』などのソフトが活躍するゲームセンター黄金期で、当時のゲーム業界のトップメーカーはナムコだった。

そういった事情から当初はゲームフリークが開発したソフトはナムコに販売を委託していたらしい。途中からはセガ、ソニー、任天堂の3社にソフト供給を行うメーカーに成長していく。

ゲームを攻略する事で満足する事が出来なくなったサークルはゲームソフトを開発する。それで成功したソフトが『クインティ』で、それがきっかけで株式会社ゲームフリークを設立する流れになる。

その後は田尻氏が少年時代に思い描いていたオリジナルのゲームソフトを作る為に他社からの委託開発を請け負う事になる。

『ポケモン』の企画自体は1990年頃には出来てたそうで、当時の開発名は『カプセルモンスターズ』だったらしいが、『ウルトラセブン』のカプセル怪獣の名前と被って版権的にややこしいという事で、『ポケットモンスター』の名前に変更された。

1990年当時はファミコン末期のゲームボーイ黄金期の時代だったが、他メーカーのソフト開発を請け負いつつ、大量に退職希望するスタッフが出た為にソフト開発は難航。

ソフト開発を行える環境が出来たのは1993年頃からで、その頃にはゲームボーイ市場も末期の状況で、任天堂の据え置き機のスーパーファミコンも市場が末期の状況。

1995年頃にはライバルメーカーのセガのセガサターンやソニーのプレイステーションの勢いに押されて、任天堂一強の時代を維持するのが難しくなっていた。

開発当時は約1000種類のモンスターのデザインが用意されていたらしいが、ゲームボーイの容量の都合で150種類までしか入れられなかったらしい。

実際にゲームに何種類のモンスターを入れるつもりだったのかは不明。

約数人のキャラクターデザイナーが1000種類のモンスターを揃える時点で相当の労力と時間がかかりそうな物だと思う。

ちなみに最初にプログラムを組み込めたモンスターはサイドンらしい。その為、ケツバンというバグモンスターの鳴き声がサイドンという話がある。

150種類のモンスターをゲームに組み入れた後にたまたまわずかな容量があったので、そこに151体目のミュウのデータを入れたので、ソフト内でバグが大量発生する事になったらしい。

ちなみに「ゲームセンターCX」の開発者インタビューによれば、当時は任天堂にさえも報告が出来ていなかったらしいので、当時の任天堂のコールセンターは電話三昧でパンクだったらしい。

『ポケモン』の開発企画はセガやナムコにも持ち込んだらしいが、最終的に企画を買ったのが任天堂だったので、任天堂販売元のゲームソフトになったらしい。

『ポケモン』の開発には宮本茂や『MOTHER2』の石原恒和も参加していたので、主人公のライバルのデフォルトネームが「シゲル」になっている。ちなみに主人公のデフォルトネームは「サトシ」だが、これは田尻智氏の名前が元になっている。

 

 

>ポケモン発売後の影響

1995年に開発されて、1996年2月に発売されたが、発売当初は特に話題にならなかった。約1カ月経った頃に151体目のミュウの話題が端を発して全国的に口コミで評判が広がった。

更に発売前にコロコロコミックとのタイアップも用意されていたので、発売前からそこそこの知名度があった。

開発陣営が想定していた対象年齢はサラリーマンやOLだったらしいが、コロコロコミックの対象年齢が小学生だった事や任天堂のソフトという事から、小学生が主なメインユーザーだった。

発売当初の管理人の小学校でのポケモンへの評価は「やたらとバグが多過ぎるゲーム」という評価だった。当時はバグが多い=クソゲーという認識が強かったので、ポケモンが人気になるまでは一部ではクソゲーという評価を下していた人も居た。

1997年の1月頃には151体目のミュウが話題になり過ぎてミュウをバグで出してセーブデータを消す人が続出した事から、任天堂とゲームフリークが幕張メッセを借りてミュウの電子データを無料で抽選配布する企画が始まったが、管理人は選ばれなかった。

抽選に落ちた人にはミュウのイラストが描かれたハガキが送られたが、今も残してる人はそんなに多くないと思う。

1997年4月頃にはテレビ東京系列でアニメ化がスタートして、管理人の田舎の県でも数週間遅れで放送されたが、当時は放送出来なかった田舎の県も多かったらしい。

アニメが始まってから、ピカチュウの知名度と人気が御三家(ヒトカゲ、ゼニガメ、フシギダネ)を上回り、ピカチュウブームが起こった。

アニメ番組は1998年3月に終了する予定だったが、局の想像以上の人気だった事から放送開始から半年後ぐらいには番組延長を決めたらしい。

1997年12月頃にポリゴンがゲストキャラクターとして出演する放送回があったが、赤と青の点滅が激し過ぎるシーンがあった事で嘔吐と頭痛を起こした子供が続出した事から連日ワイドショーでニュースになり、放送を自粛する形になった。

アニメ版ポケモンのこの事件の影響で、テレビ・ゲーム・映画などで視聴前の警告メッセージが強制的に入れられる事になった。

そして、赤と青の点滅シーンもアニメやゲームでは二度と使用出来なくなった。

この”ポリゴン事件”の一件で新聞やテレビで『ポケモン』が大々的に取り上げられたので、アニメ版ポケモンが放送されていない地域でも『ポケモン』やピカチュウの知名度が老若男女に広まって、日本全国でポケモンに興味を持った人が増えた。

当時のワイドショーや報道番組は任天堂やテレビ東京をバッシングする内容で報道していたが、皮肉にも視聴者の多くは『ポケモン』を応援していたので、放送は半年後ぐらいに復活する事になった。

放送自粛の影響で冬頃に公開する予定だった映画は1998年夏に上映される事になり、この映画から毎年夏にポケモンの映画が公開される事になった。

ゲームの続編にあたる『金銀』は開発の難航から発売自体は延期しまくっていたので、ポリゴン事件の影響は殆ど関係ない。

アメリカやヨーロッパでポケモンが大ヒットした理由はよく分からないが、日本でポケモンが人気になっていった経緯はこんな感じだったと思う。

ポケモンの国民的な人気と知名度を決定付けたのが1997年12月に放送された「ポリゴン事件」だと思う。あの事件が存在しなければ、ポケモンが放送されていない地域の老若男女がポケモンやピカチュウを知る機会自体が無かっただろう。

ポケモンのアニメ番組の成功で、ゲームソフトとゲームボーイが売れて、ゲームボーイ市場を終焉させるつもりだった任天堂はゲームボーイ市場を延期させる事を決めた上で携帯ゲーム機の更なる開発に励む事になる。

『ポケモン』の登場がなければ、任天堂は携帯ゲーム機開発を行うのを断念していたと言われていて、ソニーもPSPやPS Vitaを開発しなかったかもしれないと、ネット掲示板の一部の界隈で言われている。

 

 

>ポケモンは何故成功したのか?

『ポケモン』は『女神転生』のシステムのパクりとかよく言われているが、通信ケーブルを利用した新機能が当時としては斬新だったので、成功したんだと思う。

現在では自分以外のユーザーを自分のゲームソフトに招待して対戦や協力プレイをする事は珍しくないが、当時としては一人プレイ前提のゲームソフトで他人のゲームデータの一部を輸出入する事は珍しかった。

ある意味、インターネットの前身とも言えるかもしれない。

通信対戦や協力プレイ自体は『ポケモン』以前のゲームにも存在したが、通信交換やキャラクター収集の機能を重視したソフトは『ポケモン』が初めてだったので、それがユーザーにウケたのだと思う。

ちなみにキャラクター収集(ポケモン図鑑)のアイディアは田尻智氏の昆虫採集の経験かららしい。

また他のRPGと違って、好きなキャラクターを6体選んで自由にパーティを決めれる自由度の高さもユーザーに気に入られた理由だと思う。

普通のRPGはパラメータやステータス、技が固定化されているキャラクターを必然的に選ぶ必要があるのだが、『ポケモン』の場合は戦うキャラクターをプレイヤーが自由に取捨選択した上で技やアビリティを自由に決められる気軽さがあったので、他のRPGに無い要素だった。

『ポケモン』がヒットした最後の要因としてはバグ技の多さだと思われる。大人からすれば、バグが多い=クソゲーというイメージが強いが、『ポケモン』のバグは結果的にはプレイヤーにとって得になるバグ技も多かったので、小学生のメインユーザーにとってはポケモンのバグ技は自分のプレイを助ける上で助かった要素だったんだと思う。

151体目のミュウはバグ技を利用すれば、どうにか手に入る場合もあったので、ポケモンのバグ技は他のゲームと違って、イライラするバグ技じゃなかった。

しかし、バグ技の乱用でセーブデータが消去されるリスクは非常に高かった訳なので、当時としては『ポケモン金銀』が出るまでバグ技を封印していたユーザーも一部居た。

 

 

>ポケモン発売後のゲーム業界への影響

ポケモンのヒット以後は2匹目のドジョウを狙って、各メーカーがモンスターを題材にしたゲームソフトを乱発するようになった。

ポケモン以降にヒットしたモンスター系のゲームでは『モンスターハンター』『妖怪ウォッチ』『モンスターファーム』『デジタルモンスター』『たまごっち』『メダロット』『モンスターストライク』『パズル&ドラゴンズ』などがある。

未だにモンスターを主人公、題材にしたゲームは出続けている。

ポケモンの2パッケージ商法を真似てユーザーを獲得した『ドラゴンクエストモンスターズ』だとか『ロックマンエグゼ』などもあるが、大抵のゲームソフトは失敗している。

 

1990年代のサブカルチャーを語る上で『ポケモン』は外せない作品だと思う。この作品に出て来るピカチュウはドラえもんやハローキティに並ぶ国民的人気キャラクターに育っていった。

『ポケモン』の大ヒット後に株式会社ポケモンとかいうポケモンの版権やマーケットコンテンツを守る管理会社が現れるが、ユーザーからの評判は良くない。ミュウから端を発した幻のポケモンは映画を映画館で視聴した時のプレゼントとして全国のユーザーに無料配布されるようになったが、肝心の映画の内容自体がくだらない場合が多いので、客寄せパンダとして利用されている。

 

>1990年代にヒットしたポケモン

『ポケモン』以外で1990年代にヒットした漫画やアニメ、ゲーム、ラノベでは『ワンピース』や『名探偵コナン』『忍たま乱太郎』『新世紀エヴァンゲリオン』『デジモンアドベンチャー』『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』『メタルギアソリッド』『ファイナルファンタジー7』『星のカービィ』『クレヨンしんちゃん』『ちびまる子ちゃん』『るろうに剣心』『遊戯王』などがある。

未だにシリーズが続いているのはポケモン以外ではコナン、ワンピース、遊戯王、ソニック、まる子、忍たま、カービィ、クレしんぐらい。

世界でヒットした日本の漫画アニメゲームで、1990年代の作品は『ポケモン』や『ソニック』『メタルギア』『FF7』『遊戯王』ぐらいで、殆どはゲーム出身の作品の場合が多い。

『ポケモン』の大ヒット以降は日本から世界へ進出したコンテンツは特にない。2000年代以降の作品で言うと、任天堂の『どうぶつの森』や『WiiFit』『Wii Sports』ぐらいだと思う。

漫画アニメだと、『NARUTO』やら『進撃の巨人』とかだと思う。

 

 

>ポケモンのリバイバルブーム

リバイバルというか、初代や金銀をプレイしたユーザーが再び熱中し始めた時期がニンテンドーDSが活躍する2006年~2013年頃らしい。

その頃は『ポケモン金銀』のリメイクソフトの『ハートゴールド・ソウルシルバー』が発売されたので、大学生や社会人がポケモンを遊ぶのも珍しくなくなってきた。任天堂がCMで大学生がポケモンを遊んでる様子をお茶の間に流した影響も大きかったんだと思う。

それまでは大人や大学生がポケモンを遊ぶという風潮自体が社会に認められてなくて、ポケモン=子供のコンテンツという印象だった。

しかし、任天堂が『ダイヤモンド・パール』辺りで大学生がポケモンを遊んでいるCMを流すようになってからは、大人がポケモンを遊んでいても指が差されない風潮に変わっていった。

 

 

>現在のポケモン本編のソフト

・ポケットモンスター赤・緑・青・ピカチュウ・・・・・1996年2月/GB

・ポケットモンスター金銀クリスタル・・・・・・・・1999年11月/GBC

・ポケットモンスタールビー・サファイア・エメラルド・・・・・・2002年11月/GBA

・ポケットモンスター ファイアレッド・リーフグリーン・・・・・2004年2月/GBA

・ポケットモンスター ダイヤモンド・パール・プラチナ・・・・・・2006年9月/NDS

・ポケットモンスター ハートゴールド・ソウルシルバー・・・・・2009年9月/NDS

・ポケットモンスター ブラック・ホワイト・・・・・・・・・2010年9月/NDS

・ポケットモンスター ブラック2・ホワイト2・・・・・・・2012年9月/NDS

・ポケットモンスター XY・・・・・・・・・・・・・・・・2013年9月/3DS

・ポケットモンスター オメガルビー・アルファサファイア・・・・・2014年9月/3DS

・ポケットモンスター サンムーン・・・・・・・・・2016年11月/3DS

 

当初は151種類だったが、現在は721種類までに増えている。冒険の舞台のモデルは日本だったが、アメリカ→フランス→ハワイに舞台を移している。

初代の『赤・青・緑・ピカチュウ』は3DSや2DSのバーチャルコンソールでプレイ可能。

 

 

>ポケモンのゲスト作品

『大乱闘 スマッシュブラザーズ』ぐらいしかない。マリオシリーズと違い、色々な企業がポケモンの版権を持ち過ぎてるので、ゲスト出演出来るゲームが物凄く限定されている気がする。

逆にカプコンやセガ、ナムコ、スクエニ辺りは自社ブランドを安売りし過ぎてる感じはある。

特にカプコンのコラボとゲスト参戦率は異常過ぎる。

ポケモンは『信長の野望』とコラボしたことはあったが、稀な例だと思う。

コンテンツの規模と版権の複雑さを考えると、ディズニーの次ぐらいにややこしい気がする。任天堂が自社ブランドで用意したamiiboシリーズもポケモン系はスマブラシリーズのキャラクターとしてフィギュア化されてるだけに過ぎない。

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