もしも、藤子・F・不二雄が生きていたら・・・

AbemaTVで『大長編ドラえもん』の映画を34作品一挙放送してるようです。

昨日は『パラレル西遊記』『竜の騎士』。今日は『魔界大冒険』『恐竜』でした。

『魔界大冒険』はDVDやVHSに収録出来なかった主題歌「風のマジカル」を再収録してるようなので、おそらくそのバージョンはテレビでもネットでも上映初でしょうね。

「風のマジカル」を入れてきたのは流石に驚いて、AbemaTVの本気具合がひしひしと伝わりました。

 

>大長編ドラえもんとは?

1980年に「コロコロコミック」で連載開始した『映画ドラえもん』の原作漫画です。約半年かけて漫画連載した後に3月にアニメ化するのがお決まりのパターンのようです。『パラレル西遊記』は原作者の藤子・F・不二雄が執筆出来ませんでしたが、それ以外の作品は1997年に作者が逝去までは原作者が執筆し続けていたようです。

1996年にゲーム『ポケットモンスター』がヒットするまではコロコロコミックの看板漫画とアニメと言えば、『ドラえもん』と『大長編ドラえもん』で、それを毎年楽しみにしていた30代以上も多いかと思います。

1997年以降は原作者が亡くなっているので、藤子プロが原作コミックスのエピソードをアレンジ改変したオリジナル作品が始まりましたが、クオリティについては原作者が生存していた時の方が面白い作品は多いですね。

2005年にリニューアルした『ドラえもん(水田わさび版)』では原作者が執筆した『大長編ドラえもん』のリメイクも多いので、大山のぶ代版を懐かしむ声も多いようです。

現在はてんとう虫コミックスと『藤子・F・不二雄大全集』で原作漫画を読めますが、買うのなら「大全集」の方が良いでしょうね。

 

>パラレル西遊記・竜の騎士

1987年、1988年に上映された映画です。『パラレル西遊記』は原作者が入退院を繰り返していた時期なので、スタッフのオリジナル作品と言えます。シナリオ構成や物語の展開は『魔界大冒険』と似ているところもあるせいか、ホラー要素が多くてトラウマという人の声も多かった映画ですね。原作者が関わっていない映画の中で一番面白いという意見も多い作品ですね。

『竜の騎士』は1987年に上映された映画で、再び”恐竜”をテーマにした作品でした。但し、冒険の舞台は地底になっているので、世界観は若干恐竜時代と違うところも多いです。津波シーンや地震などの天変地異のシーンが多い為かリメイクが難しいと思われる作品ですね。恐竜人間の設定も1990年代の頃は人気の設定でしたが、現在ではトンデモ説扱いされている話なので、恐竜人間を出す事自体が難しそうな気もします。恐竜人間の仮説は収斂進化の法則を読み取って、カール・ラッセルが提唱したif仮説ですが、現在となっては宇宙人の人型設定と併せてバカにされる事が多い学説ですね。

 

 

>魔界大冒険・恐竜

共にわさび版でリメイクされた映画。どちらの映画も展開やストーリー自体はリメイク作品の方がのぶ代版を上回ってる気がするが、楽曲や声優の面で台無しにしている感じが強かったです。

『魔界大冒険』は1984年に上映された映画で、テーマが魔法と悪魔になっているファンタジーとSFが組み合わさったような作品です。原作者が恐竜厨のせいか、魔獣のデザインが殆ど恐竜なのが残念だった作品。タイムパラドックスとパラレルワールドの設定を上手く使いこなした作品で、ファンタジー色よりもSF色の方が強い作品。リメイク作品と違って、感動色に染め上げてる訳じゃないので、冒険シーンは長い。

『恐竜』は1980年に上映された映画で、『大長編ドラえもん』の第一作でした。同時上映は『ゴジラVSモスラ』で、当時は『ドラえもん』よりも『ゴジラ』に期待していた観客の方が多かったようです。1983年頃からは藤子不二雄A作品や藤子・F・不二雄作品との同時上映が始まるようになる。1980年と言うと、『機動戦士ガンダム』が第一次アニメブームという社会現象を巻き起こした時代で、大人も普通にアニメを見るようになった時代です。この当時は『ドラえもん』以外のアニメもSFやメカ色に強いアニメが多く、特に80年代はロボットアニメやSFアニメが主流でした。『恐竜』は白亜紀のアメリカ大陸を舞台にした映画です。この映画以外にも恐竜を話題にしたエピソードや映画は数多く作られましたが、これは原作者が恐竜厨だったからです。

 

 

>大長編ドラえもんは結局、どの作品が面白いのか?

どの漫画やアニメにも言える事だと思いますが、原作者が生存あるいは関わってる時代の作品は黄金期だったと思います。つまり、大山のぶ代版の1997年頃まで。

ただ、アニメ中期~後期になる頃は原作者の入退院が多かった事やネタ切れなどの理由から、1994年以降の映画はドラえもんファンの間でも賛否両論に割れる作品は多いようです。

ソース元はどこだったか忘れましたが、原作者が死去する前に映画ドラえもんのネタに困るようになったという言葉を原作者がスタッフに漏らしていたというエピソードがあるようです。

藤子・F・不二雄は引き出しの多い作家でしたが、大長編後期になってくると、自身の『SF短編』や他作品から設定やネタや物語の下敷きを流用する事も多くなってきたので、1992年以降は病気の症状の悪化とネタ不足に困ってたんじゃないか、と思います。

個人的には『夢幻三剣士』『創生日記』『ブリキの迷宮』『雲の王国』などは人によっては駄作認定されそうな気もします。

ドラえもん達の知恵と力がインフレし過ぎて、大抵のボスキャラはゲストキャラの力が無くてもあしらえるようになったので、『夢幻三剣士』以降はドラえもんやのび太達がピンチになる描写自体が少ないですね。

『ドラビアンナイト』や『ブリキの迷宮』などでドラえもんや四次元ポケットの縛り設定なんかもやったようですが、それ以降の作品はドラえもん達が第三者の立場としてゲストキャラを応援あるいは見守る立場になるケースが多くなったので、90年代後半の作品は原作者が生存していても人気はそれほど無いと思います。

多分、1996年以降も原作者が存命していたとしても、80年代の「大長編ドラえもん」並の面白い作品は作れなかったんじゃないか、と思いますね。

まぁ、病気の症状悪化で描くのが難しくなった影響もあるのかもしれませんが、『夢幻三剣士』以降の作品は万民に勧められる作品って訳でもないです。

 

水田わさび版については酷評される事が多いですが、多分、絵柄と声優と楽曲と感動色を変更したら、人気は出そうな気はします。

その証拠にコメディやギャグに特化した『ひみつ道具博物館』は興行収入がかなり良かったようですからね。

大山のぶ代版を酷評する人は少ないですが、『夢幻三剣士』以降からは微妙な作品が多くなった印象はありましたけどね。

まぁ、映画館まで足を運ぶような価値はない映画が多かった気はします。

原作者が健康だった場合は90年代以降の映画も80年代並のクオリティとバランスを保てたのかもしれませんが、興行収入や商業的な価値では伸び悩んでたでしょうね。

あと、原作者がどんな話題をテーマにするのかが全く想像出来ないので、1996年以降もF氏がご存命だった場合の『ドラえもん』は全く想像出来ないです。

ただ、1996年頃にはF氏は『ドラえもん』の連載を辞めたがってたとか新規作品の漫画の執筆をしたかったとか、そんな噂や都市伝説もよく耳にします。

多分、96年以降もF氏がご存命だった場合は『ドラえもん』の連載やアニメはとっくに終了してたんじゃないかな、とは思います。

まぁ、声優変更時の頃にはキッパリ辞めてそうな気はします。

F氏は手塚治虫だとか富野由悠季みたいな性格をしてそうな感じはするので、『ドラえもん』が儲かってたり国民的人気作品だと分かってても、生きてる間に連載を終了させてた気はします。

あの人は古い作品にいつまでも固執しそうなタイプの人じゃないので、『ドラえもん』が儲かると分かっててもいつかは本物の最終回を世間に提示してたでしょうね。

まぁ、最終回を描けずに亡くなった漫画家って言うと、手塚治虫だとか長谷川町子だとか色々な人が居ると思うんですが、藤子・F・不二雄の場合は1996年以降もご存命だった場合は『ドラえもん』はいずれ終わらせてそうな気はするんですよね。

そうしないと新しい漫画を描く事が出来ないし、ネタ切れにも困るでしょうから。

「ニコニコ大百科」だと『ドラえもん』は「無限にアイディアやネタが生まれる夢のような漫画」というコメントがありましたが、『大長編ドラえもん』については『夢幻三剣士』の頃からネタ不足でしんどそうな気は小学生当時から思ってました。

多分、1996年以降もF氏がご存命だった場合は『ドラえもん』が儲かる儲からない関係なしに『ドラえもん』の連載は辞めてたとは思うんですよね。

あの人は古い作品に固執し続けるよりは手塚治虫みたいに新しい作品を描き続ける方が生き甲斐な感じはしますから。

『SF短編』なんかを読んでると、子供向け漫画よりも大人向けのネガティブ漫画を描いてる時の方が生き生きしている感じはしました。

背景の書き込みやグロ描写なんかは『ドラえもん』や『パーマン』よりも凄まじいので、今の時代でもF氏がご存命だった場合は『SF短編』みたいな作品を大量に描いてた気はします。

それで、多分、2ちゃんねるやニコニコ動画では「神」と呼ばれていたでしょうね。

もしくは『笑ゥせぇるすまん』みたいな作品でしょうね。

まぁ、『笑ゥ』はA氏の作品ですが、性質的にはF氏の方がああいう作品はノリノリで描きそうな気はします。

 

 

>もし、原作者がご存命だったら、『ドラえもん』はどうなっていたのか?

『ドラえもん』の映画は色々あるんですが、どれが一番面白いのか? って言うと、『魔界大冒険』や『竜の騎士』『雲の王国』『鉄人兵団』『ドラビアンナイト』とかでしょうかね?

まぁ、SF好きな人は『竜の騎士』とか『魔界大冒険』は大好きでしょうね。

この辺の映画は『シュタインズゲート』やら『恐竜惑星』『ジーンダイバー』などにも影響を与えてそうな気はします。

『ドラビアンナイト』からは四次元ポケットがチート過ぎるので、四次元ポケットの縛りプレイが始まるんですが、結局は未来の道具頼りになってしまって、後半以降は微妙だったりします。

『雲の王国』や『ブリキの迷宮』ではドラえもん抜きのパーティでのプレイが始まるんですが、これも最終的にはドラえもんだとか超能力を持ったゲストキャラ頼みになってしまってて、原作者も色々工夫してるんですが、ドラえもんやポケット抜きで事件解決するのは未だに困難のようです。

原作者が死去した後に『南海大冒険』でもポケット無しで切り抜けようとする場面やストーリーがあるんですが、結局はタイムパトロールに助けてもらう事になるので、2時間弱の映画だと、ポケットやドラえもん抜きで冒険を切り抜けるのは難しいようです。

 

私の感想ですが、1990年代以降は原作者も悪役と対決させたり、ドラえもんやポケット頼みの冒険をするのはマンネリになると感じてたんだろうな、って思いますね。

それで色々と試行錯誤した結果、ドラえもん達の未来の道具の副作用で生まれた新しい世界で冒険あるいは傍観、旅行するような映画がベースになっていったような気はします。

具体的には『夢幻三剣士』『創生日記』『ねじ巻き都市冒険記』『銀河超特急』などです。

これらの作品の路線は未来の道具の副作用で新しく作られた世界ばかりです。F氏が目指してた『大長編ドラえもん』の世界観のベースは未知の冒険の旅から自分達が作り出した世界の観察というテーマに置き換わっていったようです。

ただ、これらの作品は世間一般ではあまり人気や知名度がない作品ばかりだったので、1996年以降にF氏がご存命で、その路線の『大長編ドラえもん』を連載し続けていたら、『大長編ドラえもん』自体が視聴者に飽きられてた気はします。

なので、『大長編ドラえもん』は原作者が存命だったifルートがあったとしても、人気や知名度は現在と同じかそれ以上に堕ちてた気はします。

まぁ、1990年代以降と言うと、『ドラえもん』以外にも強力なファミリーアニメやコンテンツが大量に生まれ始めてた時代なので、『ドラえもん』は原作者が存命だった場合でも人気や知名度は落ちてただろうなって思います。

あと、視聴者が『大長編ドラえもん』に期待していた路線は異世界への冒険や旅行であって、のび太達の作り出した世界の観察や傍観じゃない訳なので、『銀河超特急』の路線のままで「大長編ドラえもん」を連載し続けていたら、『ドラえもん』の人気や知名度は現在よりも悪化していたでしょうね。

 

原作者のF氏のストーリーやシナリオに期待しまくってるドラえもんファンなんかも多いんですが、1990年代以降の氏の作品のクオリティは80年代よりは落ちてた気はします。

それが病状の悪化のせいかどうかは分かりませんが、『夢幻三剣士』の頃の「大長編ドラえもん」は人間に例えると、老年期に入ってる状態だった。

当時子供ながらに思った感想としては『夢幻三剣士』以降の映画は微妙という感想でしたね。

大人になってからは『ブリキの迷宮』と『雲の王国』なんかも説教臭いところが多くて、あまり好きになれなくなってた。

多分、『銀河超特急』以降も原作者が『大長編ドラえもん』を執筆し続けても80年代並のクオリティは出せなかっただろうなって思う。

 

まぁ、2000年代以降の科学技術やニュースはネタに事欠かないので、2000年代以降には『大長編ドラえもん』のクオリティは80年代を上回ってたかもしれませんけどね。

 

「原作者やのぶ代が関わらなかったドラえもんはクソ!!」って意見をよく聞くんだけど、1993年頃から『ドラえもん』のシナリオやストーリーは微妙なのが多くなっていってた気はします。

これは他のF作品にも言えますけど。

多分、病気の悪化が原因だと思うんだけど、原作者がご存命だった場合でも80年代や70年代並のクオリティは出せなかったんじゃないかなぁ、とは思います。

あと、F氏は理系という意見をよく聞くんだけど、IT革命以降の理数系のレベルはそれまでの理数系のレベルとかなり違っていて、主要学問もハードウェアや生化学系から工学やソフトウェア路線に変わってる訳なので、その辺の話をテーマにした時はF氏はプログラミング言語だとかコンピューター関連のSF漫画を描くのは難しかったんじゃないか、とは思います。

F氏は理系なのかもしれないけど、物理学やら工学・数学・コンピューター系のアーキテクチャなどを漫画で表現するのは出来なかったと思う。

あの人はどっちかって言うと、生物学や化学・地質学関係の知識専門って印象はする。

そう言えば、手塚治虫も理数系だったけど、あの人も工学だとかコンピューター系の専門知識を風呂敷で広げるような漫画を描くのは出来なかっただろうな、と思う。

あの人もF氏と同じで生化学系専門の作家という印象はする。

『鉄腕アトム』や『メトロポリス』が一応、工学系ジャンルの漫画になるんだけど、2000年代以降のオタクや視聴者から「設定にもっと拘れ!」ってクレームを受けて顔真っ赤にしてそうな印象はする。

 

しかし、2000年代以降のサブカルチャーやニュースと言えば、数学・工学・コンピューター系ソフトウェアの話題ばかりだった訳なので、2000年代以降もお二人がご存命だったとしても、その系統のジャンルの漫画を描くのはかなり難しかっただろうな、と思う。

1990年代までのSFは漫画も小説も多少のファンタジーが含まれていても大いに許されてたんだけど、2000年代以降は中高年もSF漫画やSF小説を読むようになって、現実の科学設定を持ちださないと許さないって視聴者は多くなった。

だから、手塚治虫や藤子・F・不二雄が現代にご存命だったとしても、中高年の理系オタクやマニアからクレームを多大に受けてそうな気がするし、出版社やテレビ局からは工学やコンピューター知識を振るった漫画やアニメを描くように命令されてそうな気はする。

2000年代以降はSFアニメやSF漫画の数が減って、ファンタジー路線の漫画やアニメが多くなったけど、現実の科学設定を流用してSF漫画とかを描くのが難しくなったので、SF作家などが少なくなっていったという話です。

あとは2000年代以降の現実世界が昔のSF小説以上に科学技術が進歩し過ぎてて、それ以上の未来を予測するのが難しくなった。

1990年代までは人工知能もロボットもクローンもサイボーグもキメラも再生医療もゲノム解読もデザイナーチャイルドもドローンも遠い未来の技術だと考えられていたけど、いずれも労働市場以外では現代で実現している。

つまり、タイムマシンやスペース・コロニー、テラフォーミング、量子コンピューター、ぐらいしかSF小説のネタや設定が残されていない。

 

 

>もし藤子・F・不二雄が現代の若者だったら?

これもif仮説ですが、藤子F氏や手塚氏が現代の若者だった場合は漫画家になれなかったんじゃないか、と思います。

というのも、藤子さんや手塚さんは引き出しのアイディアの数は物凄く多いんですが、古典的な作品や小説のパロディだとかオマージュが多かったりもするんですよね。

リアリストの手塚氏の作品は現代でもウケてたかもしれませんが、藤子さんのSF漫画はオカルト臭いという理由で児童漫画としてもヒットしなかったんじゃないか、と思います。

まぁ、富野監督の『ガンダム』なんかも現代に出してた場合は大してヒットしなかったんじゃないかな、と思います。

1999年の頃まではオカルトと科学の領域や線引きが曖昧で科学の設定にオカルト要素を採り入れても叩かれることはなかったんだけど、科学とオカルトの線引きがはっきり決まった2000年代以降ではオカルト臭いSF小説やSF漫画は現代では大してヒットしてないんじゃないか、と思います。

まぁ、インターネットの普及で作品を批評し易くもなったし、大人が児童漫画やアニメを見てても大っぴらに批難される世の中じゃなくなりましたからね。

だから、現代のライトノベルだとかアニメ、映画のジャンルはファンタジーだとか非現実の世界や作品が多いんだと思います。

SFの世界に現代が近付き過ぎてる事とSF小説に少しのオカルトエッセンスも許されない世の中になりましたからね。

 

あと、インターネットの普及でマイナーな古典文学だとかマニアックな芸術作品なんかも一般人が少しググっただけで分かる訳なので、安易なパロディだとかオマージュ作品も通用しなくなった訳です。

あと、藤子さんや手塚さんの生きてた時代に比べると現代の方がコミュ障だとか根暗な青年が就職し難い時代になりましたからね。

根暗な青年やコミュ障の人が生きやすい世界は現代なのかもしれませんが、就職のし難さは明らかに現代の訳なので、プロの漫画家になるまでに社会人経験することも出来なかったんじゃないか、とは思います。

 

藤子・F・不二雄さんが半日で製菓メーカーの工場の正社員を退職したのは有名なエピソードですが、あの時代はすぐに会社員を辞めて職歴に空白があったとしてもいくらでもやり直しが効いた時代なので、現代のニートだとか無職に比べると就職のし易さはイージーモードだったとは思います。

藤子不二雄Aさんが退職を躊躇したのは自身は新聞社の記者というエリート職業に就いていた事からの自負があったからだと思います。

 

まぁ、現代で工場の正社員を半日で退職するのはかなり勇気が要る事だと思うので、あの時代じゃなくて現代に藤子Fさんが若者として生きていたら、あの時の選択のままだったはずがないでしょうね。

現代においては工場の正社員ですらエリート職業の部類で、それ以下の職業が非正規のライン工とかになってくる訳なので、職歴の傷を考えると簡単に辞められなかったでしょうね。

あと、藤子さんが退職に至った理由が製菓メーカーの機械で指を切断する事故に巻き込まれそうになった恐怖かららしいですが、現代の工場で身体損壊の事故は滅多に聞かないし、労災もすぐに発効しますからね。

1960年代の工場とか建設とかのブルーカラーはガチで3Kの仕事だった訳ですが、現代においてはサービス業や営業や接客業に比べるとブルーカラーの正社員労働の方が遥かにマシだったりするので、藤子さんが現代で若者をやっていた場合は60年代と同じ選択をしてなかったと思いますね。

 

 

まぁ、藤子Aさんは現代でも成功していたのかどうか分かりませんが、Fさんは現代に転生していたとしても成功していた気はします。

ただ、極度のコミュ障だったらしいので、Aさんのような相方かマネージャー的な人が居なければ漫画家デビューは難しかっただろう、とは思います。

あと、現在の視点で60年代の漫画などを見るとコマ割りが非常に見難いので、現代でコマ割りの技法を変えてなければ作品のヒットはなかったと思う。

コマ割りがおかしいのが60年代の漫画家だけなのか? というと、手塚治虫さんの漫画作品なんかもコマ割りがおかしかったりするので、あの時代の漫画家先生が現代に転生した場合はコマ割りの技法を変えないとヒットは難しいでしょう。

絵柄や画風についても現代風に変えないとならないと思いますが、手塚先生だとかF先生の後期の作品は普通に読めるので、前期のみが古臭いって感じですね。

まぁ、これはどの漫画家の漫画にも言えることなんでしょうけどね。

 

藤子F先生が現代に転生した場合の想像なんかもよくするんですが、現代に転生していても『ドラえもん』は世に出してそうな気はします。

まぁ、F先生は現代に転生してた方が良かったとは思いますけどね。

2000年代以降の日本のフィクションや漫画作品のヒット作の少なさを考えると過去に成功した漫画家の何人かは現代に転生した方が良かった気はします。

逆に言うと、過去の日本のクリエイターがそれだけ優秀だったという事か、現代の日本がエンターテイメントだとかサブカルチャーにお金だとか人材を割く余裕がない時代になったということでしょうね。

 

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